【新荒】3.『I can't live without you.』+書き下ろし【2015荒誕】

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社会人の新荒です。【R-18】
・新開さん…プロロードレーサー、荒北さん…メカニック志望で研修中
・同棲中のふたり。周囲での結婚話が増えてきたアラサー新荒。それぞれが悩み、考え、新開さんの海外移籍をきっかけにしてふたりの関係が変わっていくお話。
・性行為描写が多めです。苦手な方はご注意ください。
・荒北さんの家族がちらほら登場します。すべて捏造です。
・『あるふたりの軌跡シリーズ』の最終話。大幅に書き直し&最後に短い書下ろしを載せました。
(※2015/04/02 荒北さん誕生日用)

 
 成田空港から直行便で約11時間半。長いフライトを終え、気怠い足で降り立ったのはオランダにあるスキポール空港だった。慣れない英語を駆使してなんとか入国審査をパスし、重い工具箱を積んだ大きなスーツケースを受け取る。それを半ば引きずるようにしてゲートを抜けると腕を伸ばして大きく深呼吸した。
 当たり前のことだが地図も看板も目に入るすべての文字が外国語で、行きかう人々も見慣れたアジア人ではない。これから始まる新生活に胸の高鳴りと若干の不安を抱きつつ、荒北は荷物の持ち手をぎゅっと握った。
「っしゃぁ、行くかァ!」
 自らに言い聞かせるようにして歩き始める。向かう先はアムステルダム市内。まずはあの男に会わなければならない。

 
1.
 日の入りが早い1月は夜の訪れも早い。久しぶりの帰省を終えた荒北は暗い夜道をクタクタになりながら歩いていた。
 荒北には妹が2人いる。いつの間にか上の妹の結婚話が進んでいて、彼氏の紹介を兼ねた食事会がこの日の昼間に行われていた。どうやら荒北家の面子とは何度も面識があるらしく、実質は長男と義弟候補の顔合わせにすぎない。すでに纏まっている結婚話は報告を受けただけですぐに終わり、話題の矛先は女っ気のない長男へと向かった。
 いつからか荒北が実家に寄りつかなくなったのはこれが原因だった。
 家に帰るたびに結婚についての母親の小言が始まり、その場に妹が居あわせたならサイアクで、あっという間に小言は2倍にも3倍にも膨らんでいく。女の意見が強い荒北家では、自分と父親は黙ってそれを聞くしかないのだ。
 荒北自身も結婚を考えないわけではないが、それでも自分には縁のないものだと思っているのでほとんど他人事でしかない。
(つーかそろそろ諦めてくんねーかナァ……)
 早く孫の顔が見たいと言う母親の顔を思い出して荒北は深いため息をついた。今までに一度も恋人を連れて帰ったことがないのだから、“コイツは絶望的にモテなくて無理なんだな”とは考えてくれないのだろうか。親の贔屓目はあるだろうが誰もが恋人を作れるわけでもないし、例え恋人ができたとしても誰にも言えないような関係だってあるかもしれないとは思わないのだろうか。
「……そうは思わねぇんだろーな」
 荒北はコートの襟を立てながら2度目のため息をついた。

 鬱屈した気分で玄関の扉を開けると、カレーのいい匂いが鼻をついた。
「ただいまァ」
「おかえり。お疲れさん」
 柔らかい響きを持つ彼の声が張っていた気をほぐしていく。声がしたキッチンに直行すると新開は料理の最中だったらしく、荒北は彼の肩に顎を乗せて後ろから鍋の中を覗きこんだ。
「なにカレー?」
「チキンカレーだよ。もちろん肉は多めにしてあるぜ」
「マジで助かる。あんがとネ」
「今日はミーティングだけだったし、早めに終わったから作ってみたよ」
「スッゲェ腹減った……あ、コレお土産のシュウマイ。オフクロがオメーにって」
「お。サンキュ! でも、みんなと昼飯食べてきたんだろ? もう腹空かせてんの?」
「いや、食うは食ったけどさァ……」
 ガスコンロの火を止めたのを見届けて背中を離れる。冷蔵庫からお茶を取り出してグラス2つと一緒にテーブルに置いた。シュウマイ用の小皿に醤油と和辛子を垂らし、運ばれてきたカレー皿を受け取って向かい合わせにテーブルを囲む。
「いただきます」
 ルームシェアという形で同棲を始めたのは大学を卒業してからだった。
 新開と荒北は共に自転車競技の道を進んでいる。新開は選手としてプロチームへ、荒北は自転車部品を手掛ける大手メーカーにメカニック志望として就職した。そのメーカーは世界的なロードレースの大会でチームに関係なく選手をサポートする“ニュートラルカー”を提供している。いずれメカニックとしてそのサポートカーに搭乗するのが荒北の目標だった。
