【新荒】春に契る(後編)【センチネルバース】

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・『センチネルバース』の後編です。大学2年生~卒業前あたり。【R-18】
 
≪注意≫
・荒北さんが睡眠薬を服用中。依存症のようになっています。
・後半“11章目”に性行為描写があります。苦手な方は飛ばして下さい。(飛ばして読んでも大丈夫なようになっています)
・自分設定が盛り盛りです。

 
『なぁ新開……今までありがとナ。渡した鍵はテキトーに捨ててくれ』

「靖友! おい、靖友ってば!」
 一方的にやってきた電話は一方的に終了し、その後は着信拒否にでもされたのか、何度かけ直しても繋がらなかった。
「くそっ……なんで繋がらない……一体何があったんだよ!」
 あまりにも突然すぎて納得できず、静岡へ押しかけたことも一度や二度ではない。しかし、アパートを訪ねても洋南大学を尋ねても、肝心の荒北にはついに出会えなかった。
(施設のことも言ってたし、もう行ってて今は検査入院中なのか? 金城くんにでも訊いて……いや、あのことは誰にも話してないんだったな。とりあえずもう少しだけ様子をみてみるか)
 夏に繋がらなくなった電話番号は、冬の終わりには再び繋がるようにはなっていた。ただ、呼び出し音が鳴っても荒北が電話に出たことはなく、彼から折り返しがきたこともない。そんな荒北の近況を知ることになったのは2月の半ば、福富との会話中だった。
「最近はバイトと練習で忙しいらしい。工学部は実験のレポートが多くて大変だと愚痴っていた。ああ、でも次の大磯のレースには金城と一緒に参加す――
「え……寿一、靖友と話したのか? それっていつ!? いつ話したんだ!?」
「む? 昨日の夜だ。珍しくヤツがかけてきた。ああ、そういえばお前に伝言を頼まれたんだが、『元気だから心配するなと伝えてくれ』、だそうだ」
「伝言って……なんだよそれ。そもそもなんで寿一に電話してきたんだ?」
「さあな。荒北が気になるなら連絡してみたらどうだ」
「……それができたらいいんだけどな」
「なんだ、何かあるのか?」
「んー……オレがかけても靖友は全然出てくれないんだ。夏頃なんか繋がりもしなかったんだぜ? 何かした覚えはないんだけど……あー、もしかして、これって嫌われちまってんのかな」
「お前宛に伝言を残すくらいだ。嫌ってるわけがないだろう。ヤツは元から連絡無精なところがあるからな。他意はないと思うぞ」
「そうかな……だといいんだけどね。伝言ありがとな、寿一」
(次のクリテに出場するのか……元気ってことはガイドの件も解決したってことかな。ちゃんとした契約ができてたら問題ないんだけど。靖友は愛想がないうえにガードが固いから……フッ。ガイド役は靖友に慣れるまで苦労するだろうなぁ)
 荒北の無愛想な顔が浮かんできて頬が緩む。福富からの伝言と1ヶ月後にようやく会えるという事実が、新開が抱いていた不安や懸念を薄れさせてしまった。
 新開はもっと早くに思い出すべきだった。
 自分勝手で、嘘つきで、天邪鬼で、他人に対してズケズケと物を言うくせに自分の本音は上手く隠し、何かあっても全部ひとりで背負ってしまう。荒北靖友という男はそんな性格だということを。

 
7.
 3月末、神奈川県大磯町で開催されるクリテリウム会場に新開はいた。
(久々すぎて緊張するなぁ……)
 同じ会場に荒北がいるのかと思えば、なんとなく浮足立って落ち着かない。でも、挨拶に行くのは大会終了後と決めているし、向こうも今はウォーミングアップの最中だろう。新開も自身のロードバイクをローラー台に載せて跨ると、逸る気持ちをぶつけるようにひたすらペダルを回し続けた。

