【新荒】キライ。嘘、やっぱ好き。

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高3~大学生の新荒です。
・新荒を書き始めて2年が経ちました~!その記念用にセルフ祝いとして。
 年々新荒愛が増していってます…。好き過ぎて怖い。
・新開さんの誕生日に欲しい物を問いかけたら「好きって言ってくれよ」と言われた荒北さん。そのすぐ後に冗談だと笑われるも、それをきっかけにして新開さんのことがどんどん気になっていく荒北さんのお話。
 また『両片想いから結ばれる新荒』のお話です。

 
「そういやなんか欲しいもんある? お前、今日誕生日なんだろ」
 数歩先を歩いていた新開が振り返り、意外だとでもいうような目で荒北を見た。
「……なんだその目はァ」
「いや、まさかおめさんが知ってたとは思わなくてさ。驚いた」
「ハッ! 知ってたわけじゃねー。オメーの欲しいもん聞いてこいってクラスの女子がうっせーんだヨ」
 荒北は小さな嘘をついた。知らない体を装ったが誕生日のことは前から知っていた。
「ったくオレをなんだと思ってんだよアイツらは……」
 なんでもなさそうな顔をして手に持った棒アイスに齧りつく。昼食後のせいか薄いソーダ味はどこか物足りなくて、別の味にすればよかったかなとふと思った。もうひとくち齧るとハズレの「ハ」の字が現れて、やっぱり違うものにすればよかったと後悔した。
「クソッ、ハズレかよ。で、なんか欲しいもんはァ?」
 少しだけ考える素振りをした新開が「特にないかな」と薄く笑う。
「え、なんも?」
「ああ」
「マジかよ。欲のねーヤツ」
「……欲がないわけじゃない。でも……いや、なんでもない。欲しいものはなにもないよ」
「あっそ。なんもねーなら別にいいけど、後からやっぱアレとか言っても遅せーからナ」
 アイスを齧りながらワイシャツの裾をパタパタ扇ぐ。それでも風はまったくなくて、雨のように降り注ぐセミの鳴き声が余計に暑さを増すようだった。  
「あっちー……つーかなんで終業式の日も部活なんだヨ。今日ぐらい休みにしろっつーの」
「まぁ、インハイが近いからな。しょうがねぇよ」
「そもそもだなぁ、わざわざクソ暑い時期にインハイやる意味あるかァ? こんなんで3日間も走ったら干物になんだろ。特に不思議チャンな」
 ならないよ、と苦笑した新開が足を止めて荒北を見た。
「なぁ、おめさんは? 靖友はオレになんかくれんの?」
「あ? オレェ? 正直考えてねーけどってなんだよ。やっぱ欲しいもんがあんのかよ」
「……ちょっとな」
「なんだァ? ったく、あるんならさっき言えよ。で、ナニ」
「……文句言わないか?」
「文句ゥ? なんだそりゃ。よくわかんねーけどとりあえず試しに言ってみろよ。あ、高けぇもんはムリだから言うだけムダだぞ。金がかかるヤツは福ちゃんか東堂に頼め」
「違うよ、金なんかかからない。オレが欲しいのはもっと別だ」
 突然表情を硬くした新開が「な、なんだヨ」と身構えた荒北をじっと見つめる。

