【新荒】愛情過多と甘い弾丸 【2016荒誕】

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大学生の新荒です。
(※2016/04/02 荒北さん誕生日用)
 

≪前置き≫
 4/1金曜日、もうすぐ23時半を迎えようとしている。
 金城真護に肩を組まれて歩く荒北靖友は酒に呑まれてすでに正体をなくしていた。いつになく高いテンションで上機嫌に笑い、そのたびに身体を揺らすせいでふたりの足がもつれる。
「こいつはやっかいだな」
とため息をつく金城の気も知らず、荒北はのんきにゲフっと濃いアルコールの匂いを吐き出した。だが、そんな荒北が
「なぁ金城ォ、オレはアイツがさぁ」
と熱のこもった口調で話し始めたものは、驚くべきことに彼の恋人についてだった。

 

 新開の携帯電話が鳴ったのは日課の筋トレメニューをちょうど消化し終えたときだった。着信相手はもちろん彼だったが、なんだか珍しいなと思いつつ通話ボタンを押す。
「もしもし、靖友? 終わったのか? オレならもうおめさんちだよ」
「あー……すまない、荒北じゃないんだ。オレは――
 電話の向こうが騒々しいせいか名乗る声がうまく聞き取れない。それでも聞き覚えのある低い声から通話相手の顔はすぐに浮かんだ。
「金城くん、かい?」
「ああ。ちょっと事情があって荒北の携帯電話を借りているんだが……その……今から駅前まで迎えに来れるか?」

 

*
 キーケースから取りだした鍵は新品で傷がない。ピカピカに輝いているそれで施錠したあと、新開はフッと笑みを浮かべながら大切そうにまたケースのなかへ入れた。
 新開の手元にあるこの鍵は、この日のために荒北が用意してくれたものだった。予定を合わせてどちらかが会いに行くとき、大抵はどこかで待ち合わせをするのでこれまではスペアキーを必要としたことがない。
『ポストに入れとく。オレがいなくても勝手に入ってていいからァ』
 メールで送られてきた暗証番号で郵便ポストの鍵を解除すると、郵便物の一番下に隠すようにしてこの鍵が置かれていた。
 鍵を預けるという行為は多大な信頼を寄せてくれている証であり、プライベートへの自由な立ち入りを許されたようなものだ。ただの合鍵ひとつでも、それは特定の相手だけに与えられる特別なもの。荒北の特別な相手でいられることと、荒北という特別な相手がいることを新開はなによりも嬉しく思っている。