 先頭がラスト周回に入ったのだろう。聞こえてきた鐘の音が滾る闘争心をさらに煽る。額に浮いた汗を手の甲で拭った新開は、尻を浮かせて一気にペダルを踏み込んだ。前を走る福富も同じタイミングで飛び出して、ふたり一緒に数メートル先の逃げ集団を目指す。
 振り向いた福富が新開のさらに後ろへ視線を投げる。彼の片眉がピクリと動いたのを見て、恐らく彼らが追って来ているのだろうと思った。
 新開の胸の中で、レース中の高揚感に奇妙な緊張が入り混じる。後ろを振り向いて早く顔を見たいが、ゴールまでは残り数百メートルしかない。
(ここで久しぶりのご対面ってわけか……でも、ゴールは誰にも譲らねぇ)
「行け! 新開っ!」
 前を走っていた福富が横に逸れる。彼の脇をすり抜けて猛然とペダルを回し、新開は1着でゴールゲートを潜った。
 
*
 新開は妙な胸騒ぎを覚えていた。いくら待っても荒北がゴールにやってこないのだ。見過ごしてしまったとは考えられないが、数十人もいる選手全員を確認できたわけでもない。表彰式を終えた後で手早く身支度を済ませた新開は、洋南大学のテントを探しに駆け出していた。
「金城くん!」
 見慣れた後姿に声をかける。振り向いた金城は新開の慌てた様子に驚いたのか、「どうした?」とギョッとした表情で問いかけた。
「靖友いる? 今日はエントリーしてるんだろ?」
「あー……わざわざ来てもらったのに悪いんだが荒北は今日はいない」
「え、いない?」
「ああ。数日前から微熱が引かなくてな。このレースはパスしてる」
「微熱? また風邪でも引いたかな」
 荒北は高校時代から風邪を引きやすいタイプだった。寒がりなのは新開なのに風邪を引くのはいつも荒北で、『なんでオレばっかァ。おい、病人にポカリ奢れヨ』と理不尽な八つ当たりを受けたこともある。
「心配ないとは言っていたが……最近は少し走りすぎだったからな。いい機会だから休ませることにしたんだ」
「走りすぎ? 調整がうまくいってないとか?」
「いや、それが悪くはない。むしろ足の調子は良すぎるくらいだ」
「……そう、なんだ」
 ここでもまだ会えないと知って新開はガックリと肩を落とした。荒北とはとことんタイミングが合わないらしい。それにしても金城が言った「調子が良すぎる」という部分が気になった。
(良すぎる? 靖友、まさかアレを使ってたりしないよな)
「新開、車の鍵を貸してくれないか? 先に荷物を運んでおきたいんだが」
 背後から肩を叩かれて、振り返ると福富が立っていた。
「久しぶりだな福富。調子が良さそうで何よりだ」
「ああ。そっちもな。ん? レース中も見なかったが、荒北はいないのか?」
 福富が荒北を探してキョロキョロと視線を彷徨わせる。
「靖友は今日は来てないらしい。熱が出たって」
「熱……そうか、それは残念だったな。早く治してレースに出て来いと伝えてくれ、金城。楽しみに待っていると」
「ああ、伝えておこう」
「新開、鍵をくれ」
「あー、そうだった。もしかしてオレの荷物もまとめてくれた? 悪かったね」
「いや、ついでだからな。後は車に積むだけだ」
「助かるよ。サンキュー」
 車の鍵を取り出そうとしてスエットパンツのポケットに手を突っ込む。しかし、慌てたせいか鍵をポケットの端に引っかけてしまい、そのまま地面に落としてしまった。
「あっと、ごめんごめ――
 拾おうとした手が止まる。返すことも捨てることもできず、キーリングに付けたままの合鍵が銀色に光っていた。

 荒北は大丈夫だろうか。
 信頼できるガイドとペアになれたのだろうか。

 唐突に沸いてきた疑問が胸を激しくざわつかせる。
 すべてのガイドがセンチネルに協力的なわけではない。契約金欲しさにペアになったはいいが、センチネルに一切触れることなく放置したり、酷い場合には治療どころか虐待してしまうケースもあると聞く。
(足の調子、は、良すぎる……)
 大学入学後、『チャリ部? 入るかどうかは決めてねぇ』と言いつつも結局荒北は自転車競技部に入部した。だが、彼がレース中にセンチネルの能力を使ったことは一度もない。
 