「じゃあ……好きって言ってくれよ。オレに」
 
 暑い日差しの中、溶けたアイスが指を濡らす。本当に暑くて暑くて、頭の中が沸騰してしまいそうなそんな日だった。

 
1.
 夏休みを終えた9月。
 私立高校らしい広さを誇る箱根学園の図書室は、一角が自習室代わりに解放されている。普段は人影もまばらだが夏休み以降は訪れる生徒も多い。利用者はそれぞれの夏を終えた3年生が大半で、荒北も例外ではなく、2つ離れた前方のテーブル席にはグループ学習中の新開の姿もあった。
 照明の真下にいるせいか、新開が声を抑えて笑うたびに赤茶色の髪がキラキラ揺れる。いつの間にか頬杖をついて見入っていた自分に気がついて、荒北は頭を掻きながら手元に視線を落とした。
 ごまかすようにペラペラと捲った赤本には、たくさんの付箋がビッシリと貼りつけられている。苦手な設問に貼っていったのだが思った以上の数になってしまい、東堂や新開に『それ、大丈夫か?』と笑われたのはつい最近のことだ。
『っせーなぁ、これからだ! これからァ!』
 そう息巻いてみたものの、ようやく決めた進学先の洋南大学は偏差値がやや高い。
(よそ見してる場合じゃねーんだヨ、オレは)
 自分に言い聞かせるようにして設問に意識を向けた。
 インターハイが終わった後、荒北は放課後の空いた時間を埋めるように図書室に通い始めた。寮にいるとつい怠けて漫画に手が伸びるし、そのままダラダラとベッドに寝転んでしまう。自習室ならほかの生徒に感化されて集中できるだろうと思っていたのだが、こんな事態はまったくもって予想していなかった。まさか新開もここを勉強の場にしているとは知らなかったのだ。
 目線をあげた瞬間にちょうど振り向いたらしい新開と目が合った。笑いかけられたように見えたが、咄嗟に逸らしてしまったのでわからない。目が合っていないフリを装ってノートにペンを走らせるも、その態度は明らかに不自然すぎた。
(失敗した……やっちまった)
 うつむいた荒北の前で足音が止まり、視界の中で目の前の椅子が動く。誰が来たのかは顔をあげて確認するまでもない。
「よっ、靖友」
「……んだヨ。なんか用か」
「調子どう? 進んでる?」
「……よさそうに見えるかヨ」
 自嘲気味にノートを見せると、「どれどれ」と覗き込んだ新開がプッと小さく吹き出した。
「これはひどいな」
「んだヨ。笑ってんじゃねーぞ。なんもおかしくねーだろ」
「ええと、どうなったんだこれは」
 荒北の解法過程を小声で復唱し始めた新開が指先で計算式をなぞっていく。
「おめさん、この字自分で読めてる?」
「っせぇなァ。ちゃんと読めんだろーが」
「そう、か。オレにはさっぱりだ」
 新開が首を傾げながらもう一度ノートを覗き込む。少し伸びた前髪が音もなく垂れ落ちて、大きな瞳を囲むまつ毛をわずかに揺らした。わずらわしそうに髪を掻きあげる骨太な指には、グローブの日焼けあとがまだくっきりと残っている。
 こうして近くで顔を見るのはずいぶんと久しぶりだった。ここのところ新開を見ると胸の中にモヤモヤした嫌なものが湧いてくる。だからこそ意識的に避けていたというのに、顔を見たらみたでホッとしてしまい、それがまた余計に荒北を不機嫌にさせる。
(わけわかんねー……つーかなんか痩せてね? いや、こいつに限ってんなわけねーよな。昨日だって風呂上がりだっつーのに給湯室でなんか食ってたし。今日の昼も両手にアホほどパン抱えて歩いてたし。ってオレ、けっこーコイツのこと見てんじゃねーかヨ。あー……マジ意味わかんねー)
 見つめる視線に気がついたのだろうか。新開が顔をあげる気配がして、代わりに荒北が視線を落とした。「ココがわかんねぇんだよなァ」とわざと呟いて、ずっと問題を解いていたかのように握ったペンで赤本をトントン叩く。
「なぁ、やっぱり一緒に勉強しねぇか? オレらの中にも靖友と同じ工学部志望のやつもいるし、どうせなら人数が多いほうが励みになるだろ? それに寿一もくるし――
「やんねぇ。ひとりでいい」
 意図せず言葉を遮ってしまい、しまったと思ったが後に引けない。大きな目を瞬かせた新開はなにか言おうとして、でも、結局なにも言わずに口を閉じた。そしてしばらくしてから「わるい。余計なお世話だったかな」と申し訳なさそうに小首を傾げる。
 荒北の胸がズキッと痛んだ。さすがに言葉が足りなかったと罪悪感を抱く。
「いや……ひとりのほうが気がラクっつーか集中できるっつーか……だから、オレはここでいいンだよ。誘ってもらったのはありがてェって思ってる……その、悪かったな」
 言葉を探しながらたどたどしく謝る。苦し紛れで明らかに歯切れが悪かったが、ホッとしたような顔の新開はきっと信じてくれたのだろう。それを見ながら荒北は昨日の出来事を思い出していた。

