【新荒】潰えた夢の残骸を噛む 2【タイムリープ風】

5.
 荒北の意識が回復して3日目、落車事故が起きた日からちょうど一週間がたっていた。
 事故は思った以上に被害が大きかったようで、荒北や新開以外にも十数名の選手が神奈川県の病院に搬送されていた。幸いなことに落車の規模にしては深刻な事態には至らず、どの選手も今後の活動に支障はないらしい。新開と荒北のチームメイトも重傷程度で、数日前に無事に退院していた。
「靖友? 起きてる?」
 遠慮がちに開けられたドアの隙間から新開の顔が覗く。
「よぉ、入れヨ」
 テレビを見ていただけの荒北は手元のリモコンで電源をオフにして新開を呼んだ。
「どうした?」
「オレ、今日で退院だから。帰る前に挨拶しておこうと思って」
「……そっか。まぁ、よかったナ。オレなんかまだ許可下りねぇんだぜ? もうなんともねーってのに」
「おめさんはもうちょっと様子を見るんじゃないか? ほら、頭打って意識がなかったわけだし」
「あー、にしてもお前がいなくなるんじゃ益々暇になるな。まいったぜ。筋トレもまだすんなって怒鳴られるし。コレってほぼ軟禁みてーなもんだろ。入院ってスゲー暇なんだな。しかも個室だなんて最悪だぜ」
 早く自転車に乗りたい荒北は時間ができるとリハビリ室に入り浸り、そのたびに怒られては渋々病室に帰って来る。「身体が鈍っちまう」とうんざりしながら肩をすくめると、「しょうがないよ。ゆっくり休めってことさ」と新開が慰めながら椅子を引き出してベッドの横に腰を下ろした。
「靖友は頭打ってんだから、筋トレなんかまだダメに決まってるだろ? 何かあったらどうするんだ」
「だってなんともねーんだぜ? せいぜいが頭のコブくらいで、他は平気だ。ピンピンしてる」
「もうすぐシーズンオフだし、このまま残りのレースも出ねぇんだろ? せっかくだからいい機会だと思って休んでおけばいい」
「そうだけどさァ……そうも言ってらんねェんだ」
「何かあるのかい?」
「……ちょっとな」
「ちょっと?」
 言葉を待つ新開の視線をかわして目を逸らす。
 荒北が意識を取り戻してから新開は時間があれば病室にやってきた。こうやって当たり前のように部屋を訪れ、なんでもないような顔で会話をしていく。この状況が荒北は不思議でたまらなかった。荒北が過去に戻ったことでふたりが別れた事実はなくなったのだろうか。だが、落車事故はしっかり起こったままで、未来の何かが改変されたとは思えない。
 視線を動かすと新開はまだ荒北を見つめたままで、足を組み替えながら「ん?」と首を傾げる。さすがに30歳も間近になれば18歳の名残りはどこにもない。しっかりと成熟した大人の男がそこにいた。
「なに? なんかついてる?」
 思わず自分の頬を撫でた新開が傷に触れて顔を歪める。
「いてて……まだヒリヒリする」
「そりゃーな。ひでぇ傷だったし。せっかくのツラが台無しだな」
「せっかくのって……別にオレは顔なんてどうでもいいよ。身体が無事だったらそれでいい」
「お前なァ、それ、お前が言うとただの嫌味だぞ。他じゃぜってー言うなヨ。いつか恨み買って刺されても知らねーからな」
「嫌味? オレの顔なんて大したことないだろ」
「……看護師にキャーキャー言われてるくせに。ちゃんと知ってんだからナァ。つーかオレにお前の情報訊かれんの、めちゃくちゃウゼーんですけどォ。女がいんなら先に言っとけよ。そうすりゃみんな諦めて黙るだろ。オレも周りが静かになって助かるわ」