『ぜってぇ使わねぇって誓ってやる。そもそもアレ使ったんじゃフェアじゃねぇし、ぶっ倒れて誰かにバレたら最悪だからな。オレはオレの足で勝負してやんヨ』
『フェアじゃないって、おめさんが言うとなんか気持ち悪いな』
『ハァ!? オレはいつだってマジメにやってんだろーが』
『うん。自転車のことだけな』
『……それ以外だってマジメだろ』
『サボり魔、遅刻魔がよく言うよ。あとはなんだ? 逃亡癖もあるな。携帯持ってんのに繋がらないし、メールもなかなか返ってこな――
『もーいい! チッ……うるせーなぁ。小姑かよ』
『小姑? おめさんは誰と結婚したんだ? オレには弟しかいねぇけど』
『るせーなァ! マジなトーンで返してンじゃねーヨ』
 
 荒北は口は悪いが自分が決めたことはきっちり守る。新開との関係がなくなるまで彼は能力を一切使用しなかった。その後のことはわからないが、万が一使っていたとしてもそばにガイドがいるなら彼の力は制御されるはずで、だからこそ「調子が良すぎる」点が引っかかってしまう。
「どうした新開」
「あー、悪い。ちょっとな……」
 拾い上げた手の中でこすれ合った鍵が軽い金属音を立てた。それは小さな音だったが、新開の耳には悲鳴のようにも聞こえた。
「……なぁ金城くん、最近、いや去年の夏以降かな。靖友と急に仲良くなったとか、よくつるんでるとか、そんな相手って誰かいる?」
「荒北と、か?」
「思い当たる人はいない? いるとするならたぶん、女の子……だと思うんだけど」
「ん? それは荒北の彼女ってことになるのか? それならいない」
「え……いない? そんなはずはないんだけどな。大学以外にもバイト先とかさ、本当にいない?」
「ああ。入学後から今日まで一度も荒北の浮いた話は聞いたことがないな。荒北は合コンに行くタイプじゃないし、工学部にも女子はほとんどいない。それにアイツは顔や態度にすぐに出るから、彼女ができれば絶対に周りもわかるはずだろう?」
「そう、だよな……あっ、じゃあ男は? 急に仲良くなったヤツはいない?」
「男……いや、特に思い当たらないが」
 首を傾げる金城が嘘をついているとは思えない。彼は本当に何も知らないのだろう。これ以上の詮索は無駄かもしれないし、荒北が怪しまれるだけかもしれない。
(靖友……)

 ガイド経験があると告げたときの傷ついたような顔。
 電話の向こうの『ありがとナ』と掠れた声。

「金城くん、免許持ってたよな。今日は自分の車で?」
「ん? そうだが?」
「じゃあ本当に悪いんだけど、寿一を任せてもいいかな?」
「え? あ、ああ、福富さえよければオレは構わないが……」
「ありがとう。寿一、そういうことだから帰りは金城くんの車に乗ってくれ。オレ、ちょっと行ってくる」
 ふたりに深く頭を下げた後、新開は踵を返して一目散に駆け出した。

