【ますいづ】(好き+大好き+etc)×♡=?【A3!】

◆◆ caption ◆◆
・A3!の『碓氷真澄×立花いづみ』です。男女カプにハマるとは思いもしなかった…。執着系男子がとてもかわいい。
・ひとりの男性として見て欲しい真澄くんと、彼に迫られたことをきっかけにして恋心を意識し始めてしまう監督のお話。都合よくふたりっきりのシチュエーションになっています。

 

 うかつだった――
 
 ようやく気がついても、状況はすでに手遅れに近い。
「アンタ、俺も男なんだってこと全然わかってない」
 背後には布張りの背もたれ。目の前には少年らしさがまだ残る胸板。身体の左右は両手でしっかり塞がれて、逃げることも立ち上がることもできない。
「真澄くん……?」
「油断しすぎ」
 揃えた太ももを強引に割りながら、少年の片膝がソファーに乗る。二人分の体重を受け止めて、ソファーの座面が軋んだ。
「ええっと……状況がよくわからないんだけど……とりあえず膝どけてくれるかな?」
「ヤダ」
 やめるどころかさらに奥へ進む膝が強制的に足を開かせる。
「ま、真澄くん、ほんとにやめて?」
「やめない」
「ちょっと待って……ストップ!」
 迫る胸板を目一杯押し返してもビクともしない。所詮は16歳の少年だと、ハッキリした好意を向けられてもまさか行動に移すことはないだろうと、どこかでそう思い込んでいたのかもしれない。
「ねえ、落ち着いて? 急にどうしたの? こんなの真澄くんらしくな――……」
「監督」
 近づく顔。肌にかかる熱い呼吸。少年の瞳の奥で、抑えきれない欲がユラユラと揺れている。
「俺のこと、見て」
「え……」
「もっと、意識して」
 目の前にいるのは見慣れた“年下の少年”ではなかった。彼が纏う雰囲気も、表情も、声のトーンも、何もかもがいつもと違う。初めて目にする男性的な一面に、いづみはこれ以上ないほど動揺していた。
(気をつけていたはずなのに……)
  大人数で暮らす寮生活は毎日が新鮮で楽しい。それなりに問題も多いが、今では家族と過ごしているような心地良ささえ感じている。そのせいだろうか。自分以外は異性しかいないのだという警戒心が、いづみの中で薄れていたのかもしれない。

『……油断しすぎ』

 確かにその通りだと思った。しかし、気がつくには遅すぎた。
 ソファーの片隅に追い詰められてしまっては、もうどうすることもできない。立花いづみは合わせた視線を外せないまま、身を硬くして息を詰めた。

 
1.
 出会ったその日から、碓氷真澄の好意は驚くほどわかりやすかった。

『好き』
『かわいい』
『俺がいればいいだろ』
『結婚して』

 顔を合わせるたびにストレートな想いをぶつけられ、向けられる視線はドライな性格からは想像もつかないほどに情熱的。さりげなく視線を逸らしても、あからさまに無視しても、それでも彼は見つめることをやめない。
「困ってるアンタもすごくかわいい……」
「またそんなこと言って。大人をからかっちゃダメよ?」
「からかってなんかない。全部ホント」
「ハイハイ、ありがとね」
「……それ、信じてない」
「ん?」
「なんか……返事がテキトーすぎる」
「そんなことないよ。ありがとう」
「……なら、証拠見せて」
「え? 証拠?」
「俺のこと、信じてるって証拠。キスでいい」
「キッ……またそんなこと言って。もうっ! 本当にからかわないの!」
「からかってなんかない。まぁ、怒るアンタもかわいいからいいけど」
 拒んでも嗜めても効果はなく、場所がどこだろうが周りに誰がいようが、真澄はお構いなしに愛を囁いた。
(若さって怖い……まぁ、私も高校生のときは……身に覚えがないわけでもないんだけど)
 数年前の高校時代、年齢が近い教師や教育実習生がやけに大人に見えて、彼らに憧れと淡い恋心を抱いたことがある。
 成就する、しないは関係ない。片想いに一喜一憂して、仲のいい友達と何時間でも恋バナで盛り上がる。まさに『恋に恋する』状態そのもので、年上への憧れという、思春期にありがちな熱病の一種にときめいていた。
 つまり、真澄の「好き」は、自分が経験してきたものと同じ――。いつしかそう思い込み、懐かしさも相まって、彼の好意を『はいはい、ありがとう』と軽く受け流していたのかもしれない。
 ストレートな愛情表現に対して、一度も意識しなかったと言えば嘘になる。しかし相手は現役の高校生で、未成年で、大切な劇団メンバーのひとり。特別扱いをしたこともなければ、もちろん恋愛対象として考えたこともない。むしろ、誰かひとりを特別視してはいけないと自分にきつく言い聞かせて、いづみは日々の監督稼業をこなしていた。
 