 昨日も荒北は同じ場所にいた。
 ひとりで勉強していたところに福富がやってきて、彼が明早大学を受験することを聞いた。いつからそこにいたのか途中から新開が会話に加わって、同じく明早大学を志望していると告げられた。
 明早大学は旧くから自転車競技に力を入れている名門校のひとつで、箱根学園の卒業生も数多い。足に自信のある者たちが全国から集まり、部内でのレギュラー争いも相当激しいと聞いている。並みいる強者の中を勝ち抜いていくのは確かに魅力的でおもしろいかもしれない。実に福富らしい選択だと思うが、新開はどうだろうか。
『オレも寿一と同じ、明早大だよ』
 中学、高校、ときて大学も同じ。コイツマジかヨ、とは思ったが新開らしいといえばらしいのかもしれない。
「寿一が」
「寿一と」
「寿一も」
 寿一、寿一、と彼はいつだって福富を慕い、尊重し、優先させる。ちょっと前までなら『あー、ハイハイ』とあしらえたはずの日常風景が最近はやけに癪に障る。

 無言の時間を持て余したのか、赤本に貼られた付箋をいじり始めた新開に、
「オメーさぁ、明早に決めたのも福ちゃんが行くからだろ」
と冗談と皮肉を込めて言ってみる。だが皮肉が伝わらなかったのか、それともあえて流されたのか、新開は「まぁ、それもあるな」と軽い調子で答えた。
「うっわ……引くわソレ。バカじゃねーの。オメーは主体性がなさすぎなンだよ」
「そう? オレはまだ寿一と一緒に走りたいからな。おめさんも寿一と走るのはおもしろいだろ?」
「え、あー、そりゃ、まァ……」
 福富と新開のつき合いは長く、中学では自転車競技部の部長と副部長という間柄だったと聞いた。福富の言動に新開が強く反対しているところを見たことがないし、その逆もまた然りだった。彼らは互いに気のおける関係なのだろう。
(それにしても、だろ)
 うっかり棘に触ってしまったときのチクッとした痛みが荒北の胸に奔る。
「にしても寿一のやつ遅いなぁ。すぐ行くから先に進めてろって言ってたのに。あ、そういや3限の体育がサッカーだったんだけどさ、寿一がおもしろかったんだぜ。アイツ――
「お前さァ、さっさと自分とこ戻ればァ?」
 少しだけ突き放すような口調になってしまったのは、明らかにいらだちのせいだった。新開が驚いた顔で口をつぐむ。いつも以上に見開かれた瞳が「なんで? どうした?」と無言で訴えてくる。
(……あー、その目ェムカつく)
 つい「チッ」と舌打ちしていた。
「オメーは余裕かもしんねーけどォ、オレは次のテストがヤベェんだよ。またD判定なんてごめんだぜ。心が折れちまう」
 荒北は半分だけ嘘をついた。D判定を避けたいのは本当だが理由はそれだけじゃない。でも、新開の口からこれ以上福富の名前を聞きたくないなんて言えるはずもない。
「だからァ、集中してぇの。オメーにソコいられっと気ィ散んだヨ。用ねぇんならさっさと戻ってくんナイ?」
 気を遣わせてしまったのか「じゃあ」と言って新開が腰をあげた。
「靖友、根詰めすぎるなよ? 数学ならオレが教えてやるからさ」
「……そりゃドーモ」
 新開が立ち去ると急に静寂が訪れた。自習室ではそれが正しいはずなのに、なんだかひどく居心地が悪い。
 元の席に座った新開の背中をチラリと窺い見る。
(んだヨ……オレのことが好きなくせに)
 そんなタチの悪い感情が湧いてしまい、むしゃくしゃする気分を払うように問題集を睨んだ。だが問題はおろか文字すら頭に入ってこず、荒北はただただ目線を落とすしかなかった。

