【新荒】 彼と彼 【大学生編1】

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大学1年の新荒です。
・インカレで再会したふたりがそろそろお互いを意識し始めてきます。
・今作もカップリング要素は薄めです。
・『彼と彼シリーズ』の2作目。

 
4.【大学1年 夏】
 
 表彰台の上から眺める景色は何度経験してもいいもので、新開隼人はまずステージ前の観衆をゆっくりと見渡し、そしてレース直後の興奮と緊張をほどくように深呼吸をひとつした。
 8月末に行われた全日本大学対抗選手権自転車競技大会。全日程を無事に終えた4日目の夕方、表彰式のステージ上には総合1位を獲得した明早大学自転車競技部の面々が整列していた。特徴的な垂れた目を笑顔で細め、穏やかに笑う新開の首にはすでに金色のメダルがひとつぶら下がっている。それは3日目のトラック競技「男子スプリント」のメダルだった。
 新開は大学入学後に出場した大会すべてで上位入賞を果たしている。クリテリウムやスプリントレースでは常に表彰台にのぼり、彼の人目を惹く容姿も相まって大学デビューは意図せず派手なものになった。それでも新開本人は周囲の騒ぎもまったく気に留めておらず、飄々とした調子は高校時代と何も変わっていない。自分よりも速い相手と競えることが嬉しくて、純粋に自転車が好きで仕方がなかった。
 式が滞りなく進行していくなか、新開の視線はある人物を探して彷徨っていた。黒髪と黒ジャージを求めて大きな瞳がキョロキョロ動く。だが求める人物はなかなかみつけられず、ようやくその姿を発見したのは会場のずいぶんと後ろのほうだった。黒地のジャージに身を包み、チームメイトの列から少しだけ外れて腕組みをする細身の男、荒北靖友だ。
(こうして顔を見るのは卒業以来だな。怪我もしてなさそうでよかった)
 荒北の姿に自然と笑みをこぼした新開だったが、彼の表情を目にするとそれもすぐに消えてしまった。不機嫌そうに唇を固く結んだ荒北はステージ上を見てもいない。その隣りに並んでいるのは総北高校の主将だった金城真護だろう。表彰に合わせて拍手をしながら荒北に話しかけているようで、下ばかり見ている荒北がたびたび視線をあげて金城を見る。会話の内容は知るよしもないが腕組みした荒北が金城を睨み、それに対して金城が楽しげに笑う。そのなんでもないやり取りを遠巻きに眺めながら、新開は胸の中に複雑な思いがわいてくるのを感じていた。
 ずいぶん遠い。
 まず浮かんだのはそんな感想で、物理的にも精神的にも荒北との距離がやけに遠くなったような気がした。数ヶ月前まではすぐ横にいたはずなのに、今となっては手を伸ばしても到底届かない場所にいる。自分ではどうすることもできないこの距離はふたりが離れたことを改めて深く実感させた。
 そして次に新開の胸を占めたものは懐かしさと寂しさだった。再開の嬉しさが募る反面、言いようのない寂しさに襲われて胸がぎゅっと苦しくなる。忘れていた痛みを思い出した新開は視線を落としつつ心臓付近をそっと抑えた。
(これ……あのときの……)
「どうした新開」
 ハッとして顔をあげると横に並ぶ福富の視線とぶつかった。痛むのか、と問われて「いや、なんでもない」とごまかす。すぐに手をおろして笑ってみせたが福富とは長いつき合いだ。もしかしたらこんなごまかしも見破られているかもしれないが、それでも福富は「そうか」と言っただけで他には何も訊かなかった。
 新開は再び荒北に視線を戻した。
 硬い表情で立つ彼は今、きっと悔しくてたまらないのだろう。勝負に負けた悔しさと、勝ちをつかめなかった自分への悔しさだ。レースが終わってしまった以上その感情はどうすることもできず、ただ結果を受け入れるしかない。そして受け入れて消化することができたならその悔しさが次への闘志に変わる。新開自身が何度もそうやって乗り越えてきたし、知る限りは荒北も同じだった。それでも今はまだ悔しさが溢れている段階なのだろう。こんな状態のときはただ黙って怒りをこらえるしかない。
 腕組みをほどいた荒北がスエットパンツのポケットに手をつっこみ、そして金城に何か言うとステージに背を向けて歩きだした。去り際にステージに視線を投げたようにも見えたが、もしかしたらただの気のせいかもしれない。金城が「困ったヤツだ」と言いたげな表情で荒北を見送り、その光景を新開は壇上から見つめていた。
 少し背を丸めて歩く荒北らしい後ろ姿が懐かしかった。ポケットの中に隠された彼の手のひらは、今頃きっと固く握られているに違いない。ふと一年前の夜を思い出してしまい、新開は胸の痛みをこらえるように拳をぎゅっと握った。あの夜と今ではふたりの立つ場所が違う。勝者の新開と、敗者である荒北。敗者にとって勝者にかけられる言葉ほど惨めなものはなく、それが慰めであればなおさらだ。悔しそうに握る拳も、うつむく顔も、怒りで震える肩も、それを隣りで慰めるのはもう自分の役目じゃないのかもしれない。
 