……はずだった。

 
*
「たいへんっ……遅くなっちゃった」
 夕陽が落ちきった天鵞絨町に、家路を急ぐ足音と荒い呼吸音が響いていた。
 時刻はすでに19時を過ぎている。ようやくの休日に浮かれて、せっかくだからと芝居を数件ハシゴしてきた帰りだった。この日の食事当番はいづみだったが、出かける前にカレーを作っておいたので油断してしまったのかもしれない。予定していた帰宅時間はとっくに過ぎていた。
「ただいまー! 遅くなってごめんね! って……あれ?」
 息をきらしながら談話室のドアを開けたが、いるはずの団員たちの姿がない。いつもはうるさいくらい賑やかで窮屈に思える談話室も、人の気配がないと寂しいくらいに広くなる。無音の室内でただ一人ソファーに座っていた真澄が、顔を上げてヘッドホンを外した。
「監督、おかえり」
「ただいま……って真澄くんだけ? 他のみんなは自室かな? それともお風呂?」
 いづみの問いかけに対して、真澄は「いない」と頭を横に振る。
「いない? 出かけてるの?」
「……咲也はシトロンと万里に拉致られてカラオケ。綴はバイト。至は接待。夏組は太一と十座と臣とで花火するってどっか行ってる。密はビロード公園で見かけた。他は知らない。けど……見てないから家にはいないと思う」
「そうなんだ。こんなに誰もいないなんて珍しいな……。真澄くんは一緒に行かなかったの?」
「……面倒」
 真澄はうんざりした顔でため息をついたが、「アンタがいないのに行くわけない」といつもの調子でいづみに微笑む。
「……そっか。ね、夕飯は? もう食べた?」
「まだ」
「出かける前にカレーを作っておいたんだけど……他に誰もいないなら、もう食べちゃおっか」
「アンタのカレー……アンタとふたりっきり……」
「……それは『食べる』でいいのかな? すぐに準備するね。ちょっと待ってて」
 持っていた音楽雑誌を閉じた真澄が、「なんか手伝う」といづみの後ろからついてきた。
「そう? じゃあ、ふたり分のお皿にご飯よそってくれるかな」
「わかった」
 素直に従う真澄の口角がキュッと上がる。ずいぶんと楽しそうな顔で皿に白米を盛りつけ始めた。
「フフ。そんなにニコニコしてどうしたの? 今日は何か嬉しいことでもあった?」
「アンタと俺、こうしてるとホントの夫婦みたいで嬉しい」
「えっ、夫婦!? んー、そうかなぁ」
「そう。これって将来のためのシミュレーション? ……アンタって意外と大胆」
「シミュレーションって、あのねぇ……」
 相変わらずの真澄のポジティブさに呆れたものの、鼻歌まじりにニコニコと目を細める彼は珍しい。否定する気も失せてしまったいづみは、
(まぁ、嬉しそうだし……いっか)
と、受け取った皿に温めたカレールーをたっぷり注いだ。
「いい香り。余計にお腹空いちゃうね」
 スパイスの効いた香りが空になった胃袋を刺激する。ふたりの胃袋が共鳴するように同時に鳴って、顔を見合わせて笑いながら、遅い夕飯の支度を急いだ。