 駆け足になりながら駅前への道を急いだ。普段は飲みに行ってもケロっとしている荒北だが、今日は金城が代わりに電話をよこすほど酔っているのだという。
(珍しいよな……なんかあったか?)
 荒北を心配しているのは大前提だが、そこに若干の嫉妬が混じっていることを自覚して思わず新開は苦笑した。
 荒北が酔って正体をなくすほどに気を許せる仲間が大学にもいる。それは喜ばしいことのはずなのに、どうしても素直にそう思えない。どうやら自分は“自分の知らない場所で”ということが悔しいらしいが、もちろんそれを荒北に言うつもりはないし、嫉妬したからといって彼の仲間たちへあたるつもりもない。いつだって荒北の前では“包容力と余裕のある彼氏”としてカッコつけていたいのだ。
「靖友! 金城くん!」
 駅前の大通りにふたりの姿をみつけて駆け寄ると、金城に肩を組まれて歩く荒北の足元はおぼつかず怪しいものだった。金城も酔っているだろうし、細身とはいえ178センチの酔っぱらいを支えて歩くのは重労働だっただろう。
「金城くん、大丈夫か?」
「ああ。オレは平気だが、わざわざ呼び出してすまなかったな」
「いや、気にしないでくれ。靖友は? 大丈夫か?」
 ゆっくり顔をあげた荒北はどれだけ酒を飲んだのだろう。いつになく赤い顔をしていて、焦点が合わない潤んだ目で新開に微笑んでみせる。
「へへ、新開だァ」
「この顔は……おめさん、今日はずいぶん飲んでるなぁ」
 この日の飲み会は自転車競技部の面々が計画した荒北の誕生日を祝うものだった。金曜の夜ということもあって、おそらく散々飲まされたのだろう。新開はふらつく荒北を支えると、「ありがとな」と交代するようにして荒北の肩を組んだ。ふぅ、とひと息ついた金城が組んでいた肩を廻しながら荒北を眺める。
「珍しく荒北の飲むペースが早くてな。それでおもしろがって周りも飲ませすぎたんだ。今日の荒北は一日中テンションが高くて、なにかおかしいとは思っていたんだが……新開が来ていたからなんだな。納得した」
「え?」
「いや……なぁ新開、その、なんというかだな……」
 気まずそうに金城が口ごもり、「これは聞かされたというか、不慮の事故のようなものというか……」と続く言葉も歯切れが悪い。慎重に言葉を選んでいるように見えたので口を挟まず待っていると、金城が口を開くよりも先に荒北が金城のジャケットを掴んで引っ張った。
「ほら、な? 言ったとおりだろォ?」
「あっ、荒北待て、お前はまたっ――
 金城が慌てて荒北の口を塞ごうとしたのだが、その手をうまく躱した荒北が逆に金城の手を掴んだ。そして新開を指さしながら「なぁ金城ォ、オレはコイツがさぁ」と突然荒北が語り始め、驚くべきことに彼の口から飛び出したものはただの惚気話とかわいい愚痴だった。
 新開からのメールを楽しみにしているが、最近はやり取りする時間が減っているので不安になっていること。それでも催促するのも詮索するのもプライドが許さないので、モヤモヤしながら黙っていること。高校時代からモテる彼氏が心配で本当はヤキモチでいっぱいなこと。ほかにも新開がどれだけかっこいいのか、どんなところが好きなのかを事細かく説明し、
「とにかくコイツは誰にもやんねーからァ!」
と強い口調でまくし立てる。
 呆気に取られている新開とは対照的に、金城は気まずそうな顔でなんとか荒北を止めようと必死だった。
「荒北、それはさっきも聞いたから大丈夫だ。な?」
「いろいろメンドクセーって思うときもそりゃあある! つーか、めちゃくちゃある。でもなァ、それでもやっぱ好きなんだヨ、オレは。新開のぜんぶがさぁ……」
「そ、そうか」
「ぜんぶだぞ、マジでぜーんぶ! でもさァやっぱいろいろあるワケよ。今は離れてンだろ? あんま会えねぇからァ、オレの知らねーとこでなんかしてんじゃねぇかとかさぁ……ほら、アイツ顔だけはムダにいいだろ? だからァ昔っからモテるわけェ……くそムカつくけどナ。なぁ金城、お前にこのオレの苦労がわかるゥ?」
 荒北が金城の襟元を両手で掴んで詰め寄り、「そうだな、大変だよな」と金城がなだめながら目で新開に助けを求める。