――『靖友もオレんとこにいつでもこいよ。またオレが泣き止むまで受けとめてやるから』
 
 あんなことを言ってしまったが、冷静になって考えれば荒北が自分のところにくるはずはないのだ。
(大学が別って時点でわかってたことなんだけど……やっぱり実感しないとわかんねぇもんだな)
 新開は大きなため息をひとつついて、促されるままにステージをあとにした。
 

*
 表彰式が行われているメイン会場をあとにした荒北は、その足で会場外にある男子トイレへ向かっていた。扉を開けると中には誰もおらず、ちょうど良かったと思いながら洗面台に向かう。
 鏡に映る顔は不機嫌そのもので、それをひと睨みして水道の栓をひねった。勢いよく流れる水を手のひらいっぱいに受けとって思いきり顔をこする。バシャバシャと派手な音をたてながら何度も洗い、その勢いのせいでTシャツの襟元や腹部が濡れても気にしない。
 目を閉じたまま手探りで水を止めて首にさげたタオルでゴシゴシと顔を拭う。ふぅ、と息を吐いてみたが落ち着かず、目の前の鏡にはまだ情けない顔の男が映っていた。胸の中のごちゃ混ぜな感情がすべて表れた顔。冷たい水で洗い流してみたらスッキリするかと思ったが何の効果もないらしい。
「……ダセー顔」
 前髪から垂れた雫が瞼に落ちる。荒北は再びタオルで顔をこすり、顔を覆ったままで手を止めた。
 あと少しで入賞を狙えるはずだった。この4日間のためにハードな練習を重ね、コンディションだってバッチリ合わせた。それでも自分は勝てなかった。
「くそ……つーかウゼェ……いい加減にしろってマジで。あーもォ、バカじゃねーのォ?」
 ふつふつと込みあげてくる苛立ちを散らすように顔にタオルを押しつけながら大声をだし、勢いよく顔をこすったあとでプハッと顔を上げた。力を入れ過ぎて頬がヒリヒリ痛んだがそれもたいして気にならず、そのまま洗面台に両手をついて項垂れる。胸を押される感覚がして、息苦しさから顔を歪めた。
「ウゼェ。またかよ……つーかマジでなんなんだヨオレは」
 胸元をぎゅっと握りしめて息を吐いた荒北は、たびたび意味不明の息苦しさに襲われることがあった。思い返せばそれはたぶん高校時代から始まっていて、ある条件を踏んだときにこうなることが多い。今回の痛みは昨日行われたスプリントレースの観戦直後から起きていて、「くそっ……」と呟いた荒北の頭の中にはあの男の笑顔がぐるぐる回っていた。
 

 出場する競技がなかった3日目、荒北はチームのサポート役としてトラック競技の会場にいた。1年生はほぼ雑用係のようなものだったが人数が多かったおかげでわりと自由がきき、エスケープを成功させた荒北はサボれる場所を探して会場内をうろついていた。
 自転車競技のためだけに建設された会場は、すり鉢状のトラックとそれを囲むような造りで観客席が設けられている。洋南大学のテントから離れた場所に空席を見つけた荒北がそこに腰をおろそうかと近づいたとき、会場内にひときわ大きな歓声があがった。ジャージのポケットにつっこんだままだった日程表を覗いてみると、どうやら男子スプリントの決勝が行われる時間らしい。
(ってことは、もしかしてアイツがいたりすんのか? いやいや、まさかナ……)
 1日目の予選を無事に通過したところまでは確認済みだが、そのあとに行われた準決勝の結果は見ていない。目を凝らしながら選手入場口に注目していると、そこから現れたのは見慣れたあの黒いロードバイクだった。ヘルメットから覗く赤茶色の髪も、不敵な笑みを浮かべる厚い唇も、その唇に補給食を咥える癖も、何もかもが変わっていない。
(ハッ! なんか……すげぇ久しぶりじゃねーか)
 思えば高校を卒業してからは一度も顔を見ていなかった。つまりは今日まで会っていなかったわけで、連絡すらほとんど取っていない。いや、取れなかったが正解かもしれない。
 スタートラインに並んだ2名の選手の大学と個人名がアナウンスされ、呼ばれた選手が片手を挙げる。新開も穏やかな笑みを浮かべながら手を挙げたが、ハンドルを握り直した瞬間に表情を一変させた。前方を見つめる鋭い視線、全身から静かに発せられる飢えた匂い。元チームメイトだった荒北には新開が怖いくらいに集中しているのだとわかる。
(こりゃ、相手は鬼に食われちまうんじゃねーか?)
 声援はやまないがスタート前の緊張感が会場内に広がっていく。その雰囲気につられたのかそれとも別の何かのせいか、荒北の手のひらにはじっとりと汗をかいていた。
 ゴクリと唾を飲み込んだ瞬間にスタートが切られて、押さえを外された自転車が動き出した。互いに相手を牽制しあいながらトラックを2周し、ラスト周回を知らせる鐘が鳴った瞬間に両名がスピードをあげる。先に仕掛けたのは後ろにつけていた新開で、すり鉢状の壁を駆け上がると下りのスピードを生かして一気に追い抜いた。相手ももちろん食い下がったがそれでも新開は前を譲らず、圧倒的なスピードを維持したまま荒北の目の前でゴールラインを抜けていった。
 見届けた荒北の全身に鳥肌が立ち、身体の奥から末端へ向けてブワッと興奮が奔った。勝利を納めた新開隼人の名前がアナウンスされ、1年生での快挙に会場内に大きな歓声があがる。
(マジで……つーかマジかよ。あの野郎、マジでやりやがった)
 気がつけば荒北は立ち上がっていて、興奮気味にトラックギリギリまで駆け寄っていた。フェンス越しに声をかければ届きそうな場所に新開がいて、「しんか……」と呼びかけながら手を挙げる。ハイタッチなんて熊本以来だなと懐かしい記憶を笑ったが、荒北のその笑みも長くはもたなかった。
 自転車を下りた新開のもとに明早大のチームメイトが駆け寄って、茶髪の横顔はあっという間に埋もれてしまった。抱きつかれ、頭をグシャグシャにされ、手荒い歓迎を受けながらその中心で笑う。そこにいるのは荒北の知らない『明早大学の新開隼人』だった。
 