 
2.
 起床時刻を迎えた10月の早朝。シンと静まっていた寮内には生徒たちの発する生活音が少しずつ響き始めていた。
 なかなか鳴りやまない目覚まし時計のベル。
 カーテンと窓を開ける音。
 いかにもダルそうな寝起きの重たい足音。
 誰かを起こす声に下卑た笑いが混じるのは男子寮特有のものだろう。生理現象なのだから仕方がないのだがこうして飽きずに毎朝ネタになる。
 すでに起きていた荒北は共用洗面所に立っていた。いつもの癖で早起きしてしまったが、熊本のレースを終えた今は実質部活を引退したようなものだ。3年生はもう朝練には参加しない。にも関わらず毎朝決まった時間に目が覚めて、練習をしていなくてもしっかり腹は減る。3年間で身体に叩き込まれてしまった習慣は、こうしてしばらくは抜けないのだろう。
「朝練なんてダルくてしょーがなかったけど……しみついちまったもんは抜けねぇよナァ」
 水道の栓をひねって流れる水を手のひらいっぱいに受ける。バシャバシャと派手な音をたてながら何度も顔を洗った。勢いが強すぎてTシャツの襟元や腹部が濡れてしまったが、目を閉じたままの荒北には見えていない。濡れた感触にも構わず手探りで水を止めると、首に提げたタオルでゴシゴシ顔をぬぐう。
 冷たい水のおかげで完全に目は覚めたが頭の中は1ミリもスッキリしない。濡れた前髪をゴシっとひとぬぐいすると、鏡に映る姿に舌打ちしてその場を後にした。
 開け放たれた廊下の窓からは涼しい風が吹いていた。日が昇って気温が高くなる前の爽やかな時間。天気もよく、こんなに気持ちのいい朝だというのに、荒北の心はどんよりして落ち着かない。思わず深いため息が出てしまい、周りに誰もいないのにごまかすように慌てて咳払いをする。
 18年間、愛だの恋だのといった浮ついたモノとは無縁の日々を過ごしてきた。
 中学までは野球一筋で、高校入学後はロードバイクに出会った。インターハイの高みを目指して脇目も振らずにペダルを廻し続け、勝ち獲ったシングルゼッケンと共に最初で最後の舞台を走り抜けた。目指すものをなくした今だからこそ、余計なことを考える隙間が生まれてしまったのかもしれない。
「なんでオレが気にしなきゃなんねーんだ……あーっ! もーメンドクセェ」
 ブツブツ言いながら階段を降りていると「靖友、おはよう」と後ろから声をかけられて、突然の出来事に身体が跳ねた。振り向いた先の顔を見ながらまたひとつため息をつく。最近ずっと続いているイラつきの原因はわかっている。
「……んだよ、ビビらしてんじゃねぇぞ新開」
「何度か声はかけたんだぜ? 靖友がボーっとするなんて珍しいな。なんかあったのか?」
「……なんもねぇヨ」
「ほんとに? なんか疲れてねぇ?」
 爽やかに、かつ心配そうに覗きこんでくる新開を「朝からうっせーなァ」と一瞥して階段を降りる。
「おいおい、待ってくれよ。食堂行くんだろ? 一緒に行こうぜ」
「……なら、さっさと来い」
 首だけを動かして声をかけると新開は途端に表情を明るくさせた。足早に隣りに並び、朝食の献立をあれこれ予想し始める。楽しげに話す横顔を視界の端に捉えながら、荒北は気づかれないようにこっそり3度目のため息をついた。大いに不本意なことだが、これはもう認めざるを得なかった。
 新開隼人という男を意識し始めている――
 