「や、靖友、とりあえずこの手は離そうか」
 戸惑いながらも荒北を引き剥がそうと彼の肩を掴んだとき、その声に反応した荒北が振り向いて新開に顔を近づけた。そして鼻の頭がくっつきそうな距離でじっと見つめると、なにかを疑うようにスッと目を細める。
「お前……いっつもバカみてぇに好きだ好きだ言うくせに、最近はなんでなんにも言わねぇンだよ。もしかして、もう好きじゃねぇとか言うんじゃねーだろーなぁ。テメー……浮気なんてしやがったら許さねぇぞ。覚悟しとけよ。オメーも相手もぶっ潰してやっからァ」
「お、おめさんかなり酔ってるなあ」
「あぁ? バカにすんじゃねぇ。こんぐらい酔ってるうちに入んねーんだよ。で? どーなんだ。してんのかしてねーのかハッキリしろ」
「な、なにが……?」
 新開の問いかけに荒北がじっとりした目で「浮気ィ」と呟く。
「浮気って……そんなもん、してるわけねぇだろ?」
「……ホントだろーなァ」
「本当だって」
 すぐそばに金城がいるというのに荒北の追求はやまず、クンクンと鼻を鳴らしながら「嘘くせぇ」となおも疑ったような目を向けてくる。チラリと金城の様子を伺うと彼は気を遣ってかこっちを見ないようにしていたが、それでもこの会話はばっちり聞こえているはずだ。このままでは埒があかない気がした新開は、ゴホンと咳払いをして「オレが好きなのはいつだって靖友だけだ」と荒北の耳元に囁いた。
「……ホントにィ?」
「本当に」
 力強く頷いてみせるとへらっと表情を崩した荒北がまた金城に視線を戻す。
「ほら金城ォ、よく見ろってこの顔! すげぇいいツラしてんだろォ? 垂れ目でかわいくてェ……あ、でもな、たまーにすげぇオスみてぇな顔もすんだぜ。あの目で見られっとさぁすげぇ勃つっつーか、ちんこにクるっつーか……へへ、あれはなオレだけの秘密。金城にも誰にも見してやんねー」
「荒北、もういい! もう充分わかったから大丈夫だ。な?」
「あ、そォ? わかってくれたぁ?」
 戸惑う金城と新開をよそに荒北はしゃべりたいだけしゃべって満足したのか、ふにゃふにゃと新開の首に抱きついた。しがみついてすりすりと頬を寄せながら甘い声で「しんかいチャン」と呼ぶ。
「これは……まいったなあ」
 新開は豹変した荒北に驚きながらも、恥ずかしさと嬉しさが入り混じる複雑な気分でいた。ジンジンと耳が熱くてまともに金城を見ることができず、なにか言わないとと思ったがなにから話せばいいのかわからない。沈黙と気まずい空気が流れたあとで、咳払いをした金城がおもむろに口を開いた。
「……お前たちがどんなつきあいなのかは……なにも……オレはなにも聞かなかったことにする」
 批判や非難を覚悟していたが金城の発した言葉は予想外のものだった。思わずホッとしてため息をつき、「……助かるよ」と言いながら静かになった荒北に視線を移す。ことの発端となった荒北はふたりの気も知らず、新開に凭れながらこくこくと船を漕ぎ始めていた。
「たぶん靖友も明日になれば覚えていないだろうから、こんなに酔ってたってことも言わないでほしいんだ。なんとなく……これはオレが勝手に思ってるだけなんだけどさ、靖友は誰にでもそうなんだけど、特に寿一や金城くんには弱い部分を見せたくないんじゃねぇかなって。もともと素直じゃねぇし強がりだし見栄っ張りだけど、金城くんを信頼してるからこそ対等の関係でいたいんじゃないかな」
「ああ」
「酔っていたとはいえあんな恥ずかしいことをしゃべっちまったからな。靖友が知ったら憤死しちまいそうだ」
「そうかもな」
 新開につられた金城がフッと笑みを浮かべて荒北を眺め、また新開に視線を戻す。
「……なぁ新開」
「ん? なんだい?」
「なんというか……お前も大変だな。こんな猛獣を手懐けて扱うなんてのは、オレにはなかなか荷が重い」
「そうかな。靖友は金城くんにも懐いてるみたいだぜ。よく楽しそうに話してる」
「そう、なのか……?」
「ああ。つい妬いちまうくらいな」
 新開がわざと意地の悪い微笑みを浮かべると、慌てた金城が「いや、オレは無害な男だから心配するな」と降参するように両手をあげた。