 新開はレース期間が始まるとチームキャンプや地方遠征で家を空けることが多い。一方の荒北はメカニックとしての資格を取るべく、子会社の経営する自転車屋で技術習得の実践訓練中だった。まだレース会場には同行できないので長期間家を空けることはない。そのため、ひとり暮らしでは家賃がもったいないという理由をつけて一緒に住むことにしたのだ。ふたりの両親も高校時代から顔見知りなので、特に反対されることもなく今に至っている。
 ただ、両親たちはふたりの関係を友人としてのつき合いだと認識しているはずで、まさか恋人同士だとは思いもしないだろう。騙している後ろめたさは感じるが、かといって正直に話せることでもない。新開と話し合った結果、誰にも話さずにいようと決めていた。
「で、今日はどうだった? 久々に“お兄ちゃん”してきてさ」
「あー……なんか居づらかったし、変に気ィ遣って肩凝った」
「妹ちゃんの彼氏はどうだった?」
「よくもまぁうちの妹を選んだなっつーくらいクッソ真面目だったわ。お陰でこっちは肩身が狭いのなんのって」
 辟易した顔を見せると新開は目を細めて笑い、テーブルに置かれた荒北のグラスに「お疲れさん」と言って自分のグラスを合わせた。
「オニイサンなんて呼ぶんだぜ? オレはテメーの兄チャンじゃねェっつーの」
「ハハ、でも間違ってはいないよな。ごく近い未来の弟くんだ」
「まァだ! まだオレに弟はいねぇンだヨ。しかもよォ、ソイツが『オニイサンは結婚はまだなんですか』なんて聞いてきやがんだ。おかげでそっからはもうオレの話題ィ。オフクロや妹まで彼女はいねぇのかとか、さっさと結婚しろとかさァ……ったく、よく毎回同じことばっか言えるよなァ。いいからほっとけっつーの」
 今まで何度も聞かせてきた愚痴をまた吐いて大げさにため息をついてみせる。すると新開もつられて苦笑した。
「で、靖友はなんて答えたんだ?」
「なにが?」
「結婚のことだよ」
「なんも。結婚なんてモン、オレには関係ねぇだろ」
「……ほんとにそう思ってる?」
「あ? 思ってるけどォ?」
「でも、オフクロさんは結婚してほしそうなんだろ? おめさんが結婚するか、彼女でも連れて帰るまで……いや、やっぱり結婚するまでか。それまではこの先もずっと言われるんだろうな、きっと」
「……だろーネ」
 わかってはいる。それでも新開とのつき合いを告白するわけにもいかない。言葉に詰まった荒北がなにも言えずに黙ると、スプーンを置いた新開が「ちょっと聞いてくれるか」と改まった顔で荒北を見つめた。
「ナンだよ、急に真顔で」
「オレさ、前から海外で走ってみたいって言ってただろ? あの話が実現しそうなんだ」
「……え、マジで!? スッゲェじゃん! いつ? どこのチームだよ?」
 矢継ぎ早に問いかける荒北を「待てって」と手で制して新開が笑う。
「急なんだけど……正式に決まったら向こうに発つのは3月頃になるかな。場所はオランダ。まだどうなるかはわかんねぇけど、実は前からチームテスト受けてたんだ。おめさんに話してなかったのは本当に悪いと思ってる。でも、もしダメだったらカッコ悪いだろ?」
「いや、ぜんっぜん許す! 黙ってたとか、んなモン関係ねぇ。つーかマジでスゲェじゃねーか!」
「……靖友は賛成してくれるんだな」
「は? ったりめーだろ! つーかさ、もう酒飲もうぜ、酒。乾杯しねーとなァ。お前もビール1缶ぐらいは平気だろ?」
 荒北は席を立って意気揚々と冷蔵庫に向かい、冷えた缶ビールを2つ取り出した。
 海外のプロチームに所属してレースに出場することは、お互いの長年の目標だった。新開は選手として、荒北はサポートカーに乗るメカニックとして。先を越されたのは悔しいが、必ず自分も行ってやるとまた新たに闘志が湧いてくる。
 鼻歌を歌いながら新しいグラスを準備する荒北に「靖友」と新開の声が飛んだ。
「なにィ? なんか言ったァ?」
 ツマミ用の缶詰を取ろうと吊り戸棚に手を伸ばしたところで、いつの間に立っていたのか新開が背後から抱きしめた。「靖友」と呟いて荒北の肩に頭を載せる。
「んだよ。どーした? 甘えたチャンかァ?」
「ん……」
 戸棚に伸ばした手を引っ込めて新開の頭を撫でる。わざと髪の毛をクシャクシャにしても彼は抵抗せず、荒北を腕に抱いたまま動かない。仕方がないので彼に身を任せていると、不意にうなじに柔らかいものが触れた。次いで首筋を舌が這い、その温かなざらつきに思わず身体が反応する。
「……なにやってんのォ?」
「好きだ」
 耳元で囁かれる低音が心地よく響く。吐息ごと舌先を耳の中に押し込まれて、荒北の喉から高い声が漏れた。気恥ずかしさに「やめろ」と顔を背けて抵抗しても、新開はやめずに執拗に耳を追う。耳たぶを甘噛みし、耳の輪郭をなぞるようにゆっくり舌が這う。何度も下から舐め上げられ、何べんも好きだと囁かれ、そのたびに侵入してくる新開の吐息が身体を昂らせた。
「靖友、好きだよ。ずっと」
「しんか、いっ……耳やめろって! つーかまだメシの途中――
「いいから黙って」