*
 最初はただの遊びか悪ふざけだと思っていた。
 
「好きって言ってくれよ。オレに」
「……は?」
「試しに言ってみろって言ったろ? だから言ってみたんだけど」
「なん、え? すきィ?」
 唐突すぎてまったく意味がわからなかった。おそらくひどく怪訝な顔をしていたのだろう。荒北をじっと見ていた新開が口に手を当てて目を逸らし、肩を細かく震わせ始めたかと思えばついにはこらえきれないといった様子でプッと吹き出した。
「ハハ、悪い。冗談だよ」
「はぁ!?」
「あ、靖友。アイス」
「あ?」
「落ちるぜ」
「え」
「あ」とふたりの声がハモり、最後のひとくちだったアイスがドロッと地面に落ちる。
「あーあ、もったいない」
「テメーが急に変なこと言うからだろーが」
 指に垂れたアイスを舐めながら睨みつけると、新開は「変なこと、か」と小さく笑った。
「オレはなにが欲しいかって訊いてんの。わかってるゥ? バカみてーな冗談なんか聞いてねぇんだヨ」
「わかってるよ。なぁ靖友、もし、冗談じゃなかったらどうする?」
「あ?」
「オレが本気でおめさんを好きなんだって言ったら、どうする?」
「どうするって……頭大丈夫か? あちぃから脳みそ沸いてんじゃねーの?」
 荒北がおどけて自分の頭を指でつつく。新開もつられて笑ったがふたりの距離を詰めるように近づくと、荒北の目をまっすぐみつめた。
「友達とかチームメイトじゃない。もっと別の、特別な意味だ」
「……は?」
「そばにいたいし、手を繋いだり触ったりしたい。キスとか、できればそっから先もしてみたい。オレが言ってるのはそういう意味」
「え……」
「だから、わかりやすく言えば――
「いやいやいや、ちょっと待て。なに、お前って……ソッチ?」
「そっち?」と新開が首を傾げる。荒北は「だからァ」と焦れた声をだしつつ周囲に誰もいないことを確認して、
「オメーは男が好きなのかってことだヨ」
ともう一度小声で告げた。
「ああ、なるほど。じゃあ、オレがそうだとして、だったらどうする?」
「どうするって……」
 笑えないジョークなのかそれとも本気なのか、返すべき言葉はみつからないし正解がなにかもわからない。荒北はこわばった表情を隠しもせずにただ見つめるしかなかった。
「……テメー、ふざけてんのか?」
 ようやく発した声が渇いた喉のせいで掠れる。「まさか」と短く応えた新開は微笑をひっこめて口元を引き締めた。
「靖友、好きだ」
 いつになく真剣な眼差しを向けられて、思わず荒北は唾を飲み込んだ。
(好き……って言ったか? なんだ? なにを言ってやがんだコイツは)
 いつものように軽口のひとつでも言ってあしらえばいいのに、こんなときに限って唇が動かない。とにかくなにか言わなければと荒北が口を開きかけたとき、
「だから冗談だって」
と新開が見慣れた顔で笑った。左手で自身の首筋をさすりながら「騙されただろ」とニヤリと歯を見せる。それをきっかけに荒北の身体からこわばりが抜けて、暑い日差しと蝉の声が思い出したように全身を包んだ。汗が背中を伝い落ちていく感触がして、いつの間にか暑さを忘れるくらい息を詰めていたことに気がつく。
 肌を焼く暑さが息苦しくてたまらない。
「ふ……ざっけんなよ新開テメー! んなもんぜんっぜん笑えねぇんだヨ! つまんねー冗談言ってんじゃねーぞ、バァカ」
 キッと睨んでみたが効果はない。むしろ新開は平然とした態度で、
「もし、って前置きはしたぜ?」
とポケットから取り出したパワーバーの袋を開ける。
「るっせ! マジメに考えようとしたオレがバカみてーじゃねーか」
「へぇ、真剣に考えてくれたんだ」
「考えてねーよ! 考えようとしただけェ! つーか、んな例え話なんかしなくても常識的にわかんだろーが。オレはフツーに女が好きで、お前に限らず野郎をそんな目で見たこともねーし、そういった意味で考えたこともねぇ。当然これからもねーヨ!」
「わかってるよ。だから冗談だって」
「るっせ! 今度つまんねーこと言ったらアイス奢らせっからァ。クソッ、ムカついたから誕生日もナシな。オメーにはなんもやんねー」
「えっ、悪いって謝ったのに」
「やらねーったらやらねーんだヨ」
 不満げに「そんなぁ」と嘆く新開の腿に「しつけェぞ」と軽く蹴りを入れる。そして、部室に向かって渋々歩き出した新開を少し遅れて追った。
 冗談だと笑うくせに好きだと言った瞬間の目だけは真剣だった。おまけに首筋をさする仕草。アレは新開が嘘をつくときの癖だった。
 思わぬ展開に困惑して黙ったまま歩く。前を歩く背中に「ムリだろ」と呟いた声は蝉時雨の中に消えた。
 