「わるい、妬いちまうってのは冗談だ」
「……新開の冗談は冗談に聞こえないな。心臓に悪い」
「ハハ、それ、靖友にもよく言われてるよ。お前の冗談はわかりにくいし、笑えねぇからやめろって」
 新開が笑った拍子に荒北が肩からずり落ちそうになり、このまま寝てしまいそうなのでしかたなく背負うことにした。荒北を背に乗せようとして新開がいったん屈むと、金城が横から支えて乗せるのを手伝う。
「今日は荒北のためにこっちに来たんだろう? 遅くまでつき合わせて悪かったな。おまけにここまで迎えにこさせてしまった」
「いや、飲み会のことは前から聞いてたし、それでも無理言って静岡に来たのはオレのほうなんだ。チャリ部のみんなが祝ってくれるんだって、すげえ嬉しそうに話してたぜ? そういうの靖友はあまり顔に出さないだろ? でも、本当は照れて言えないだけなんだ。おまけにあまのじゃくだから『誕生日祝いなんてガキじゃねーんだから別にいい』とか言わなかった?」
「ああ。面倒だ、迷惑だって散々言っていたな」
「だろうな。でも本当は嬉しいんだぜ?」
 話題にされているとも知らない荒北がむにゃむにゃした口調で「もう飲めねぇ」と呟き、新開と金城は顔を見合わせて笑ってしまった。
「解散したあとで新開に電話しろって荒北がうるさくてな。新開が来る前も散々お前の話を聞かされていたんだ」
「あー……絡んでる靖友が想像つく。ほんとに悪かったね」
「いや、珍しいものを見せてもらったと思っておくさ」
「ハハ、たしかにあんな靖友はレアだよなあ。でも、内緒ってことで頼むよ。オレたちのことは誰にも話してないし、靖友にもこれまでどおりに接してほしい。あ、もちろんレースのときもオレたちはしっかりライバル関係でやってるからさ。オレと靖友がこんな関係だからって手を抜いたことはねぇし、オレも靖友もロードに乗ればつきあいなんてのは忘れちまう。とにかく自分が勝ちを獲る、それだけだから」
「ああ。わかっている」
 次のレースで会おうと言い合ってその場で金城と別れ、彼の背中が雑踏のなかに埋もれて見えなくなるまで見送った。荒北の突然の告白によって新開との関係を知らされ、引かれたり中傷されてもおかしくないはずなのに金城はなにも言わなかった。
(たぶんオレたちなんかよりもずっと大人なんだろうな)
 総北の主将としての金城のことは嫌というほど知っている。彼の諦めない走りやタフな精神力は総北のチーム内に深く浸透していて、うまくまとまったいいチームだった。箱根学園のライバルとして認めざるを得ず、見事に王者の称号を奪われたあの夏のことは苦い記憶のまま新開のなかに残っている。
「……なのに今は靖友とチームメイトだなんてさ……人生ってやつはなにが起こるかわかんねぇよなあ」
 背負われた荒北はもう眠ってしまったのだろうか。聞こえてくる呼吸音はすでに一定のリズムになり、背中に染み込んでくる体温が温かい。荒北が眠りに落ちるときはいつもよりも少しだけ体温が高くなる。それは直接肌を合わせたときにだけわかる些細なものだが、この世界ではおそらくそれを自分しか知らない。
 新開はアパートを目指してゆっくり歩きながら荒北の言葉をひとつひとつ思い出していた。
 荒北はめったに気持ちを口に出さず、たまに言ったとしても短い言葉で終わらせようとする。茶化したり軽口をたたいたりするときはスラスラと言葉が出るくせに、肝心なことになると貝のように固く口を閉ざして語らない。
 警戒心の強い野良猫。
 荒北に出会った当初はそんなイメージだったが、あれから数年たった今でも野良猫はまだ完全に懐いてくれないらしい。
「オレは靖友に全部を見せてるつもりなんだけどなぁ」
 新開はわりと感情を素直に表現できるタイプだ。好きなら好きだと伝えるし、会いたいときも寂しいときも全部隠さず言葉にする。特に今のような遠距離恋愛中は離れているがゆえに誤解を生みやすい。だからなおさら新開は、気持ちを正直に伝えることがうまくいくために必要だと思っている。
(まぁ、好きだからそう言っちまうだけなんだけど)