 顎を掴まれて振り向かされ、新開の厚ぼったい唇が荒北の抗議を遮断する。歯列を割り入った舌が荒北の舌に絡んで催促し、おずおずと舌先を絡めると待っていたように吸われて軽く歯を当てられた。
 腰に回された手が服の裾から侵入し、腹部を伝って胸元を探る。まだ柔らかい乳首に触れるとつまんでこすり、硬くなる過程を楽しむように何度も引っぱられた。塞がれた唇から高い喘ぎと共に吐息が漏れる。
「……んっ、それっ……ひっぱんのヤメろっつーの」
 顎を掴まれたまま喉を反らせて息を吸い込む。見計らったように乳首を強くつままれて「はぁっ……」と甘い声が出た。臀部に押しつけられた新開の性器が荒北の声に反応してピクリと動く。後手に回した手のひらでそれをぎゅっと握ると新開も呻き声をあげた。
「なにィ、ここですンの?」
「ん……ダメ?」
「ダメもなにも、誰かさんのせいでとっくにスイッチ入ってンだよ」
 一度手を離して振り返った荒北は、自身のトレーナーをたくし上げて見せつけるように乳首をつまみ、「舐めてェ?」とニヤリと笑った。誘われた新開は苦笑しつつも素直に姿勢を低くし、荒北と目を合わせながらゆっくり舌を伸ばす。肌に触れる熱い呼吸すらむず痒く、新開の舌先が乳頭を掠めただけで荒北の身体は小さく震えた。
「あッ……は、やべェな……」
「まだ舐めてもねぇのに」
 そう言ってフッと笑った新開だったが、掠めるように舌先を動かすだけで直接触れようとしない。わざと乳輪だけを執拗に舐められて、焦れた荒北は強い刺激を求めてもう片方をを自分でいじり始めた。
「自分でするくらい待てねぇんだ?」
「るせー……誰のせいだと――
「誰って、拒まなかった自分のせいだろ?」
 新開が荒北の指を囓って邪魔をする。指先を吸い、口に含み、ちゅぽんと音を立てて指を離した。
「そろそろ舐めようか? それとも囓る?」
 いつの間にか立場が逆転していた。舐めさせてやっているつもりだったのに気がつけば焦らされて、荒北が乞う側になっている。それが悔しくて応えずにいると、まるで見抜いたかのように新開が突然乳首を噛んだ。
「ひっ……! あッ、あっ……おまえッ」
 ギロリと睨んでも効果はなく、それどころか荒北の口は勝手に「あぁ」と嬌声を漏らす。噛んだ乳首を強く吸った新開は荒北に見せるように舌先で嬲りつづけ、彼の舌が硬い突起を押し潰した瞬間に荒北はまた高い声で啼いた。慌てて手で塞いだが執拗に舐められるせいで声が止まらない。
「靖友、声だしなよ。我慢すんのキツイだろ」
「っせぇナ! オメーがしつこく舐めっからだろォ!?」
 しつこく?と意地悪く微笑んだ新開がまた乳首を食む。
「ッつ……! うぅ……」
 じんわりと広がる甘い痛みに目を閉じると、その隙に新開は荒北のデニムに指をかけてベルトを外した。フロントボタンも器用に外してしまうとデニムを膝までずり下げて、床に膝立ちになりながら下着の膨らみに顔を寄せる。ボクサーパンツに浮き出た染みを舌で舐めた彼は、唾液で染みが広がるのを楽しんでいるようだった。
 新開は亀頭付近を舐めながら陰茎をこすり、もう片方の手が荒北の腿を撫でる。下着越しに咥えられて、ぞくりとした悦びが荒北の全身を包んだ。
「なァ、直接舐めてほしーンだけど」
 布越しの刺激はもどかしくてなにか足りない。荒北は新開の頭を押さえて愛撫をやめさせると、下着を大雑把に腿へずらして、握った陰茎を新開の口元にあてた。亀頭を濡らす先走りが半開きの厚い唇に触れて糸を引く。その行為を「ずいぶんだな」と笑った新開は、荒北の手ごと陰茎を掴んで自分の口に引き寄せた。鈴口から溢れる液体を舌先で掬い、器用に亀頭になすりつけていく。その仕草に煽られて、荒北の手が思わず新開の髪を掴んだ。
「早く……さっさと咥えろヨ」
「もうちょっと色気のある誘い方だと嬉しいんだけど」
 そう言って新開は大きく口を開け、一気に喉の奥まで頬張った。
「うぁ……やべェ、あ……くちんなか……あつ……」
 粘膜特有のヌルついた柔らかい感触に思わずゴクリと唾を飲みこむ。掴んだままだった髪の毛を離して頭を撫でると、新開は陰茎の根元から先端へゆっくり舌を動かして荒北を挑発した。上下する舌の動きに合わせて手で陰茎をこすり、もう片方の手が荒北の双丘を揉みしだく。新開の指が尻たぶを割って露わにされた後孔に触れた。軽く押されたが、まだ濡らしていないそこは入るはずもなく侵入を拒む。
「んっ……ソコ、まだ準備できてねェから……ぜってー痛くすんなヨ」
「大丈夫だよ」
「オメーの『大丈夫』はいっつも大丈夫じゃねーから」
「ん? そうだったかな」
「そーなンだヨ!」
 大丈夫と言う新開に何度も泣かされてきた記憶が頭をよぎる。
 彼が自制するのはいつだって最初だけで、終いには荒北がクタクタになるまで容赦しない。これ以上は無理だと言っても押しこまれ、揺すられ、何度も吐精させられる。それでも結局はそんな新開を許してしまうので、一番タチが悪いのはこうして甘やかす自分だ。