「女?」と、新開の片眉がピクリと反応する。
「そー、オンナァ。どうせつき合ってる女がいんだろ? 先にそう言っとけばって――
「靖友は何もわかってないんだな」
 組んでいた足を下ろして新開が表情を硬くする。何か彼の地雷を踏んでしまったのだろうかと、不意に見せた厳しい顔に荒北は身構えた。
「オレに彼女がいるって、そう思ってるってことだよな」
「……そーだけどォ?」
「じゃあオレも訊くけど、おめさんはいんの? 彼女」
「はぁ? なんで急に」
「いいから。答えろよ」
「……いねーよ」
「ずっと?」
「は?」
「オレと別れてからずっといなかったかって訊いてる」
「いねーよ! なんだよ。それがどうしたってんだ」
「そう。それはよかった」
「……なんもよかねーんだヨ」
 フゥ、と息を吐いた新開が「おめさん、ホントにわかってないんだな」と呆れたように呟く。大げさにもう一度ため息をついて、スッと目を細めて荒北を睨んだ。
「なんなんだよ、さっきからァ」
「おめさんの家で最後に話したときのこと、覚えてるか?」
「え……」
「『今の靖友とは未来が見えない』ってオレが言ったの、覚えてる?」
「……ああ。覚えてる」
 新開の言葉が再び荒北の心に刺さる。荒北とのつき合いよりも自転車を選ぶと言われて、荒北もまたそれに対する反論も言い訳も説得もできなかった。
「あれから何か考えたかい?」
「え?」
「オレとのことについて何か考えた?」
「……そりゃ、まぁ、多少は」
「多少ね……オレはめちゃくちゃ考えたよ。靖友とどうしていくべきなのか。色々考えて、結果としてまだ機会を待ったほうがいいのかなって思ってたんだけど、目の前で意識なくしてくおめさんを見ちまったらさ、もう待ってなんか――
「機会……? つーかさっきから何言ってんだ? オレとは終わったんだろ? あんときお互いロードを選んだわけで、だから完全に終わったはずだ。正直言ってお前が今ここにいることも、お前が話してる内容も、全部わけがわかんねェ」
 荒北が喋るほど新開の目がどんどん丸くなっていく。 
「レース前は何とも思ってねぇようなツラしてたくせに、今はフツーに話してくるし。一体なんのつもりだ?」
「何のつもりだって……そうか。おめさんは終わったって思ってたのか。だからね。へぇ。なるほど……納得した……けど、うわ、すげぇショック受けてるよオレ。やっばいな。ちょっとこのまま立ち直れないかもしれない」  
 珍しく情けない声を出しながら新開がベッドに突っ伏して顔をうずめる。
「なんだってんだよ、新開。おい、顔あげろ」
「……いやだ」
「んだとォ? いいからこっち見ろって」
「……うるさい」
「はぁ!? わけわかんねーんだよ、こっちはァ! ちゃんと説明しろって」
「……黙っててくれ」
「あ? 黙れってどうい――
「だから、ちょっと黙っててくれよ」
 身体を起こした新開がそのままの流れで荒北の襟元を掴んだ。鼻先が触れ合うほど近くまで引き寄せられて、「バカ」と言い放った唇が無理やりに近い状態で荒北に押しつけられる。
「ん!? んんっ、んーっ!」
 引き剥がそうとして力いっぱい新開の肩を押す。それでも彼はビクともせず、むしろ荒北が逃げないように背中に腕を回して押さえた。
「ふっ、んんっ……おいッ、新開っ!」
「ん……はあ……逃がさねぇって」
「はっ、んうっ……離せっ」
「無駄だよ」
 息継ぎを求めて顔を背けても本調子でない身体では敵わず、唇をかわすことができない。
(クソッ……!)