『好きだ好きだって……お前はよく恥ずかしげもなくペラペラと口にできるな。ったく、マジで日本人かよ。ノリがラテン系すぎンだろ』
『だって好きなもんはしかたねぇだろ?』
『開き直んなっての……つーかオメーは言い過ぎなんだヨ。何事にも限度っつーもんがあってだなァ』
『それ、おめさんが言うかい? オレが言い過ぎなら靖友は少なすぎだ』
『……うるーせよ。そう簡単に言えてたまるか』

 荒北のツンとした態度が目に浮かぶ。それでも今日は思いがけず彼の本心を知ってしまい、突然聞かされた荒北の本心は甘い弾丸となって新開の心臓を貫いた。
 新開のことを愛情過多だと言って嫌がるくせに、言葉にしないだけで本当は荒北だって同じようなものだ。そう思うと心臓のあたりからむず痒いものが這い上がってきて、嬉しさのあまり大声でワァっと叫びたくなる。
(まさか靖友と金城くんのエイプリルフールってことは……ないよな。靖友は嘘をつくのが上手くねぇし)
 いったん立ち止まった新開は、反動をつけて荒北を背負い直すと腕時計をチラリと確認した。とっくに日づけは越えていていつの間にか4月2日になっている。この日の主役である荒北は新開よりもひと足先に21歳を迎えた。
「靖友、誕生日おめでとう」
 声をかけてももちろん荒北の返事はない。それでも今年も一緒にこの日を迎えられたことが嬉しいし、荒北が寝ているとしても、とにかく新開にとってはふたり揃っていることが大事だった。遠距離恋愛という初めてづくしのなかで、それでも手探りでここまで進んできた。先のことはなにひとつわからないが、荒北と過ごす今を大事にしたいと思っている。
 道路の脇に並ぶ桜が風で揺れる。3月末の陽気で一気に咲いたらしい桜は、辺り一面に薄い花の匂いをまき散らしていた。
 ライスシャワーとまではいかないが、風に煽られた花びらがふたりの頭上にハラハラと降り注ぐ。なんだか祝福された気分になった新開はしばらくそれを眺めていたが、背中の荒北が小さく身じろいだので再び家路を急いだ。