 
2.
 夕飯後、片づけを終えたいづみと真澄は、揃ってソファーに腰掛けていた。ふたりの間にあるローテーブルの上に、いづみが観劇してきた舞台のパンフレットが数冊ほど並べられている。
「どれもとっても面白い舞台だったの。今月いっぱいはこの演目らしいから、よかったら真澄くんも観に行ってみない?」
「……興味ない」
「すごく面白かったよ? 何か気になるものはない?」
「……アンタも行く? それなら観に行く」
「うーん……もう一度行こうかなって思ってたし、他のみんなにも聞いてみて、それで予定立てよっか」
「……ふたりきりがいい。アンタとデートしたい」
「ワガママ言わないの。勉強になるから、みんなにも見て欲しいんだよね」
「……わかった」
 渋々頷いた真澄に満足して、いづみは彼にある演目のパンフレットを差し出した。
「私はこれが一番好きかな。潰れてしまいそうな結婚式場を舞台にした演目なんだけど……って、フフフ。ちょっと親近感湧くでしょ。前半はドタバタコメディだったのに後半は思いっきりシリアスな展開になるの。恋愛要素もたっぷり詰まってて、最後は感動のハッピーエンド! 思わず泣いちゃった」
「……ふーん」
「演目の内容的に女性客が多かったな。うちもイケメン揃いだし、ウエディングを題材にしてもおもしろいかもしれない。年齢的なことを考えれば秋組か冬組が妥当なところだけど……花嫁役を立てるなら誰かが女装することになるのよね。うーん……あ、でも、意外と新しいファン層を獲得しちゃったり……? もしくは、花嫁を出さずに、同じ女性に騙された新郎5人なんていうのも面白いかな? ね、真澄くんはどう思う?」
「花嫁役ならアンタがやればいい。演じるのは春組。もちろん相手役は俺」
 真澄の返事は即答だった。質問する相手を間違えたなと思ったが、真澄とこうして演劇の話をする機会はなかなかない。最近の彼は、演技に対する姿勢が以前よりも積極的になったようにも見える。これをチャンスにして、なんとかもう少しだけ興味を持ってもらおうと、いづみは話を進めた。
「私は舞台にあがらないっていつも言ってるでしょ? それにウエディングドレスなんて似合わないし、真澄くんはいつも私を買い被りすぎだよ。ねぇ、もし真澄くんが演じるなら、この中でどの役が――
「そんなことない。絶対似合う。だから、俺と結婚して」
「似合うから結婚って、その理由はどうかと思うけど……そこまで言ってくれるのは嬉しいかな。ありがとう」
「……その顔、また信じてない」
「信じてるよ。大丈夫。ねぇ、それにしても、真澄くんって結婚願望強いの?」
「え?」
「いつも結婚しようって言うでしょ? 男子高校生が結婚を口にするのって、割りと珍しいと思うんだけど」
 その問いかけに真澄はキョトンとした顔で一瞬だけフリーズした。パチパチとまばたきを繰り返した後で、「つき合ったら結婚じゃないの?」と答える。あまりにも当然のような口調と、予想外の答えが可愛くて、いづみは思わずフフッと笑いだしてしまった。そんないづみに対して、少しだけ怪訝そうに真澄が眉をひそめる。
「何? 俺、何もおかしいことなんて言ってないんだけど」
「ごめんごめん。答えが意外だったからつい。真澄くんにとって、恋愛のゴールが結婚ってことであってる?」
「そう」
「そっか。真澄くんの恋愛観って少女漫画みたいでかわいいね。椋くんが聞いたら喜んじゃうだろうな」
「漫画って……バカにしてる」
「してないよ! 真澄くんって女の子への対応がすごくクールだし、他人にあまり関心がないでしょ? 恋愛や結婚とはいまいちイメージが結びつかなくて。それでかな、恋愛イコール結婚っていうのがちょっと意外というか、男の子にしては珍しい恋愛観だなぁって」
「意外じゃない。俺はいつだってアンタのことを真剣に考えてるし、アンタが好きだって何度も伝えてる。それなのに意外って……」
 いったん言葉を切った真澄は、ハァ、と短いため息をついた。
「ねえ、俺の気持ち、まったく伝わってないってこと? それに……かわいいなんて言われても全然嬉しくない……」
「ごめんね。でも、年相応でかわいいなって思ったから」
 かわいいという言葉に反応して、真澄の表情がムッとした険しいものに変わる。
「アンタ、いつまで俺をガキ扱いするつもり? 年齢なんて関係ないだろ」
「ええっと、子供扱いしてるつもりはないんだけど……」
「じゃあ、何? どんなつもりなの」
 ゆらりと立ち上がった真澄がパンフレットを手放してテーブルを跨いだ。いづみの前に立って身体を低くし、両腕の中にいづみを閉じ込めるようソファーの背もたれに両手をつく。
「な、何……?」
「アンタ、俺も男なんだってこと全然わかってない」