 
8.
 スピードを意識していたつもりが、気がつけばアクセルをべったり踏んでいる。そのたびに慌てて速度を落としても、結局は同じことの繰り返しだった。
 ハンドルを握る手が汗で湿る。そのくせ口の中は痛いくらいに渇いていて、ゴクンと飲み干す唾すらも極わずかしか出なかった。
「頼むから、ただの風邪だって言ってくれよ……」
 上富士市の名前が視界に入るたび、心臓がドキンと跳ねて痛んだ。案内標識に書かれた距離数が順調に減っていけばいくほど、安堵感よりも焦りが増していく。
 途中でドラッグストアを見かけた新開は、車を停めると荒北のために急いであれこれ買い込んだ。風邪薬、熱冷まし用の冷却シート、スポーツドリンクに栄養ドリンク。そして迷いに迷った挙句、ローションも購入しておくことにした。
(念のためだ……必要ないならそれでいい)
 ただの思い過ごしならそれでよかった。むしろ思い過ごしであってほしかった。
 荒北の症状が本当に風邪によるものだったなら、ローションはバレないように自宅に持ち帰って、クローゼットにでも放り込んで忘れてしまおう。そして、いつか発見したときに「早とちりしてバカなものを買ったもんだな」なんて笑い話にすればいい。
 交差点を右折してそのまましばらく道なりに進む。夕日に染まり始めた車外の景色が見覚えのあるものになってきて、鼓動がさらに速くなった。荒北の家が近い。
「落ち着け、落ち着けオレ……」
 ハンドルを握り直した新開は、気分を落ち着かせようとして長い息を吐いた。
 いつも利用していた貸し駐車場に車を停める。そこから荒北の部屋までは一度も足が止まらなかった。
 レース後の疲労が溜まった足が重い。もつれそうになりながらも数段飛ばしで階段を駆け上がり、ガサガサうるさいビニール袋の音と騒音に近い足音を撒き散らして、全力スプリントに似た勢いで荒北の部屋を目指した。
 ハァハァと酸素を求めて喘ぐ喉が痛む。焦っているせいかシリンダーに上手く鍵を挿し込めず、震える手がもどかしくてたまらない。事前に電話ぐらいしておくべきだったと気がついたのはドアを開けた直後だった。
(でも、どうせ靖友は出てくれないだろうし……不法侵入になっちまうけどおめさんのためだ。許してくれ)
「靖友、いるかい? お邪魔するよ」
 念のため声をかけたが返事はない。1Kの室内は誰かがいるとは思えないほど音がなく、その不気味なまでの静けさが新開をさらに不安にさせた。
(熱があんのに出かけてるってことはないよな?)
 玄関には彼のお気に入りのスニーカーが残されている。眠っている可能性も考慮しつつ、意を決して室内にあがった。
 キッチンを過ぎ、軽くノックをしてリビング兼寝室のドアノブに手をかける。
「靖友、入る……よ!?」
 ドアを開けた次の瞬間、全身が妙な感覚に包まれた。息苦しいほどに空気が重い。屋外の光がカーテンで遮断されているせいかまるで暗い水の中にいるようで、新開はその異様な雰囲気に思わず後ずさりしてしまった。
「なんだこれ……」
 初めての感覚に戸惑ったが意を決して室内に踏み入る。窓際に置かれたベッドには確かに“誰か”が横になっていたが、その人物の雰囲気が荒北のものとはずいぶん違う。
「やす、とも?」
 名前を呼んでも返事がない。脇の下に嫌な汗をかきながらベッドに近づいてみると、横たわっていた人物は間違いなく荒北だった。
「靖友、起こしてごめん。オレだよ、新開だ。見舞いに来たんだけど熱は大丈夫か?」
 声をかけて肩を揺すってみたが荒北はピクリとも動かない。耳を澄まさなければ聞こえないほどに呼吸が弱々しく、衣服越しに感じる体温がやけに低い。
「……冗談のつもりならやめてくれよ……なぁ、起きろって!」
 強めに揺すっても反応がなく、新開はとっさに布団を剥いで荒北の心臓付近に耳をあてた。音は聞こえるもののあまりにも弱くて遅い。
「靖友、聞こえるか!? 靖友!」
 暗がりの中にいると不安に駆られて思考が鈍る。新開は腕を伸ばしてカーテンを掴み、乱暴に開け放って室内に光を入れた。が、露わになった荒北の顔にハッと息をのんでしまった。
 顔色は青白く、閉じた瞼には青い血管がくっきりと浮いている。目の下には薄いクマができていて、こんなにも病的な顔の荒北は見たことがない。3階に位置するこの部屋は向かい側に高い建物がなく、誰かに室内を覗かれる心配はない。それでも荒北を隠さなければいけない気がして、新開は再びカーテンを閉めた。
(こんなの絶対に風邪なんかじゃない。なんだ? ひょっとしてゾーンに堕ちてる? でも靖友は施設に行ったんじゃ……)