 新開の背中に腕を回すフリをして、服の上から思いっきり爪を立てる。
「いっ……!」
 痛みで身体を硬くした新開がようやく唇を離した。顔をしかめつつ、荒北の目を覗き込みながら「傷ついてんだぞ、オレは」とふて腐れた口調で責める。
「勝手に捨てられた気持ちがおめさんにわかるか? ひでぇよ、靖友」
「はぁ? 何言ってんだテメェ。勝手に捨てたって……離れようって言い出したのはお前だろ」
「あのときはそれがベストだと思った。あのまま一緒にいてもお互いが潰し合って、オレたちの関係も自転車もどっちも終わってたはずだ」
 だろ?と問いかけられて、その通りだと思った。すべてに対して荒んでいた当時の記憶が蘇り、返す言葉が出てこない。
「だから離れて考え直してみたほうがいいって思ったんだよ。靖友に冷静になってほしかったし、オレもそうなりたかった。でも……結局はオレはおめさんから逃げ出したのかもしれないな」
「逃げ……出した?」
「オレの移籍が決定する前からおめさんが焦ってたのは知ってた。でも、オレが何を言ってもたぶん靖友は素直に聞いちゃくれなかっただろ? 周りに置いていかれる不安ってのかな、オレも充分わかってる。何回だって経験してきたからさ。ああなったときって何も聞こえないんだよな。完全に自分を閉じちまってるから、何もかも受け付けないんだ。何を言われても、何をされても心に響かない。それに、アレは自分でどうにかするしかないんだよ。それをわかってたから靖友に何も言えなかったんだけど……でも無理してでも離れるべきじゃなかったのかな……あのときは離れることが正解だと思ってたけど、離れた後も結局ずっと悩んでた。今でも自信ないよ……誤解されてたみたいだし」
 背中を抱いたままの手のひらが荒北の服をぎゅっと握る。かすかに震えている手が何か既視感を覚えさせた。
「なぁ……それじゃあアレか? お、お前の中ではまだ終わってねぇってことか?」
「……そのつもりだったけど」
「マジ、かよ……」
「……ここで嘘ついても意味ないだろ。それよりも取り消せよ。オレと終わったってこと、取り消してくれ」
 まるでしがみつくように新開が荒北を抱きしめる。なぜか荒北が別れを切り出しているような雰囲気で、情況が飲み込めず、様々なことが頭の中でグチャグチャに渦巻いていた。
(なんだ? だってコイツが離れようって出て行ったんだぞ? なのに終わってねーとか、取り消せとか……つーかオレもうるせーんだよ! ごちゃごちゃ言うな! こんなん、答えはもう決まってんだろ!)
「あーっ、もう! オレはテメーも自転車もどっちも手に入れンだよ! オメーが終わってねぇって言うんなら、オレだって終わってねェ!」  
 負けじと荒北もこれ以上ないくらいに強く抱き返す。勢いに驚いて新開が若干身じろいだが、荒北は隙間を埋めるようにさらに密着した。
「靖友、嬉しいけど……ちょっと苦しいかな」
「うるせー、黙ってろ」
「ん……オーケー」
 鼻先をお互いの肩にすりつけてしっかりと抱き合う。相手の温度と鼓動を感じながら、しばらくは姿勢を変えずにじっとしていた。
「おい新開、海外で一緒に走ろうってお前が言いだしたヤツ……アレ、覚えてるか?」
「……そんなの当たり前だろ。先に行って待ってんのにおめさんはなかなか来ねぇしさ、待ちくたびれたよ」
「あー……だよな。わるかった」
「なんか妙な間があったけど。まさか忘れてたなんて言わないよな?」
 少しだけ拗ねた声が荒北の胸をチクリと攻撃する。
「いや、ほら、オレは落車で手術したからァ、それ治すのにちょっと時間かかっちまって――
「落車? 手術したっていつ?」
 腕をほどいた新開が身体を離して荒北の両肩を掴んだ。やけに緊張した面持ちで詰め寄られ、気圧された荒北は思わずゴクンと喉を鳴らす。
「いや、もう2年以上前の話だから」
「怪我ってどこを? まさか足か?」
「あー……左の太腿。ボルト入れた」
「見せて」
「いや、もうホント今はなんでもねぇから。見せるほどのモンでもねーし」
「いいから」
「なんで食いつくんだよ。マジでもうなんでもねぇんだって」
「靖友、頼む。見せてくれ」
 いつになく真剣な表情の新開に見つめられ、仕方なく荒北はスエットパンツをずり下げた。下着の裾を捲り上げて太腿の傷痕を晒す。それを見た新開の表情が瞬間的に固くなり、彼は恐るおそる手を伸ばすと引き攣れ痕にそっと触れた。
「痛くないか?」
「ああ。もうとっくに治ってんだ。なのに、踏めねーんだよ前みてぇにさァ」
「踏めない?」