 
**
「もっと、意識して」
 真澄の右手がいづみの頬をそっと包む。ふたりの距離は鼻先が触れてしまうほど近く、真澄の呼吸がいづみの唇の上に乗る。
(キッ……キス……!?)
 真澄が初めて見せた男性的な部分に、いづみはどうしようもなく動揺していた。心臓が急激に鼓動を速め、全身が一気に熱くなり、体温上昇のせいで肌がしっとりと汗ばんでしまう。
「監督……」
「それは……ダメー!」
 唇が触れてしまう前に、いづみはとっさに俯いて顔を逸らした。身体を硬くしてささやかな抵抗を取る。しかし真澄は最初からキスをするつもりではなかったのか、何でもなかったようにいづみをぎゅっと腕の中に抱きしめた。
「真澄くっ、ん……くるし……!」
「……俺だけ倍速で時間が進めばいいのに。今すぐアンタに追いつきたい。そうしたらどこにだって行ってあげるし、今以上に何だってしてあげるのに」
 真澄がついた深いため息が、いづみのうなじを湿らせて消えていく。
「アンタが誰かと飲みに行くのも嫌だ」
「……え?」
「酔って赤くなってるとこ、誰にも見せたくない。俺だけに見せて欲しいのに、俺はまだ一緒に行けない。寮で飲んでるときだってそう。未成年はさっさと寝ろって追い出されて、アンタのそばにいることすらできない。俺の知らないところでアンタに何かあったらって思うと……正気じゃいられない。おかしくなりそう」
 思いを吐き出すたびに真澄はいづみを抱きしめた。しっかりと肩を抱き、指は服を掴んで離さない。確かに腕の中に捕らえているのに、それでも足りないと訴えているような強い腕の力。
「……早く追いつきたい……今すぐ大人になればいいのに」
 絞り出すような声が痛々しくて、その声がいづみの中の何かを打った。身体の緊張をほどいて顔を上げ、目の前にある真澄の肩にそっと頬をくっつける。
「真澄くん、年齢は仕方ないよ……ね? 私が真澄くんよりも少し早く生まれたってだけ」
「……わかってる。でも悔しい」
「うーん……」
「アンタが生まれて俺と出会うまでの、俺が知らない時間が悔しい」
「そればっかりは……どうにもできないかなぁ」
 思わぬ本心に驚きつつも、いづみは素直に嬉しいと思っていた。
 真澄の想いが強すぎて戸惑うこともある。いづみ以外への冷淡な態度や無関心さを、どうにかして改めさせようと何度も奮闘した。
(でも、ほんとは違ったんだね……)
 いづみへの好意という不純な理由が気になるが、劇団のメンバーと過ごすうちに真澄なりに焦りを感じ、少年と大人の間で揺れているのだろう。普段の彼が見せるクールさは、精一杯の背伸びなのかもしれない。偶然知ってしまったとはいえ、真澄の人間らしい年相応な部分がとても嬉しかった。
(ごめんね、やっぱりかわいいなぁって思っちゃう)
「ねぇ真澄くん、かわいいなんて言ってごめんね? 真澄くんは年齢の割にしっかりしてるから、16歳らしい部分が見えるとなんだかとっても嬉しくなるの。からかってるつもりはないし、子供扱いもしていない。信じてくれる?」
 問いかけても真澄は何も答えない。ただギュッとしがみつき、いづみの首筋に鼻先をうずめただけだった。