『オレ……いい加減こっちでガイド探そーかと思って。お前も前に言ってたろ。施設行きゃあ斡旋してもらえるからって』

 荒北が嘘をついたのだとしたら――
 最後に荒北に触れたのはインカレが始まる前、去年の7月頃だった。もし荒北が本当は施設に行っていないのなら、あれから約半年間も何の治療も受けていないことになる。
 思えばあの電話は不自然すぎた。新開の体調やレース結果をやけに気にして、それを荒北は自分のせいだと責めていた。
 夏以降の態度もおかしかった。電話も繋がらず、アパート前や大学で待っても現れず、まるで新開に会わないよう意識的に避けていたとしか思えない。恐らく、施設に行っていないことを隠すために。そして……

『オレんとこにわざわざ来てるし、ガイドとしての負担も相当あるはずだ』

「オレの負担をなくすためか……」
(そうだよ、靖友はそんなヤツだったじゃないか……本音は言わないし、なんでも自分ひとりで背負って、隠して、こうって決めたら引かなくて……元々がアシスト気質なんだろうな。文句を言うくせに結局他人を優先しちまうし、世話焼きで、変に義理堅くて……そんなヤツだったじゃないか)
「靖友はバカだよ……でも、オレはもっと大バカだ」
 新開は荒北の両手を掴むと強く握りしめて祈った。ガイドだと自覚していても自分のこの力がどんな原理で、どのぐらいの速度で相手に流れていくのかはわからない。とにかく速く、とにかく多く、それだけを必死に祈って冷えた手を握りしめていた。
「頼むから目ぇ開けてくれ」
 片手を離し、身体を密着させて荒北の背中を抱く。彼を温めるように背中をさすり続けたが、なかなか体温は戻らない。どうしようかと気ばかりが焦って新開は冷静な判断ができなくなっていた。自分の鼓動がバクバクと耳障りで、このまま荒北が目を覚まさなかったらと嫌な妄想がひっきりなしに浮かんでくる。
「考えろ……何かあるはずだ。身体をあっためるには……そうだ、風呂!」
 自分の身体だけでは温められる範囲が限られる。お湯に浸かることを思いついた新開は、荒北の身体をそっとベッドに横たえて急いで浴室に向かった。
 勢いよく栓を捻り、ユニットバスの浴槽にお湯を溜めていく。「よし」と呟いて浴室を出ようとしたとき、洗面台に散らばる錠剤の包装シートが目についた。中身は飲んでしまったのかどれも空になっている。
「薬……だよな。やっぱり施設は行ってたのか?」
 センチネルの症状を一時的に抑える薬は存在する。ガイドの斡旋を待つ間に処方されるものだが、それにしては空になったシートの数がやけに多い。いくつか摘まんで裏返し、薬の名前を確かめる。制御薬のシートもあったがそれは1枚だけで、他はまったく知らない薬品名が印刷されていた。
(なんだこれ……聞いたことない名前だな)
 携帯電話を取り出して薬品名を検索する。すると出てきた結果は意外なものだった。
「睡眠導入剤……?」
 出てきたページをいくつか辿る。中には通販サイトのリンクもあって、そのサイトでは個人でも購入可能になっていた。
 シートを握ったまま部屋に戻る。照明を点けてみると、途中のキッチンにもリビングのローテーブルにも、一度気がついてみればあちこちに同じシートが散らばっていた。いつから服用しているのかはわからないが、この量を見れば飲み始めが最近ではないことは確実だろう。
(なんでだ? なんのために……いや、それは後だ。今は靖友をどうにかしないと)
「靖友、靖友」
 念のため呼びかけてみたがやっぱり何も返ってこない。荒北の首を支えて抱き起こし、気合で自分の背中に乗せる。意識がない人間は思った以上に重くて、風呂に運ぶのも一苦労だった。
「目ぇ覚めたときに素っ裸じゃビックリしちまうかな」
 スエットの上下をなんとか脱がせて下着とTシャツ姿にさせる。その頃には新開も汗だくになっていて、自分も同じ服装になると荒北をかかえて浴槽に入った。身に着けたままの服がお湯を含んで重くなり、不快感を伴って肌にぴったりとひっついてくる。それでも構うことなく新開は腕の中の背中をさすり続けた。