 

**
 頭を押さえながら目を覚ました荒北は、ベッドの横に座る新開の存在に一瞬だけ驚いたように見えた。だがすぐに思い出したのか「あ、わりい。来てもらったのに寝ちまったのか」と謝りながら前髪をクシャクシャにかき回す。そして小さく「頭いてぇ」と呻いて眉間に皺を寄せた。
「二日酔いだな。水飲むかい?」
「ん……わりぃ。つーか、マジでごめん。お前が来るから飲み会も早めに終わらせて帰るつもりだったのに……って、そういやどうやって帰ってきたんだ?」
「迎えに行ったよ。で、背負って帰ってきた」
「え……すげぇタチわりぃヤツじゃねーか。背負われるとか最悪すぎんだろ」
「いや、いろいろ楽しかったから大丈夫だ」
「楽しかった? 背負うのが?」
「まぁ、いろいろと」
 言葉を濁した新開に「……変なヤツ」と呟きながら荒北は枕元の携帯電話に手を伸ばした。そして「あー……マジで電話してんな」と嘆いて目を覆う。
「なぁ靖友、金城くんはいいヤツだな。彼のことは大事にしろよ」
「は? 金城? なんでお前がそれを言うわけェ?」
「ええと……昨日な、金城くんが途中まで送ってくれたんだ」
「マジかよ。また貸しが増えちまったな……」
 くそ、と言いながら身体を起こした荒北は、水の入ったペットボトルを受け取ると一気に半分まで飲み干した。唇の端からこぼれた雫が顎を伝って流れ落ち、その跡を辿るように新開が舌で舐めとる。ふいの出来事に目を丸くした荒北は驚いて身を硬くした。
「……なんだよ」
「いや、今日はおめさんの誕生日だからさ。オレなりに奉仕しようと思って」
「……だからって舐めんなっつーの。舐めたってうまかねーだろ」
「どうかな。もっと舐めねぇとなんとも言えないな」
 新開が自分の厚い唇を舐めながらウインクすると、荒北は「今間に合ってマス」と他人行儀な言いかたで先に釘を刺した。そして「昨日は酔い潰れてよかったかもなァ」とおどけて笑う。
「オレが昨日意識あったらさァ、お前に抱き潰されて今日が命日になってたぜ、きっと」
「命日って……おいおい、オレは靖友のなかで一体なんなんだ? そこまでするつもりはないし、いつも充分労わってるつもりだぜ?」
「ハッ! ほんとかよ」
 荒北が疑いの眼差しでじろりと睨み、その顔に昨夜の酔い潰れた面影はまったくない。それでも彼の本心を聞いてしまった今は、この愛想のまったくない顔でさえ愛おしいと思ってしまう。めったに自分の本音を明かさない彼が見せた嫉妬と甘えた顔。長いつき合いのなかで荒北のことをある程度は知ったつもりでいたが、まだまだ知らない顔があるものだ。
「なぁ靖友、腹減った?」
「ああ、そういやな」
「じゃあ花見ついでに朝飯でも行こうぜ。ってもうすぐ昼だけどな」
「花見ついで?」
「ほら、ここに来る途中に桜並木があるだろ? もう散り始めてるけど、すげぇきれいだった」
「あー、あそこな。いっつもチャリで通り過ぎっから、そういやまともに見たことねーなぁ」
「今日はオレのチャリがねぇし、のんびり歩こうよ」
「んー、まぁそれも悪くねぇか」
 ちょっと待ってろと言って荒北が浴室に消え、ドアを閉める音にシャワーの音が続く。新開はそれを聞きながらベッドに凭れて天井を仰いだ。目を閉じて桜の木の下を歩くふたりを思い描く。来年も再来年もその先も、ずっと先の未来までこのままふたり一緒に歩いていけたら……。
 年老いたところまで想像してみたがいまいちピンとこず、おまけに突然鼻と口を塞がれたせいでイメージがかき消えてしまった。驚いて目を開けると新開の鼻をつまんでいた荒北の指が離れ、そして重ねられていた薄い唇もゆっくり離れていく。
「へへ、びびったァ?」
 無邪気に笑った荒北の髪の毛から新開の頬にしずくが落ちて、やけに早いなと思ったがそういえば彼は烏の行水だった。
「びびったよ、やられた」
 仕返しに荒北の腕を掴んで引き寄せれば、屈んでいた荒北がバランスを崩して倒れ込んだ。それを抱きとめて向かい合わせに腿に乗せ、荒北の首元に顔をうずめる。湯あがりのいい匂いと、火照ってしっとりした肌が心地いい。
「おい、メシ食いに行くんじゃねーの?」
「ああ、行くよ」
「じゃあ支度しねーと」
「そうだな。でももうちょっと」
 離したくない意志表示で腕に少しだけ力を込めると、荒北は観念したのか新開の背中に腕を廻した。
 しばらくはふたりとも無言のままで身を任せ、新開は荒北の体温や呼吸、服越しに伝わる鼓動を感じていた。「今年も一緒にいれてよかった」と、思わず気持ちが言葉になる。
「……別にオレの誕生日だからってムリして来る必要もなかったんだぜ? 昨日のことはろくに覚えてねぇし、今日は今日で二日酔いだし」
「いいんだ。そばにいるかどうかが大事なんだよ」
「そうかぁ? オレは別に誕生日なんてどーでもいいけど」
 そっけない返事の荒北だが、それでも金城いわく昨日の彼は一日中テンションが高かったのだ。本当は嬉しいくせにと思ったが、それを言ってしまえば荒北の機嫌を損ねてしまうかもしれず、代わりに「オレが来たかったんだよ」と囁いてぎゅっと抱く。
「……せっかく来たのになにもしてやれなくて悪かったな」
「別にいいって」
「とかいってビミョーに反応してんのは誰だヨ」
 荒北が笑いながらわざと尻を動かして新開の股をこする。
「そりゃあね。好きなヤツが腕のなかにいて、おまけに風呂あがりのいい匂いをさせてたら誰だって素直に反応しちまうだろ」
「でもヤんねー」
「わかってるよ。だからこうしてるだけだ」
 荒北の首筋に頬ずりしてそこに軽くキスをした。そのまま愛撫しながら首筋を下りていき、鎖骨付近に強く吸いつく。ぢゅ、と音をたてて口を離せば吸いついたところに赤く花が咲いた。