「そ。痛くもなんともねーってのに、どっかでビビっちまってたのかもなぁ……ここがオレの限界なのかもしんねーってずっと考えてた。でも、色々とやり残したもんを思い出してさァ。引退してる場合じゃねェなってやっと目ぇ覚めた。だから1秒でも早く復帰してぇんだけど、筋トレもロクにさせてもらえねーから焦って焦って」
 自嘲気味に鼻で笑う荒北には応えず、身を屈めた新開は傷痕に唇をつけた。
「なっ……!」
 ざり、と引き攣れの上を濡れた舌が這い、驚いた荒北の身体がビクッと跳ねる。
「なっ、新開! なにやってんだテメー!」
「これ、痛かっただろ? 靖友は強がりで負けず嫌いだから、きっとひとりで頑張ったんだよな……ごめんな。オレ、知らなくてごめん。そばにいなくてごめんな」
 ちゅ、と音を立てて傷痕に何度も優しくキスを落とす。そのたびに肌を湿らせる熱い吐息が何とも言えない刺激を生んだ。舐められる箇所が性感帯に近いせいか、ついには荒北に「……あッ」と我慢しきれない声をこぼさせた。
「声……ここ、舐めたから?」
 穏やかに問いかけながらも、わざとらしく執拗に丁寧に傷痕を舌先でなぞる。
「しんか、いっ! やめ、ろ……! んなとこ、舐めっ……んな」
「気持ちいい、のか?」
「いいわけ……ある、かっ」
 声だけでなく吐息も抑えようとして、余計に呼吸が荒くなる。いつの間にか傷痕を離れた新開の唇は荒北の内腿付近に触れていた。新開が身を乗り出し、彼が動くたびにベッドが小さく軋む。
 下腹部に欲を持った熱が灯り始めていた。新開もわかっているらしく、敢えてそこには触れずに下着から露出した肌だけを愛撫する。舐める舌の行先を期待して性器が膨らみ、しかしいつまでも触れられず、足の指を折り曲げて必死にもどかしさを耐える。
 不意に医師を呼ぶアナウンスがドアの向こう側で響いた。
「しん……かいッ」
 ここが病室だったことを思い出し、やめさせようとして名前を呼ぶ。しかしその声は掠れたうえにうわずっていて、まるで甘えているかのようだった。これでは逆効果でしかない。一瞬だけ動きを止めた新開は荒北を見上げてニッと笑い、すぐに股に顔を埋めて下着越しに性器を甘噛みした。
「んぅ、あっ……!」
 その部分はいつも以上に敏感になっていた。レース前の禁欲から長いこと触れていない。咥えられただけなのに硬く起立し、新開の上顎を突き上げるように衝動的に揺れる。熱い舌先に布ごと亀頭を舐められて、とっさに茶髪を掴んだ荒北は無理やり新開を引き離した。
「お前バカだろ! んなとこでやめろって」 
 顔が熱く、乱れた呼吸が苦しい。髪の毛を掴まれたままの新開は一向に気にしていないらしく、むしろ不服そうに荒北を見上げている。射抜かれるような視線は欲にまみれていて、貫かれる悦びを覚えているのか、荒北の身体はじわじわと疼き始めていた。視線を受け止める自分も同じように熱に濡れた目をしているのだろう。「……誰かきたらどーすんだ、バカ」と咎めたはずの声が甘い。
「うん……そうだな」
 身体を起こした新開が椅子に座り直して荒北を抱き寄せた。それでも落ち着いたわけではなく、彼はまだひどく昂った匂いを発している。ハァ、とため息をついた新開は荒北のうなじに顔をひっつけて、
「目一杯靖友ん中に押しこんで、おめさんの奥まで埋まっちまいたいよ」
と押し殺したような声で囁いた。
「バァカ、ここじゃ無理だ」
「うん……わかってる」
 名残り惜しむように新開が頬をすり寄せる。
「オレ、今日このまま向こうに発つんだ」
「……そーか」
「でも、絶対におめさんが追いかけて来てくれるって信じてるから、だから寂しくなんかないよ。向こうで待ってるから……そしたら、この続きしような」
「ハッ! なんだよ、それ……」 
「一緒に走るって約束しただろ? 待ってるよ。おめさんがくるの、ずっと待ってる」
「海外移籍なんて……いつになるかわかんねーんだぞ」
「それでもいいよ」
「……じいさんになっちまうかもな」
「構わないさ。オレはこの先何度だって言うよ。何度断られてもやめない。おめさんが『うん』って、『いい加減わかったから』って、諦めてくれるまで言い続けるから」
「……バカじゃねぇの」
「オレは仕留めるって決めたら絶対に逃さないんだ。そんな簡単なこと、おめさんが一番よく知ってるはずなんだけどな」
「……タチワリィんだよ」
「わるいね。オレは優しくないから、いくら拒まれたって聞いてやらない」
 荒北はもう何も言わなかった。ただ新開の首に腕を回し、ぎゅっとキツく抱きついて離さなかった。
「向こうで待ってる」
 荒北の背中を撫でる手はいつまでも優しかった。
 
 
6.