 
9.
 蛇口から出続けるお湯の音だけが狭い浴室内に響いていた。
 どれぐらいこうしていたのかはわからないが、額に浮いた汗が流れ落ちてくるくらいには時間が経っているのだろう。それにしても普段から長湯を好む新開ですらこうして汗をかいているというのに、烏の行水の荒北が汗をかいていないのはどう考えても異常でしかなかった。肩に載った頭に動きはなく、首筋に触れているまだ少し冷たい耳が新開を苛立たせる。
「靖友……頼むよ……」
 力を込めて抱きしめても、抵抗も文句も返ってこない。
『苦しいンだよ、ちったぁ自分の腕力考えろボケナスがァ』
 トゲまみれの言葉をこんなにも聞きたいと望んだことはなかった。それなのに、まるで重い人形のような荒北は言葉はおろか瞼さえ開けてくれない。
「こうして触れるだけじゃもうダメなのかな」
 ガイドとしての相性は悪くないと思っている。いや、悪くないどころかかなり合うのではないかと保健室で手を握ったときから思っていた。
(あんときは『まさかな』なんて試しに手ぇ握ってみたんだけど……靖友の顔色がどんどん良くなってくもんだから、さすがにあれはビビったなぁ)
 数年前に受けたあの衝撃は未だに鮮明に覚えている。
 
 ある日の放課後、教室を出たところで荒北の荷物を抱えた東堂に出会い、昼休みに起きた出来事を聞かされた。
『荒北のクラスのヤツに聞いたんだが昼から戻っていないらしい。部活の前に様子を見にいってやろうと思ってな、これから保健室に行くところだ』
『へぇ、おめさんが? 珍しいね』
『クラスを覗いたついでにアイツの荷物を託されてしまったからな。それに……オレが昼に見かけたとき、なんだか様子がおかしかったんだ。脂汗が酷くて、目が少し変というか……チラリと見えただけなんだが、何かいつもとは違う気がしたのだ』
『目?』
『うむ。そうだな、黒目の周りに赤い円が見えたような……いや、見えたのは一瞬だったし、もしかしたらオレの気のせいかもしれんがな』
『赤い円……なぁ尽八、荷物持ってくのオレに任せてくれないかな。さっき寿一が言ってたけど、今日はクライマーのミーティングがあるんだろ?』
『あ、ああ、そうだが』
『遅れちゃマズイだろうし、保健室にはオレが行くよ』
『そうか? では頼む』
 荒北の荷物を受け取って足早に保健室を目指す。“黒目の周りの赤い円”が気になっていた。幼い頃の記憶と重なるものがあったからだ。
 保健室を訪ねてもあいにく養護教諭は不在だったが、パーテーションの向こう側に人がいる気配がした。そっと覗いてみるとクシャクシャになった布団の中から呻き声が聞こえていて、床に置かれた上履きの名前からそこにいるのは荒北だとわかった。
『靖友、大丈夫か?』
 声をかけても返事はなく、呻き声だけが途切れず続いている。ただ事ではない様子に驚いた新開はそっと掛け布団をめくってみた。すると、背中を丸めて縮こまっている荒北が『誰か……たすけ、て……くれ……だれか』と同じ言葉をひたすら繰り返している。
『靖友、大丈夫か!?』