「力抜いて」
 唾液で濡らした指が再び後孔にあてがわれ、今度はするりと中に入った。じっくりと探るように指が動き、荒北の一番感じる部分に触れようと、内壁をこすりながら丹念に愛撫していく。しばらくは指の異物感に息を吐いて耐えていたが、ちょうど睾丸のつけ根辺りを押された瞬間に強い排尿感と痺れるような刺激が奔った。
「やっ……やばっ、そこっ、あ、あッ……!」
 つま先をきゅっと折り曲げて絶頂に似た感覚をこらえる。
「ここ、だよな」
 見上げた新開が荒北の反応を楽しむようにまた同じ部分を押した。声を殺してコクコクと頷いてみせると、満足気に微笑んだ彼がまた荒北の性器を咥える。
 口の中でこすられ、執拗に前立腺を責められ、気がつけば荒北も腰を前後に揺すっていた。新開の髪を掴んで喉の奥まで押しこむ。まるで自分が犯しているような征服欲と嗜虐心が湧き立ち、より一層硬さを増した陰茎は新開の唾液にまみれながら射精が近いことを告げていた。
「1回だしとくか?」
 その言葉に頭を横に振って拒み、息を弾ませて喘ぎながら「オメーんで……イキてぇ」と呟く。
「……今のやばいな」
 ずるりと指を引き抜いて新開が立ち上がり、「ちょっと待っててな」と囁いて寝室へ消えた。
 荒い呼吸を整えようと大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出す。気持ちを落ち着かせないとすぐにでも達してしまいそうで、硬く反り返ったものが早く吐き出したいと脈打っていた。自分で触ってしまおうかと手を伸ばしかけたとき、ローションと避妊具を手にした新開が戻ってきた。荒北に口づけを求め、荒北も新開の首に腕を回して引き寄せる。口を大きく開けて舌を絡め、新開の腿に性器をこすりつけるように腰を揺すった。
「このまま挿れるから後ろ向いて。ここに手ぇついて」
 言われるままに後ろを向き、シンクに手をついて臀部を突き出す。
「もう少し足開いてくれるか?」
「ん……」
 足を開くと臀部を掴まれて広げられ、後孔にローションが垂らされた。火照る身体の上を冷えた液体が伝い落ち、その感触に鳥肌が立つ。
「ふっ、う……つめてェ……」
「ちょっとだけ我慢な。靖友、右手貸して」
「手ェ?」
 訝しみつつも「ん」と後ろに右手を伸ばすと、それを掴んだ新開が荒北の後孔に誘導して触れさせた。そして荒北の指先にもローションを垂らす。
「自分で塗ってみせて」
「ハァ? なに言って――んんっ!」
 不意に陰茎を握られて強くこすられた。先に手のひらにローションを塗っていたようでグチャグチャと音が響き、その粘った音もまた荒北の聴覚を犯す。
「あっ、し、んかいっ……それ、ずりィって……」
 シンクを握る手に力が籠る。下半身からの快感で頭に血が上り、頬が紅潮して視界が潤む。
「ほら、塗らねぇとローション落ちちまう。やらねぇんならここでやめるけど」
 どうする?と囁かれても、ここで止められるわけがない。こすられる性器は早く吐き出したいと張りつめているし、新開に躾けられた身体がこの先の挿入を待って疼いている。
「出したいんだろ? ここ、すげぇ膨らんでるもんな」
 膨らみを確かめるように陰茎を握る左手がねっとりと上下に扱く。射精感が募るたびにカリ首を強く握られて、その息苦しさが我慢できなかった。
「クソッ……!」
 チッと舌打ちして仕方なく右手を動かす。人差し指を穴に添えて軽く潜らせると、垂らされたローションのおかげで指は容易に中へ入った。さらに中指も追加して、肉壁をほぐしながらローションを内側に塗りこんでいく。
 指で掻き回すたびに口から漏れる荒い息も、新開が背中に口づけするたびに立てるリップ音も、すべてが荒北をより欲情させる。首を動かして後ろを見ると、舌舐めずりする新開と目が合った。垂れた目が欲の熱を灯して荒北を見据える。
「しんか……も、でっからァっ……いいかげ、んっ、いれ……ろって……!」
「んー……そうだな。オレももう我慢できねぇ」
 ビニールを千切る小さな音がして、コンドームの空袋がシンク横に乱雑に投げられた。それを横目に見ながら、もうすぐの挿入を期待して荒北が唾を飲む。
「よくできたな。おりこうさん」
 ちゅ、と耳元にキスを落とした新開が荒北の指を引き抜いた。代わりに自分の指を入れて中を拡げ、「やわらけぇ」と呟くように言う。グチャグチャとひとしきり音を立てて掻き回すと「挿れるな」と性器を割れ目にあてがった。それでもまだ挿れず、焦らすように割れ目の上を滑らせる。わざと卑猥な音を立てられて、後孔をこすられるたびに挿入されないもどかしさが荒北の気を急かした。
「しんかァい、早くっ、はやっ……は、あッ、ま、だかよっ」
「ん? んっ……焦らしたほうが好きかと思ってさ」
「なっ、テメー! なにあそんで――ッ!」