**
 白いタイルの洗面台に置かれた荒北の手は、指先の色が変わるほど力が込められていた。負けた悔しさに得体の知れない感情が加わり、おまけにそれを理解できずにいる苛立ちも合わさって、そのすべてが荒北をこんな場所でひとりにさせている。この妙なもやもやはなんとなく懐かしい気がして、それを思い出してみようと目を閉じた。自分の関係しない場所で誰かが笑っているのをただ眺めていた経験……
(中学のときに野球部の試合をこっそり遠くから見てたやつ……あれはちょっとちげーナ。あの試合は結局負けて、ざまーみろって思ったし。てことはもっと前……)
 うーんと唸りながら眉を寄せて記憶の奥をさらに探る。するとぼんやり浮かんできたのは小学生のときに経験した淡い恋だった。
 
 隣りの席の女の子が好きだった。頭が良くて物知りでおまけによく笑う、クラスでも人気があった女の子。席が隣りという好条件のおかげか必然的に話す機会が多くなり、荒北はいつの間にかその子のことが好きになっていた。感情が表に出やすいせいで荒北の密かな恋心はバレバレだっただろうし、それでも拒まなかった彼女はたぶんまんざらでもなかったのだと思う。
 教科書を忘れて机をくっつけて見せてもらったとき、ノートの端に落書きを描いて見せあった。授業中なのに声をひそめて笑ったり、笑った拍子にふたりの肘がくっついたり、秘密めいた行為が楽しくて仕方がなかった。そして彼女が突然『好きな子いる?』とノートに書いて、荒北は少しだけ躊躇したあとで『いる』と書き、フフと小さく笑った彼女が荒北の目を見て「わたしも」と微笑んだ。
 アレが誰のことをさしていたのかはわからなかった。それでも自分のことだと信じて疑わなかった荒北は、クラス替えで離れたあともたびたび彼女のクラスへ会いに行っていた。最初は何も気がつかなかった。でもある日、いつものように遊びに行った先で目にしたものは、教室の後ろで彼女と知らない誰かがくっつけられ、両想いだ、カップルだと囃されている光景だった。輪の中心で恥ずかしそうに顔を赤くし、やめてよと言いながらも嬉しそうに笑っていた初恋の人。彼女の想い人が自分ではなかったのだと恋を失くした瞬間だった。
 
「すげー懐かしいもん思い出したな」
 あのときの胸の痛みに似ている、そう思いながらもそれを受け入れることはできなかった。自分が新開相手に恋心を抱いていたなんて到底考えられないからだ。自分は男で新開も男、おまけに元チームメイトで友人だ。寝食をともにしてきたなかで彼のいいところもダメなところもずいぶん見てきた。普段の新開は女子が抱いているような「イケメンで優しくて王子様みたいな新開くん」のイメージとはほど遠い。むしろ本当の姿を知った女子が幻滅すればいいし、そうなればおもしろいのにとすら思っている。
(なのに……オレがアイツを好きとかわけわかんねーだろ)
 気がついたら好きになっていた、そんな可能性はないと信じたいがこの胸の痛みは一向に止みそうもない。
 
***つづく***
 
次→彼と彼【大学生編2】

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