 新開の声に反応したのか荒北の手が緩慢な動きで新開の制服を掴んだ。しかし、布団に顔を伏せたままで右手以外は動かず、その制服を握る手も握力が保たないようでズルズルと下がっていく。やがて力なくベッドに落ちた。
『起きて……ないのか?』
 屈んで顔を覗き込んでみたが目の前の瞼は固く閉じられていた。眉間に寄せられたシワは濃く、半開きになったままの唇がブツブツと助けを求めている。起きているようにみえるが、意識はここにないらしい。
 あることを確かめるために新開は手を伸ばした。荒北の頭に手を添えて動かないよう軽く固定し、もう片方の手で閉じた瞼を恐るおそる引っ張り上げる。緊張で指が震え、荒北の長いまつ毛も細かく揺れた。ゆっくりゆっくり引き上げて、隠れている黒目を強制的に露わにする。だが、そこに予想していたものはなかった。
(ない……ってことは靖友は“違う”のか?)
 思った以上に緊張していたらしい。ホッとした途端に全身の力が抜けて、その場にしゃがみこんでしまった。
『なんだよ、焦っちまった……』
 ベッドに突っ伏して安堵の長い息を吐く。床についた膝を手で払い、丸椅子を引っ張り出して腰掛けると、『バカだなぁ』と自分自身を笑った。
(まさかとは思うけど、一応握っとくかな)
 うつ伏せに近い姿勢の荒北を仰向けに寝かせ直し、布団を整えてから彼の手を握る。ハッキリした意志を持って手のひらを合わせた瞬間、ふたりの身体がビクンと揺れた。
『っ!? え……?』
 身体の中の何かが明らかに荒北に反応していた。全身の血液がざわざわと波立ち、重なった手のひらを起点にして身体中がどんどん熱くなっていく。火傷にも似たヒリつく痛みを伴いながらも決して不快ではなく、むしろゾクゾクする心地良さが全身を包んでいく。数年前に経験したものとは比べものにならないほどの衝撃だった。
 新開が驚いて言葉を失っているうちに荒北の顔は血色を増して健康的に変化していき、いつの間にか呼吸も落ち着きを取り戻していた。眉間に刻まれたシワはすでになく、穏やかな表情で寝息を立てている。
『あれ、誰か来てるのかな?』
 突然聞こえた声に慌てて手を離すと、パーテーションの影から顔を覗かせたのは白衣姿の養護教諭だった。
『君は荒北くんの友達かな? 彼、目が覚めた?』
『いや、まだ……あ、勝手に入っててすみません。部活行くついでに様子見を兼ねて荷物持ってきただけなんで』
『そうかぁ、まだ起きないか。もう放課後なんだけどどうしようかな』
『あの、もう少しだけこのまま寝かせてやってくれませんか? さっきやっと落ち着いたところなんです。どうせ今日は部活も休めって言われるだろうし。あ、オレももう少しだけいてもいいですか? ちょっと心配なんで』
『別に構わないけど……あ、じゃあ彼の担任に話してくるから、戻ってくるまでの間ここの留守番を頼んでもいいかな』
『はい』
 再びふたりきりになった室内で新開は自らの手のひらと荒北の顔を交互に見下ろしていた。手のひらにはまだピリピリした感触が残っている。もう一度確かめようとして手を重ねたが今度は何も起こらず、荒北の体温と彼の手のひらにできているマメの感触が伝わってきただけだった。
 