 突然の容赦のない挿入に仰け反って天を仰いだ。「焦らしてよかっただろ?」と囁く声に睨み返す余裕もない。ローションにまみれたその部分は容易く新開を受け入れた。思い切り奥へ差しこまれ、遠慮のない律動で全身を大きく揺すられる。
「やばい……うッ……靖友、すげえ気持ちいい……締めつけ、やばい……」
「うっせ、えッ……んんっ! はっ、んッ……あ、あぁッ、しんかァ、いっ……」
「んっ……はぁ……は、はッ、靖友、靖友」
 打ちつけるような腰の動きにシンクがガタガタと揺れ、調味料の小瓶が触れ合って音を立てた。突き上げられる快感に踏ん張る足の力が抜けていく。膝が震えて崩れ落ちそうになり、シンクの縁に伏して必死に身体を支えた。
 無防備な背中を手のひらが撫で、肩に歯を立てられる。荒い呼吸ごと「好きだ」と何度も囁かれた。まるでなにかを確かめるように繰り返し好きだと告げる。
「もッ……ん、はァ、あ、しんかっ、い……」
「う……はぁ、はっ……も、イキそ?」
「あッ、あぅ、あ、はぁッ……あッ、イク……イクッ……!」
 焦らされた分の強い快感が足元から頭へ奔り抜ける。声を抑えようと自身の腕を噛みながら白濁した精液を足元に撒き散らした。
「あ……あ、はぁ……う、んッ……」
 渇いた喉が苦しくて無理やり唾を飲み込む。自分の身体を支えきれず、新開が体内から抜けるのも構わずにそのまま床にへたり込んだ。肩で大きく息をつきながら、濡れた床をキッチンペーパーで手際よく処理していく新開を惚けた目で見ていた。
「大丈夫か?」
「ん……だいじょぶ」
 掠れ気味の声に新開が満足気な笑みを浮かべる。そして「向こう行こうか」と肩を抱かれて、そのまま寝室に場所を移した。

 大きく開かれた股をさらにこじ開けるようにして新開が押し入り、荒北はまた奥深くまで犯される。最初は気遣ってゆっくりと、だが次第に腰の律動は早くなり、シーツを握る荒北の手にも力が籠る。
「靖友」
 そう囁く彼の顔がいつもとはどこか違うような気がした。眉を寄せて寂しげな表情を見せ、好きだと言いながらも悲しい顔をするのはなぜなのか。「んだヨ……」と目の前の頬に両手を伸ばせば、新開はその手に頬をすり寄せてまた「靖友……」と呟く。
「んな泣きそうな顔すんなヨ」
「ん……」
「おら、笑えってェ」
 荒北はニッと歯を見せながら新開の首を引き寄せて唇を求めた。舌を挿し入れて舐め回すように動かせばそれに応えるように新開の舌も絡む。
「靖友……好きだ、好き」
「ん、ふ、あッ、んなもん、ちゃんとッ、あ、あ……わかってるって……どーしたァ? しんかいィ……」
 問いかけにも応えない新開は何度も「靖友」と呼んで腰を打ちつけていた。名前を呼ぶ声に荒い呼吸が混じり、荒北をきつく抱きしめたと思えば身体を震わせて動きを止める。荒北の体内で新開の性器が射精の脈動を繰り返していた。
 新開はしばらく荒北に覆い被さったままだったが、身体を起こすとゆっくり腰を引いた。ずるりと性器を引き抜かれ、2度目の射精に向かっていた荒北は濡れた目に不服さを込めて新開を見つめた。
「大丈夫。まだ終わってねぇよ」
 そう言って荒北の頬をひと撫でした新開は液だまりのできた避妊具を取り外すと、器用に縛って新しい袋に手を伸ばした。歯で噛み切って素早く装着させ、再び荒北の股を割って腰を落とす。
 自分を塞ぐ衰えない硬い感触に甘いため息が溢れた。律動が再開し、荒い腰の動きに翻弄されて目を閉じる。新開の背中に手を伸ばし、離れないようにと足を絡めた。
 
 繰り返し求められたせいで身体はへとへとだった。達したあとの充足感と疲労が眠気を誘う。まどろみの中で頬を撫でられ、くすぐったさに首を竦めた。
「くすぐってェからァ」
「靖友、ごめんな」
「……なんに対してのゴメンだよ。また今日も抱き潰してゴメンのゴメンかァ? オレのケツ、ちゃんとついてるゥ?」
 おどけながら隣りに横たわる新開の髪をクシャッと撫でる。だが彼はなにも応えず、無言のまま荒北の手を握り返した。
「もー寝る……」
 まるで猫のように背を丸めて目を閉じる。背後から抱きついた新開がまた「ごめん」と囁いたが、「だからなんのだヨ」と問いかけるのも億劫でそのまま眠りに落ちていった。
 
*
 新開の海外移籍が確定したのは約一週間後のことだった。
 チームキャンプのためになるべく早く合流してほしいという要望もあり、当初の予定よりも出発が1ヶ月も前倒しになってしまった。移籍手続きやオランダでの新居探し、コーディネーターとの面接などで新開は家を空ける時間が増え、荒北も資格取得に向けた勉強が忙しくてすれ違いの生活が続いていた。
 一緒に迎える最後の夜。久しぶりに顔を合わせた新開は疲労の色が濃く現れていて、心配する荒北に「大丈夫」と笑ってみせる顔もどこか曇って見えた。