 あれから3ヶ月。
 夏の暑さはすっかり引いて少し肌寒い季節になっていた。
 新開の様子はなにも変わらず、あの件について触れたこともない。彼の荒北に対する熱も同じように治まったのかもしれないし、そもそも間違いだったと目が覚めたのかもしれない。
 学校も部活も寮まで同じというやや特殊な環境は生徒の間に妙な連帯感を生む。寮生活をおくる生徒たちは「おはよう」から「おやすみ」まで一日中一緒にいるようなものだ。3年間も続けばおかしな方向に勘違いすることもあるのかもしれない。だから、もしかしたら新開の感情もただの勘違いである可能性は高い。
 ふと、バカらしいと気がついた荒北は考えることをやめた。
(別にハッキリそうだって言われたわけじゃねぇ。癖だって偶然かもしんねーだろ……。つーことはこれってただのジイシキカジョーってやつじゃねーかァ? アイツがオレを好きっぽいからオレも意識し始めちまうって……これはさすがに)
「チョロすぎんだろオレ……ダッセ」
 机を連打していたペンを放る。腕をあげて大きく伸びをすると、壁に貼りつけたカレンダーに視線を投げた。自転車競技部の追い出し壮行会がもうすぐで、それを最後に正式に部活を引退する。そして年が明けたらセンター試験が始まる。
「卒業なんてあっという間じゃねーか……」
 そう呟いた荒北の襟足を風が撫でる。気がつけば室内はかなり冷えていて、荒北は身体を震わせながら立ち上がると、換気のために少しだけ開けていた窓を閉めた。
「さみ……」
 箱根に冬が近づいていた。

 
3.
 午前中のうちにやむだろうと言われていた雪は見事に予報を裏切り、すでに数センチほどの厚さで地面を白く覆っていた。
「クッソさみぃじゃねーか。新開のヤロー……」
 こすり合わせていた手をスラックスのポケットにつっこむ。荒北は滑って転ばないように一歩一歩踏みしめながら校舎の裏手に向かっていた。
 しんしんと降り続ける雪は音を吸収してしまうことがあるらしい。まさに今がその状況なのか、手に提げたビニール袋の音も雪を踏む足音も、耳に届く音のすべてがいつも以上に小さい。
 センター試験を終えた今、3年生の通常授業は終了している。人によっては自由登校になっているが、進学組には入試対策用の特別講座がまだ残っていた。
『ちょっと心配だからウサ吉んとこに行ってくる。先に食堂行っててくれ』
 そう言って新開が教室を出て行ったのは、昼休みに入ってすぐだった。いつまでもやまない雪に不安になったのだろう。ウサギの様子をみたらすぐに戻ってくると思っていたが一向に戻ってこず、おまけに昼休みももうすぐ終わってしまう。
「なにやってんだヨ、アイツは……寒がりのくせに」
 荒北が外にやって来た理由はジャンケンで負けたせいだけではなかった。午後の授業で使用する資料集を新開に貸してもらう予定だったからだ。
「つーかマジさみィー!」
 ハァ、と白い息を吐きながら雪の上に残る足跡を辿る。すでに雪が積もり始めているが大きさ的に新開のものだろう。ところが、まだきれいな形を保っている足跡が途中からもうひとつ増えていた。出発地点はおそらく斜め向こうにある新校舎。新開を追うように重なった靴跡は大きさから見るにたぶん女子のもの。
(これ……今行ったらヤベェやつか?)
 校舎に沿って植えられた樹木がもうすぐ途切れる。その先を左に曲がればそこがウサギ小屋だったが、予想通りに男女の声が聞こえたので荒北は校舎の陰で足を止めた。
「そう言ってくれるのはすげえ嬉しいよ。ありがとう」
 思いのほか近い声に荒北の心臓がドキリと跳ねる。雪のおかげなのか荒北がやってきたことに気づかれた様子もなく会話は続いた。
「でも、今は入試前でそれどころじゃねぇし――
「あ、あのねっ、返事は今すぐじゃなくていいの! ちょっとでもいいから考えてくれないかな……」
「でも――
「新開くん……好きな人いるの? だから?」
「……いや……いない、けど……」
「だったらお願い……少しでも可能性があるなら考えて」
「……まいったな」
 荒北は音を立てないように気をつけながら踵を返して来た道を戻り始めた。
 早足で雪を踏む。滑って転ぶかもしれないという意識はすでになく、とにかくその場を離れたくて仕方がなかった。
 誰が誰に告白したとか、誰と誰がつき合い始めたとか、年が明けてからはそんな話をよく耳にするようになった。東堂はもちろん、新開もすでに何度か告白されているという噂を聞いていたが、こうして現場に遭遇するとは思いもしなかった。
(噂はマジだったっつーわけか……)
 ファンクラブが存在する男だ。卒業前の記念告白くらいはあるだろうと思っていたが、思っていたのと実際耳にするのとではまったく違う。