「だからァ、もっとゆっくり言えって何度も言ってんだろォ!?」
 プルトンの中に日本語が響く。
 熱い日差しを遮る雲はなく、からっとした青空がどこまでも広がっていた。
「What's?」
「あー、っとだからァ……」
 たどたどしい英語を駆使してメッセージを伝える、なんとか伝わったらしく、「OK」と応えて無線が切れた。
 間近でプッと誰かが吹き出した声がして、視線を向けると口元を押さえる人物がいた。
「笑ってんじゃねーぞ、テメェ」
「わるい。ちょっと、いや、盛大にガラの悪い日本語が聞こえたもんだからさ。おかしくて」
「……るせー。ちゃんと言い直しただろーが」
「うん。でもまだまだ特訓は必要だな」
「わーってる! つーか馴れてくンじゃねーよ。レース中だぞ」
「今はまだ平気さ。パレードランが終わったら勝負だな」
 口角をキュッと上げる厚い唇に触れたのは数ヶ月前が最後。それをじっと見つめる視線に気がついたのか、「なに、キスしたいのかい?」とわざとらしくロードバイクを幅寄せしてくる。
「るっせ! つーかあぶねーだろバァカ」
「ハハ。楽しみはレースが終わるまで我慢な。そのほうが燃えるだろ?」
 不敵な笑みを浮かべた彼がチームメイトに名を呼ばれ、「じゃあ」と選手の波の中に消えて行く。
 石畳を車輪で踏みつけながら、タイヤを溝に取られてしまわないようにハンドルをしっかり握る。まだ片手で数えられるくらいしか出場機会を与えられていないが、頭の中はずいぶんと冷静だった。
 視界は良好で、まるで空の上から見下ろしているように視野が広い。ここのところは足の調子もよく、アシストとしての結果もぼちぼち残せるようになっている。
 先月、フランスの地方で行われたヒルクライムレースでは口やかましい人物が表彰台に立ったらしい。無口で表情を変えない彼も近いうちに海を渡ってやってくる。移籍が決まったのだと新開経由で連絡がきていた。
(おいおい、ついに4人揃っちまうじゃねーか)
 それぞれ別のチームだが、主戦場を日本から海外に移すことになる。いつか4人が同じレースで相まみえる日もそう遠くはないのかもしれない。

『また4人揃った最強のチームで夏の続きをしようぜ。今度こそ“オレたちで”勝つんだ』
『自分が信じていればそれはもう“夢”じゃない』

 懐かしい思い出が頭の中をかすめていく。言い出した本人は自転車界隈でも名の通るアジア人の一人になっていた。
(アイツの望む通りになってきたってわけか……なんか叶えてやんのもちょっとシャクだぜ)
「まぁ、でも、オレの夢でもあるわけだからな。しょーがねぇ。ノッてやるか!」
 ニヤリと笑う荒北を見て、ちょうど振り向いたチームメイトが不思議そうに首を傾げる。何て言ったんだと問いかけられて「なんでもねーよ」とはぐらかした。
 先頭がスタート位置に着いたのか、集団が前方から順に停止し始めた。並んだ選手たちの背中の隙間から新開の後頭部がチラリと見える。呼んだはずもないのに彼が振り向き、ニッと笑って荒北に親指を立ててみせた。
「上等じゃねーか。今日こそ追い抜いてやる」
 今のところ勝負は連敗中だが、それでも荒北の心は折れることなく熱く逸る。
 ピストルが渇いた音を立てて鳴り、レースがスタートした。
「っし! 今日も走っかァ!」
 クリートがパチンとハマる心地良さ。力強くペダルを踏んで、荒北は今日も青空の下を駆けだしていく。
 

***END***
 
後日談→『君と夢の続きと』

-ペダル:新荒
-, ,

int(2) int(2)