 食事を終えて後片づけする荒北に「靖友」とと声がかかる。濡れた手をデニムに拭いながら振り返ると、カバンを持って立つ新開がいた。翌日の出国時間が早いので、今夜は空港のそばのホテルに泊まる予定だった。
「もう準備できたのか?」
「ああ」
「……もう行くのか?」
「ん……悪いな。時間取れなくて」
「いや、しょうがねーだろ」
 まだ行くな、と寂しさが口をつきそうになって慌てて言葉を飲みこむ。この先一生会えなくなるわけでもないし、新開が先に夢を叶えただけであって次は自分の番だ。悲しいのは一時だけですぐに追いついてみせる。
「怪我だけはすんなヨ。せっかくのチャンスなんだ。怪我なんかでつまんねー思いだけはすんな。それに、すぐに追いついてやっから覚悟しとけヨ。オレもメカニックになってぜってー行ってやる」
 そう言って新開の肩を軽く叩くと、「ありがとう」と新開が微笑んだ。が、次に彼の口から出た言葉は思いもよらないものだった。
「あのさ、もう終わりにしないか。オレたちの関係」
 静かな声だった。あまりにも平然と言うので言葉の意味を理解するまでに時間がかかった。
「え……は? 今、何つったァ?」
「だから、終わりにしようって……別れようっていう意味なんだけど」
「んなことはわかってンダヨ。てか急に何で。なんかあったワケェ?」
 なんかのジョーダン?と鼻で笑ってみても新開の表情は変わらず、荒北の笑顔もすぐに消えた。
「いや……前から思ってたんだ。それがお互いのためなんじゃないかってさ」
「ハァ!? 急に何言ってんだオメーは。いきなり終わりって……は? なんだソレ」
 言葉を発するたびに声が大きくなるのを止められない。声の大きさに伴って身体の末端からは体温が抜け落ちていくようだった。指先と膝が自然と震えて、その震えを止めようと握ったこぶしが冷たい。
 唐突に告げられた別れの言葉に、荒北の頭の中は混乱してグチャグチャだった。次第にフツフツと怒りが湧いてきて、冷静な判断ができなくなる。新開は前から考えていたと告げた。そんな素振りを微塵も見せなかったこのパートナーに、わけがわからずいらだって舌打ちする。
「は!? 別れる? なんで? オレ、なんかしたわけェ? つーか、前からってなんだよ。今までなんも言わなかったくせに、このタイミングで言うかァ!?」
「靖友、とりあえず落ち着いて聞いてくれ」
「あぁ!? 落ち着け? お前、この状況でお前がそれを言うのかよ……ハッ! 落ち着けるわけねーよなァ!?」
「とりあえず少し考えてくれないかな」
「あ? 考えるってなんだよ。オレは別れるなんて思ってねーから! だから考えねェ」
「……靖友」
「ずいぶん一方的じゃねーか……んなこと言われてもなぁ、はいそうですかって言えるわけねーだろ」
 新開の顔を睨んでみても彼は困ったように微笑むだけでなにも言わなかった。しばらく待っても「ごめん」と呟くだけで続く言葉がない。そしてチラリと腕時計を気にする仕草に、荒北の中でなにかが千切れた。
「……テメーはそれでいいんだな」
 驚き。
 怒り。
 悔しさ。
 みじめさ。
 ドッと溢れてくるたくさんの感情を我慢しきれず、目頭が熱くなって新開の姿が滲む。
「ずっと考えてたとか……ナンも言わなかったくせに……お互いのためとか言ってっけどなァ、移籍の件だって黙ってたのは落ちたらカッコ悪りぃからだとか言ってたけど、ホントはどーなんだよ! どうせこうやって置いてく気マンマンだったからなんだろォ!? テメーは移籍も決まってお気楽なもんだよなァ。ひとりでなんでも勝手に決めて……オレはなんにも知らねーで今まで……」
 冷静に考えられる状態ではなく、感情のままに言葉をぶつけるしかなかったが、最後は言葉にならず嗚咽で消えた。近寄る新開を腕を振り上げて拒み、顔も見れず、押しのけるようにして自室に逃げる。同棲を始めた日から数年。初めてドアに鍵を下ろす。
 ノック音にも「靖友」と呼ぶ声にも応えなかった。ドアに背を向け、両膝を抱えるようにして床に座り込む。
「靖友、ありがとな……元気で」
 そう告げて足音が遠ざかり、次に聞こえた音は玄関を開ける音だった。静かにドアが閉められ、音のない室内に施錠する音が響いた。

 
 それからどのぐらいの時間がたったのか、荒北は座りこんだまま動けずにいた。自分の嗚咽以外はなんの音も聞こえず、新開の戻る気配もない。疲れた重い身体を起こすとなんとなく新開の部屋へ向かった。
 扉を開けて驚いた。買取り待ちの家具以外はほとんどの荷物がなくなっていたからだ。残されていたのは荒北が貸していた漫画や、荒北の服が入った衣装ケースだけ。すべての荷物を向こうに持って行ったとは考えられないので、会わないうちに新開が処分していたのだろう。
「さみぃ……」
 そう呟いて身体を抱くように腕をさする。取り残された2DKの家はやけに広くて、自分の立てる音が響いて聞こえた。

 
2.