(あれから何回か怪しいなって思うようになって……まさか本当にセンチネルだったなんてな……)
 荒北の頭に手を添えながら身体を壁に凭れさせる。底が浅いユニットバスのおかげか、新開が手を離しても荒北が沈んでしまうことはなさそうだった。
 俯き加減の頭を両手で挟んで上を向かせる。顔を近づけた新開は迷うことなく荒北の唇にキスをした。尖らせた舌先で薄い唇を割ってみたが、意識のない荒北が自然と口を開くわけがない。一旦顔を離し、今度は荒北の口へ指を突っ込んで強引に口を開けさせた。再び閉じてしまわないよう顎を押さえ、唾液を乗せた舌を隙間から潜り込ませる。舌をすり合わせ、口内を舐めまわし、目の前の肉体に自分の体液を覚えさせるよう何度もそれを繰り返す。
 これまでに新開が経験してきた治療はせいぜいが手を握る程度のもので、体液を摂取させる行為はこれが初めてになる。うまくできているかはわからないが、荒北の意識を取り戻させようとして必死に続けた。
 何度目かもわからないのキスの途中で不意に荒北の唇が緩んだ。支えていた顎がピクリと反応し、喉の奥から「う……」と細い声を漏らす。
「靖友、わかるか!? 靖友!」
 間近で呼びかけてもまだ反応が鈍い。頬を軽く叩いて名前を呼び続けていると、瞼がピクピクと震えてようやく反応した。荒北が鼻を動かして匂いを嗅ぎ「……か、い?」と呟く。
 細い隙間から覗き見えたものに新開は息をのんだ。黒目を囲む濃い赤い円。センチネルの能力が発現している証拠だった。
「靖友、わかるか? 靖友!」
 焦点が合わないのかそれとも見えていないのか、声の主を探してキョロキョロと眼球が動く。それと同時に震える手が新開のTシャツを掴んだ。
「かい……しんかい……たす、け……てくれ、しんかい……しんかい」
 初めてハッキリと助けを求められた。いつだってうわ言でしか助けを求めず、おまけにそれも不特定多数に向けた『誰か』だったのに。初めて名指しで助けを求められ、新開の中で庇護欲や正義感とはまた別の感情がパチンと弾けた。衝動的にぎゅっと抱きしめて荒北のうなじに顔をうずめる。「大丈夫。オレが絶対に助けるから」と囁くと荒北も静かに頷いて応えた。
 身体を離し、荒北の頬を手のひらで包む。
「オレを信じてくれるかな」
 そう問いかけると荒北の顔がなぜか歪んだ。眉間にシワを刻み、目を閉じて俯いてしまう。
「靖友……どうしたんだ? 大丈夫だって。いつだってオレが嘘をついたことなんかないだろ?」
「……ちげぇヨ、そうじゃねェ。お前じゃなくて……」
 荒北はそれ以上は何も言わなかった。無理やり顔を上げさせても目も開けず、嫌だと拒否して頭を振る。目頭に滲んだ涙がまつ毛を濡らしているのが見えて、どうやら荒北は泣くのを我慢しているらしい。
「何があるのか知らないけど今は聞かない。とにかくオレに任せてくれないか?」
 コツンと額をくっつけ、落ち着かせるように荒北の頬を撫でる。頬を包んだままゆっくり顔を傾けてキスをした。最初は反応を確かめるために軽く触れるだけですぐに離れ、拒まれないので今度は長めに口づける。濡らした舌先を挿し入れるとさすがに驚いたのか、咄嗟に荒北が新開の腕を掴んだ。
「……大丈夫。舌、出してみて」
「舌ァ?」
「そうだよ。前に話しただろ? 体液のこと」
 身体をこわばらせている荒北もキスの意図を理解したのか、おずおずと素直に口を開いて新開を受け入れた。
 湯船に浸かったまましばらく唇を重ね続けていた。息継ぎのためにたまに唇を離しては荒北の顔色を確認する。すでに頬は赤みを取り戻していて普段よりも熱を帯び、浮いた汗がしっとりと肌を湿らせていた。じっと見つめてくる瞳にあの赤い円はない。代わりに彼の目の奥には性的な欲の光がチラチラと見え隠れしていて、荒北の目に映っている自分も似た顔をしていた。
「なんか……ヤベェ……」
「うん……同じく」
 荒北が意識を取り戻してから、彼に触れる感覚が変化していた。触れ合う場所が柔らかくなって、トロトロに溶けていくイメージ。お互いの皮膚も肉も骨さえも関係ない。溶け合って、ひとつに混じりそうになる。
(……これまでの比じゃない……これもゾーンのせいなのか?)
 情欲を掻きたてられるような心地良さが身体を包んでいく。ガイドは力を与えるだけだと思っていたが、こうして与えられるものもあるのだと知った。
 いつしかふたりの呼吸は余裕を失っていた。クラクラとのぼせそうなほどに激しいキスを交わし、受け取るだけだった荒北も積極的に求めている。新開の首に腕を回し、引き寄せ、息を吸うたった数秒すら惜しいのか唇をぐいぐい押しつけて離さない。
「しんかい、しんかい」
 余裕のない声が新開を煽る。荒北を腿の上に乗せて腰を抱いた。
 治療というよりは愛撫に近いものになっていたが、ふたりともやめられる状態ではない。能力の相性の良さがこうさせるのか、それともセンチネルやガイドの関係とは違う、また別の感情が原因なのか。
「靖友……靖友」
「うっ……ハァ……新開、しんかい」
 お互いをしっかり抱いて身体を密着させる。すると、硬く熱いものが腹筋にこすりつけられていることに気がついた。当の本人は無自覚なのか目を閉じたまま腰を揺すっていて、ハァハァと悩ましい呼吸を絶えず漏らしながらバチャバチャとお湯を跳ねさせて止めない。そして短く呻き声をあげて身体を硬くさせ、そのまま新開に覆い被さって身体を預けた。
 

-ペダル:新荒
-, , , ,

int(1) int(2)