「いてっ……テメー、変なとこに痕つけんなよ」
「ヤキモチやきなおめさんにあげる、オレの印だ」
「はぁ?」
「オレはいつだって靖友のもんだ。でも、あまりメールができなくてごめんな。ここんところずっとゼミが忙しくてさ。なるべく送るようにするから」
「なんだよ、急に」
 なんでもない、と言いながら荒北の腰を撫でる。背骨を辿って指を滑らせ、そしてちょうど心臓の裏側に手をあてて、
「オレだって誰にも渡さない」
と荒北に言うでもなくほとんど独り言として呟いた。だが「じゃー、オレも」と応えた荒北は、新開のうなじに歯を立てて痕を残そうと吸いついた。
「いててっ……靖友、痛い。痛いって」
 どれだけ強く吸いついたのかキスマークどころではない痛みが奔る。たまらず腕をほどいた新開は荒北の肩を掴んで無理やり身体を引き離した。荒北は不満げに眉を寄せたが、新開の首筋を確認すると「ま、こんくらい赤けりゃいいだろ」と薄い唇を歪めて意地悪く笑う。うなじに残るヒリヒリした痛みの強さから、鏡で確認しなくても思いきり吸いつかれたのだとわかった。
「おめさん、ずいぶん強めに噛んだだろ?」
 首筋をさすりながら荒北を睨んでみたが、噛んだ当人は涼しい顔で「オレなりの愛情表現」と楽しそうに笑う。
「愛情表現か……嬉しいけど、これじゃ愛情が過ぎる。あのまま食われちまうかと思った」
「ハッ! お前にはこんくらいでちょーどいいんだよ。消えねぇようにしねーと悪い虫がついちまうかもしんねーからァ」
 イーっと歯を見せながら立ちあがった荒北は、立ちあがりついでに新開の髪の毛をクシャっとかき乱した。茶化すように、それでも撫でる手は優しく。
「靖友、ちゃんと髪乾かせよ?」
「へいへい、わーってる」
 再び荒北がバスルームへ消えていったのを見届けて、テーブルに置かれた荒北のキーケースに手を伸ばした。ポケットから取り出した真新しい鍵を音を立てないように忍ばせる。それは、鍵を渡すと連絡を受けてから新開が作ってきた自宅のスペアキーだ。
「なぁ、お前はもー行けんの?」
 浴室から荒北の声がしたので彼の荷物と自分のを抱えて立ちあがり、「はい、これ」とカバンとキーケースを手渡した。なにも気づかないまま「サンキュー」と応えた荒北が玄関前でケースを開き、そして「あ」と短く呟いて新開を見る。
「オレんちの。おめさんに渡しておくよ」
「……これって……ほかに誰か持ってんの?」
「ほかに?」
「ふ、福ちゃんとか弟とか……」
「いや? 失くしたときのために実家に1本あるだけだ」
「へー……そォ」と言う荒北の口角がキュッと上がったが、それを見せまいとしたのか、すぐに顔を逸らしてなんでもないように鍵をかけ始めた。それでも荒北の横顔は明らかに嬉しそうで、キーケースを閉じる前に彼の指がスペアキーをそっと撫でる。
 ふと気づく、荒北の言動の端々に隠れた彼なりのハートマーク。
(ああ、なんだ。靖友はこんなに)
 いったん気づいてしまえば荒北の好意はそこかしこに溢れていた。
 新開に触れる手、目線、声のトーン、紡がれる言葉のなか。直接的ではないが思い当たる節がいくつもある。今までそれに気がつかなかったのは、新開が鈍いのかそれとも荒北の隠しかたがうまいのか。
 歩き出しながら「なに食う?」と訊いてきた顔はいつもの顔で、ハートマークはもうどこにも見当たらない。うまく隠すもんだなと感心しながら、もっと見せてくれていいのにと、少しだけ物足りなかった。
「おめさんの食べたいものでいいよ。今日は主役だろ?」
「んなこと言われてもなぁ……あ、そういや駅前に最近できた定食屋があんだけど、昼メシは大盛り無料におかわり自由なんだぜ。どうだ?」
「えっ、それすごいなあ。おかわり自由って何杯でもいいのか?」
「オメーはぜってー食いつくと思ったぜ。つか、何杯食う気なんだよ」
「そうだな、何杯食えるかなあ」
「ハッ! んじゃあ、調べといたからそこ行くかァ」
 新開のために調べたのだと荒北がまたハートマークをポロリとこぼし、新開の心臓をキュンと苦しくさせる。
(……これじゃあどっちが主役か)
「わかんねぇよなあ……」
「あ? なんか言ったか?」
 振り向いた荒北の後ろに桜が揺れる。荒北の誕生日を祝うような上天気な青空と満開の桜。
「今日もいい天気だよなあって。こんなに晴れるなら輪行して持ってくるんだった」
「あー、マジですげぇチャリ日和じゃねーか。二日酔いがくそウゼェけどォ」
「まぁ明日もあるし、今日はのんびりしようぜ」
「はぁ……メシ食ったらちっとはマシになっかなぁ」
 先を歩く荒北がペースを落とし、横に並んで新開に凭れかかる。人通りのない場所でだけそのままくっついて歩いた。わざと傾いて荒北にのしかかれば荒北も負けじとやり返し、
「おい、倒れるからァ。体重かけんなヨ」
「おめさんだって」
と、ふたりの笑い声がアスファルトの上を転がっていく。来年も再来年もその先も、ずっと先の未来までこのままふたり一緒に歩いていけたら……どんなに楽しくてどれほど幸せなんだろうか。でもそれはこれからゆっくり経験していけばいい。
「あ。オメーのここ、すっげー痕」
 荒北が満足気な顔で新開の首筋をつつく。「自分でつけたんだろ?」と新開が軽く睨むと荒北は悪びれもせずにニッと歯を見せた。襟ぐりから覗く荒北の首元にも同じような花が咲いていて、愛情過多はどっちもどっちだ。
「そういや、おめさんにちゃんと言ってなかったな」
「んー、なに?」
 彼がいて、ふたりで笑うこの特別な一日。

 

「誕生日おめでとう」

***END***

-ペダル:新荒
-, ,

int(1) int(1)