 4月だというのにオランダの空気は肌寒く、手に持っていたブルゾンを羽織ってもなお身に染みる。
「さみぃじゃねーか」
 ブルッと小さく身体を震わせた荒北は手に持った地図を見ながら足早に鉄道ホームへ向かった。
「黄色と青……黄色、青……」
 アムステルダム市内行きの電車は黄色と青の2色に塗られている。それを目印にしてウロついていたが、タイミングよくホームに到着した電車を発見して2階席に乗り込んだ。
 席を確保して落ち着いたところで、荒北はデニムのポケットから折り畳まれた紙を取り出した。ずっと持ち歩いているせいで折り皺が深くなってしまったそれは、1年以上も前に開催されたとあるロードレースの記事だった。破かないようにていねいに皺を伸ばしながら広げて、何度も眺めてきた写真をまた眺める。
 表彰台の檀上で花束を掲げている彼は、トレードマークの垂れた目を笑顔でさらに緩めていた。レース後の解放感を味わうようにチームジャージの襟元は大きく開けられ、日焼けした肌にシルバーのネックレスがよく映えている。
(これ……)
 荒北はそっと写真を指で撫でた。写真の中のチェーンには、荒北の指に嵌められているものと同じ指輪が提げられていた。
発車を告げるベルが鳴り、ほどなくして電車が動き始めた。覚悟を決めてきたはずなのにそれでも不安で心が揺れる。気休めに車窓から外を眺めても過ぎていく景色はまったく目に入らない。
 荒北は腕時計に視線を走らせた。アムステルダムまでは約20分。この時間は一生忘れないだろうと思いながら、汗で湿る手のひらをデニムにすりつけた。
 
*
 運河沿いにあるアムステルダム中央駅で路面電車に乗り換え、目的地最寄りの公園で降車する。
 自転車競技の盛んなヨーロッパだけあって街中にも自転車乗りは多かった。黒いロードバイクを見かけるたびに緊張が奔り、人違いだったと脱力する。歩きながらずっとその繰り返しだった。
「チッ……なぁにやってんだオレはァ」
 両手で軽く頬を叩く。「うっし!」と気合を入れ直してまた歩き始めた。目的地が近づくにつれて荒北の中には不安と怒りが入り混じり、よくわからない興奮に包まれていた。
 別れを告げられたあの日から約2年。今日までの間に言いたいことも聞きたいこともたくさん増えた。無事に会うことができたならなにから言ってやろうかと、それだけを考えながらひたすら歩く。
 道沿いの並木が途切れるとようやく目的地が視界に入った。守衛が立っているゲートに掲げられた看板にはチーム名と自転車のイラストが描かれている。ついに辿り着いたと意識した途端に鼓動が速くなり、深呼吸をひとつしてから守衛所に近づいた。
 初老の男性に「英語はできるか」と問いかけると、荒北よりも流暢な英語で「どうかしたのか」とにこやかに返された。身振り手振りを駆使して友達に会いにきたと告げ、いるなら呼んでほしいと依頼したが、どうやら午後の練習は休みらしい。ただ、何人か残っているから外から見てみたらどうか、と守衛がグラウンドの方向を指さす。お礼を言っていつもの癖で軽く会釈をすると「Japanese “aisatsu”!」と守衛が声をあげ、隼人と同じだと言って頬を緩めた。

 言われた通りに道なりにしばらく進むと、塀が途切れた先には柵に覆われた広大なグラウンドが広がっていた。すり鉢状に造られたコースの上で数人が自転車を走らせていたが、本格的な練習ではなくラフに流して走っているようだった。
 観客用と書かれた看板を見つけた荒北はそれに従って階段をのぼった。階段はトラックを見下ろせるスタンド席に繋がっているらしく、親子連れや老人といった先客が選手たちをのんびり眺めていた。
「でけぇもんだな……」
 コースをキョロキョロと見渡しながら、荷物を足元に置いた荒北は柵から身を乗り出すようにして姿を探した。だが、コースを走る選手の中にも、ストレッチをしながら談笑している中にも求める人物が見当たらない。
別れてから一切連絡を取っていないし、誰かに近況を聞いたりもしなかった。別れに納得していない荒北は絶対自分からは連絡をしないと意地を張りつづけ、そのおかげで彼が現在どこに住んでいるのかも知らない。なんとなくここに来れば会えるような気がしたがそう上手くはいかないらしく、守衛所でなんとか住所でも聞き出せないかと再び重いスーツケースに手を伸ばした。
「Hey, Wait! Wait!」
 英語に慣れない荒北はそれが自分を呼んでいるのだと思わなかった。肩を叩かれて振り返ると、子供の手を握る男性がグラウンドを指さしている。
「ん? オレェ?」
「Yes! Face that way!」
 グラウンドに目を向けると、先ほどの守衛がスタンドを指さしながら隣りに立つ人物に話していた。
 元から大きな瞳をさらに見開き、半端に開いた厚い唇がなにか呟く。「靖友」と呟いたかもしれないし、もしかしたらそれ以外の否定的な言葉かもしれない。それでも荒北の心臓は突然の再会に大きく跳ねて、咄嗟に「新開!」と叫んでいた。ハッとした様子の新開が「入口で!」と荒北が歩いてきた方向を指さし、そして返事も待たずに駆け出す。荒北も弾かれたようにスーツケースを掴んで慌てて階段に向かった。