「それに、あまり早く大人になってほしくないなぁ私は」
「……え?」
「だって、人生が80年だとするでしょ? 大人になる前はたった19年しかないんだよ? ハタチを迎えた後はずーっと大人なの。だから、10代の真澄くんをもっと楽しんで欲しいな」
「アンタがいれば俺は充分楽しいけど」
「……ありがと。でも、他にもたくさん経験してね。経験が演技の肥やしになることだってあるんだよ? あ、真澄くんがこの先も演劇の道に進む前提で話しちゃってるけど……でも、演劇だけじゃなくて、人生経験って何に対してもすごく大事だし、だからこそ真澄くんにはたくさんの人に関わって、たくさんの思い出を作って、たくさんのことを学んで貰いたいな」
「……わかった。アンタが言うならそうする」
「う、ん? 私がってところがちょっとひっかかるけど」
 茶化した言い方につられたのか、真澄は「フフッ」と小さく肩を揺らした。そして腕の力を緩めて、「ねえ、監督」といづみの顔を覗き込む。
「蓄積した気温が桜のつぼみを開花させるように、アンタに好きって言い続けたら、いつか俺を好きになってくれる?」
「桜のつぼみ?」
「そう。今朝、綴と紬が話してたの聞いた。ねえ、今どのぐらい? アンタの中で俺の好きはどのぐらい溜まってるの?」
「えっと……急にそんなこと言われても……」
「まだ? まだ全然足りてない?」
「ええと……」
「ね、監督。俺のこと見て」
「真澄くん……」
「好き、大好き。監督のこと、好きすぎて苦しい……。ねえ、これって俺だけ? 俺だけなんてヤダ。アンタも同じ気持ちになってくれなきゃ嫌だ」
 余裕のない表情と伝えられる強い想いが、いづみの心の中にどんどん落ちていく。とても熱くて、暖かくて、むず痒くて、キュンと胸を高鳴らせる。懐かしい、甘酸っぱい恋の予感に似ていた。
 再び真澄がいづみを腕の中に引き寄せる。
「俺にはアンタが望む場所へ連れて行くための運転免許もないし、アンタを養えるだけの金も仕事もない……ないものばっかりで本当にうんざりする……だから、今はもう少しだけ待ってて。俺のことが好きって、俺じゃなきゃダメだって、いつか必ずアンタにそう言わせてみせる。そんな大人になるから……そばで見て待ってて」
 ギュッと抱きしめる真澄の腕が震えている。ドキドキとうるさい鼓動はどちらのものかわからない。抱き返そうとしていづみが真澄の背中へ腕をおずおずと回しかけたとき、玄関の扉が開く音がした。
「ただいま帰りましたー!」
「ただいまダヨー!」
と、咲也とシトロンの明るい声が廊下に響く。
「ま、すみくんっ……! みんな帰ってき――……」
 慌てて離れようとするいづみの額に、ふいうちで柔らかいものが触れた。ぎこちなく押しつけられた唇は、キスだったと意識する前にあっという間に離れていった。
「今の……」
 思わず押さえた額には唇の感触がうっすらと残っている。そのいづみの手を真澄が上からそっと握った。
「……大好き」
 熱いまなざしとは対象的な優しくて甘い囁き。足音が迫る中、名残り惜しむように髪を撫でて、真澄はいづみを解放した。