「わかった。考えておくよ」

 去り際に聞こえた新開の言葉が離れない。
 返事を保留にしたということはつきあう可能性もあるわけで、新開が荒北をなんとも思っていないのだとハッキリしたことになる。いや、言われていた通りに最初からすべて新開の冗談だったのかもしれない。首筋をさすった仕草も荒北の勘違いで、ただの自意識過剰でしかなかった。

――『そばにいたいし、手を繋いだり触ったりしたい。キスもしたいし、できればそっから先もしてみたい。オレが言ってるのはそういう意味』

 いつか聞いた彼の願望を思い出した。彼女ができたなら新開の望みは見事に成就するわけで、こんなときは友人として祝ってやるのが普通なのだろうか。
「よかったじゃねーか。オメデトー。どーぞ好きなだけヤッてくれヨ」
 言葉にしてみたがどこか嘘くさい。自分の本意ではないのだから当たり前だった。

『新開くん……好きな人いる、の?』
『……いや……いない、けど……』

 胸が痛い――
 イラつきをこらえるように奥歯をグッと噛みしめたとき、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。
「やっべ!」
 荒北は資料集を借りるために福富の教室へと急いで駆け出した。新開のために買ったパンが入っているビニール袋を揺らしながら。
 
*
 ドアをノックする音に顔をあげる。応える前に「靖友いる?」と扉を開けたのは新開だった。
「お前なぁ、オレがなんかしてたらどーすんだヨ」
「なんかって、そんなときに鍵をかけてないおめさんが悪いんだよ」
 部屋に入ってきた新開は我が物顔でベッドに腰をおろすと、いつ貸したかも覚えていない漫画を差し出した。
「これ返すよ。長いこと借りてて悪かったね」
「あれ、オメーに貸してたんだっけェ? まぁ、どーも」
 受け取った本をそのまま目の前のダンボールに入れて、床に積んでいた本やノートも同じように詰め込んでいく。壁際に積まれたダンボールを見た新開が「もうすぐか」とひとりごとのように呟いた。
「あ? なんか言ったァ?」
「もうすぐ卒業だなって。3年なんてあっという間だったな」
「だなァ。チャリ乗ってた記憶しかねぇわ」
「うん、オレも同じだ。にしてもおめさん、荷造りすんの早くねぇか? 退寮日っていつだっけ?」
「卒業式の次の日ィ」
 荒北の返事に新開の表情が変わる。少しだけ驚いたような目で荒北を見た。
「あ……そうか、そんなに早かったか」
「あれ、言ってなかったっけェ?」
「どうだったかな。ここんとこトレーニングと入学準備でバタバタしてて」
「そういやお前と福チャンはまだチャリ乗ってんだってなァ。練習もいいけどさっさと荷造りしたほうがいいぜ。思った以上に時間がかかってメンドクセ―から。あ、でもお前は弟がハコガク来んだっけェ? なら置いときゃいいのか」
「いや、オレもそう言ったんだけどさ、おさがりはイヤだって断られた」
「ハッ! そりゃ残念だったな。あ、じゃあ、お前の私物を売るってのはどーだ? 荷物は減るし金にはなるし一石二鳥だろ」
「売る?」
「そ。オメーのファンなら泣いて喜ぶぜ」
 親指と人差し指を合わせて丸を作り、穴から新開を覗いてニヤリと笑う。もちろん軽い冗談のつもりだった。だが新開にはジョークが伝わらなかったのか、呆れたような顔をして「バカ言うなよ」と立ち上がった。
「なんだ、もう行くのかァ?」
「ああ。オレも片づけないと。誰かさんに勝手に私物を売られちゃ困るからな」