「クソッ、重ってぇんだヨ!」
 スーツケースと工具箱を引きずって必死に走る。ガタガタと大きな音を立てながら走っていると、前方から同じように息を切らせた新開が駆けてきた。だが、彼は荒北の数歩手前で足を止めた。
「……靖友、本当に靖友なんだな」
「よぉ、新開」
 目の前で立ち尽くす懐かしい姿に息が詰まった。言いたいことはたくさんあったはずなのに、なにひとつとして出てこない。彼の顔を見た時点ですべてがきれいに吹き飛んでいた。
 どちらも無言のまま、呼吸を整える音だけがふたりを包む。車も人も通らず、シンとした中で先に口火を切ったのは新開だった。
「なんで……なんでここに居るんだ?」
 そう言って荒北へ手を伸ばしかけたがすぐに下ろし、口を閉じてなにかをこらえるように唇を噛む。
「なんでって……追いかけてきたからに決まってんだろ。ここまでくんのにちっと時間かかっちまったけどな」
「追いかけてって……オレたちはもう終わったはずだろ。あの日――
「オメーが勝手に終わらせただけだ。理由も言わねーで、んなとこまで逃げやがって。オレには終わらせた覚えなんてねーンだけどォ」
 荒北が一歩前に歩み寄る。すると合わせたように新開が一歩後ろへ下がる。
「オレは別れるなんて言ってねーし、この先も別れる気なんてねェし、そもそもまだ別れてねェ。オメーだってほんとはそう思ってンじゃねーのかよ」
 新開に詰め寄って襟元から覗くチェーンを引っ張ると、そこには思った通りに指輪が揺れていた。もう何年も前、ふたりで揃えた唯一の指輪だった。
「お前、オレらは終わったって言ったよなァ。じゃあなんで今でもつけてんだヨ」
 新開の目を覗きこんでも彼は視線を逸らすだけでなにも話そうとしない。
「なァ、なんとか言えヨ。ほんとに終わらせたってんなら、ンなもん捨てりゃあいいじゃねェか」
 それでも黙ったままの新開にいらだって軽く舌打ちした。なにも言わないのなら、と胸倉を掴んで引き寄せる。ようやく合わされた目は丸く見開かれていたが無視して強引に唇を重ねた。
「やす、とも……ここ、外……」
「ハッ! んなもん関係ねェ。どうせ知ってるヤツなんて誰もいねぇんだ。見られたってなんでもねぇ。とにかく、あんな一方的な別れ話じゃオレは納得してねぇんだヨ。終わらせたってのは本心じゃねぇんだろ?」
 頼むからなんか言ってくれよ、と手を伸ばして新開の首元で揺れる指輪をつまんだ。すると、顔を歪めた新開が絞り出すような声で応える。
「靖友はなにもわかってねぇんだよ。オレはおめさんのためを思って別れようって言ったんだ」
「ハァ? オレのため? んだよそれ」
「……この先のことも考えた結果なんだ。オレたちは別れたほうがいいんだよ。わかってくれよ、靖友……」
 もういいだろ、と言って新開が背を向ける。歩き出した背中を引き止めようと「新開!」と大声で名前を呼んでも振り返りもしない。
「新開っ! オレはどこまでだって追いかけるからな!」
 ビクッと肩を震わせて新開が立ち止まった。その背後に歩み寄って肩に手をかける。
「なぁ新開、あれからもう2年だ。それでも、今でもお前が好きだって言ったら……お前、引くか?」
 触れた肩が手の中で小さく揺れる。
「ハッ! どっかで聞いたセリフだろ? オレん中ではまだなんも終わっちゃいねぇ……お前の写真を見かけたとき、まだ指輪持ってたんだなって……スゲェ嬉しかった」
 無理やり振り向かせた新開に自分の右手をかざす。めったにつけることのなかった薬指の指輪が日差しを受けて鈍く光っていた。
 新開が指を見つめながら荒北の差し出した手を掴む。立ち去る様子は見えず、ようやく引き留めることができたと安堵した。そして伝えるなら今しかないと、ずっと考えてきた言葉を必死に探す。恨み言も愚痴も泣き言も今日までの想いも、すべてひっくるめて一番に伝えたいこと――
「なぁ新開」
 静かに呼ぶと、手を掴んだままの新開が顔をあげた。
「オメーにもまだ気持ちがあるってんなら……オレの人生、この先全部をオメーにくれてやっから、死ぬまでずっと一緒にいてくれ」
 一旦言葉をそこで区切って深く息を吸う。自身の手を握る新開の手に、左手を重ねて包んだ。
「もし、オメーが断ったとしてもだ……オレはこの言葉を二度と誰にも言わねェ。そんくらい覚悟してる」
 瞬きもせずまっすぐに見つめてくる垂れた瞳を、視線を逸らさずに見返す。新開の返事はなく、それでもなお想いを込めて見つめつづけた。
 見開かれた新開の目が徐々に潤み始めて眉が寄る。泣くのかと思ったが新開は唇を噛みしめて下を向き、次に頭を上げたときにはすでにいつもの表情に戻っていた。相変わらず言葉はなかったが、スーツケースを掴むと荒北の手を握ったまま足早に歩き始めた。
「お、おい! なぁ、新開!」
 無言のままただ手を引かれて歩く。どこへ向かうのかもわからず、従って歩くしかなかった。

-ペダル:新荒
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int(1) int(3)