「いい金になると思うぜ? 試しに泉田にでも声かけてみろよ」
「……やるわけないだろ?」
 軽くため息をつきながら新開がドアノブを握る。荒北は思わず彼の背中に「おい、新開」と呼びかけていた。
「なんだ? 何度言われてもオレはやらないよ」
「ちげぇヨ。そんなんじゃねぇ。それはもうどーでもいい」
「じゃあ今度はなんだい?」
「オレさァ…………好き、かもしんねェんだわ」
「え?」
「お前のこと。好きかもしんねぇ」
 ドアノブを握ったまま振り向いた新開は初めて見る顔をしていた。
 ポカンとしていた顔が時間の経過と共にくるくる変わっていく。大きな瞳は見開かれ、焦ったような笑っているような、感情がごちゃ混ぜになったよくわからない複雑な表情。3年も一緒に過ごしてきたはずなのにまだ見たことのない顔はあるらしい。
 なぜ言ったのか荒北もわからなかった。ただ、気がついたら口に出していた。新開が部屋を出ていくのが嫌で、向けられた背中が嫌で、なんとか呼び止めようとしたのかもしれない。
 日焼けの落ちない新開の顔がうっすらと赤く染まっていく。それを目にした途端に荒北の顔もカッと火照り、驚くほどのスピードで全身に熱が回っていった。
 好きだと言葉にしてしまった瞬間から荒北の中でなにかが弾けた。目の前の新開を強く意識せずにはいられなかった。口火を切ったように“好き”がどんどん膨らんで、一度自覚してしまったものはもう抑えられない。
 胸を叩くやたらとうるさい鼓動を聞きながら荒北はひどく戸惑っていた。すぐに冗談だと言ってごまかすつもりだったのに、思いがけない反応を受けたせいで言葉がまったく出てこない。
「なっ……んだよそのツラ」
「なにって……靖友こそ……」
 ゴクリと新開の喉が動く。その音でハッと荒北の理性が戻った。
(あぁ、クソッ……このバカみてーな状況は一体なんなんだ)
 わずかに残る理性を必死にかき集める。荒北は大げさなほどにプッと吹き出して見せると、「バーカ」と舌を出した。
「ジョーダンだってェ、ジョーダン!」
「冗談って……」
「あれ、もしかして本気にしたァ? んなワケねーだろーが」
「おめさん……からかったのか?」
「いつかの仕返しだヨ、仕返しィ」
 ニヤリと笑う荒北とは反対に明らかに不機嫌な顔の新開は「趣味が悪いな」と背を向けた。
「まぁ悪かったけどさァ、つーかお前がソレ言うかァ?」
 新開はもう振り返らなかった。乱暴にドアノブを廻し、珍しく荒い調子でドアを閉める。
「……んだヨ、アイツ」
 荒北は釈然としないまま閉められたドアを見つめていた。
 あの暑い夏の日、新開は荒北に好きだと告げた。だが冗談だと言って終わらせたのは向こうだ。それに、雪が降る中で彼は好きな人はいないと言っていた。だからこそ新開が見せた動揺は荒北にとって想定外だった。
「あんな顔見せんなヨ……お前だって冗談だって言ってたじゃねーか」
 まさかこんなことになるとは思いもしなかった。あの日荒北がされたように冗談だと笑って終わらせるつもりだった。
 好きだなんて言うつもりはなかった。
 好きだなんて気づかなければよかった。
 そもそも、夏のあの冗談がなければよかった。
 新開の驚いた目が、赤く染まる肌の色が、鮮やかに焼きついて離れない。
「なんだよ……冗談だって笑えヨ……」
 誰に宛てたのかわからない呟きは床にこぼれて消えた。

-ペダル:新荒
-,

int(1) int(2)