 
3.
「あれ、監督ちゃんと真澄しかいねーの? おいおい、監督ちゃん。真澄に変なことされてねーだろうな?」
 談話室のドアを開けた万里が、ふたりきりの状況を目にして露骨に顔をしかめる。そして嫌がる真澄の隣りに腰を下ろすと、「真澄。てめぇ、抜けがけすんなよ?」と無理やり肩を組んでのしかかった。いかにも迷惑そうな顔で「……うざい」と呟く真澄は、いつも通りの彼に戻っていた。
(よかった。真澄くん、いつも通りだ。私も早く気分を落ち着けないと……)
 何とか気分を変えようとして、テーブルの上に広げっぱなしだったパンフレットに手を伸ばす。その様子をまじまじと眺めていたシトロンが「ナンだか変ネ?」と首を傾げていづみの隣りに座った。
「カントク顔赤いヨ?」
「え……?」
「カゼひいた? それとも誰かにホの字ネ?」
「ホのっ……!? シっ、シトロンくん変なこと言わないで!」
「んー?」
 あたふたするいづみに「ちょっと失礼するネ」と微笑んだシトロンは、自身の手のひらをいづみの額にそっと押しあてた。
「うーん、ホントにアツいヨ。カントク、これはきっとカゼひいたネ」
「えっ、熱が!? 監督、大丈夫ですか!?」
「カゼひいたときは、オシリにネジ巻くとイイヨ」
「えええ!? シトロンさんっ、お、お、お尻にネジ、ですか……!?」
「シトロンくん……もしかして首にネギ、のことかな?」
「Oh! それダヨ!」
「フフ。一体何のことかと思った。風邪は引いてないから大丈夫だよ。シトロンくんも咲也くんも、心配してくれてありがとう」
「そう? でも無理はNO、NOネ」とシトロンが微笑んだタイミングで、扉の向こう側が賑やかになった。花火をしに出かけていたメンバーが帰宅したらしい。
「あー、やっと帰ってきたー! マジ疲れたッスよ~」
「ほんと。どっかの誰かさんがアイス買いに行ったきり帰ってこないから、遅くなっちゃったじゃん」
「はぁ!? オレのせいかよ!? そもそも罰ゲームなんてやる必要あったか!?」
「花火の〆にはやっぱ線香花火レースっしょ! てか、テンテン無事にみつかってマジよかった~。インステで捜索願いだそうかと思ったんだよねー。【拡散希望】でまさかの“1万ええな”きちゃったり~!?」
「おい、インステはやめろ! 営業妨害だ!」
「……今さらじゃない? ポンコツ役者の黒歴史がまたひとつ増えるだけだよね」
「なっ……んだとぉ!?」
「あ! 十ちゃん、アイスちょっと溶けちゃってる……!」
「ん。すぐ食べる」
「オレもアイス食べる~! おみ、見てっ。オレのさんかくアイス~!」
「ん? ああ、懐かしいな、スイカのヤツか。溶けないうちに早く食べちまうんだぞ?」
 廊下を歩いて来るたくさんの足音がして、談話室のドアが開く。
「ただいまッス!」
「ただいま」
「ただいまー!」
「監督、ただいま」
 一気にその場の人口密度が増して、あっという間にいつも通りの光景になる。
「みんな、おかえりなさい。花火楽しかった?」
 いづみは耳にかけていた髪をおろして、ジンジンと痛いほどに火照った耳を隠した。室内に溢れるたくさんの声の中で、胸を打つ鼓動がやけにうるさくて仕方がない。
 チラッと目線だけを動かして真澄を見れば、彼もまた静かにいづみを見つめていた。目が合った瞬間に口角がニッと上を向き、彼の唇が「す」「き」と告げる。
 他の誰にも見えていない無言の囁き。ふたりだけの秘密めいたやり取りと、あまりにも柔らかい真澄の表情が、いづみの胸をキュンと締めつけて苦しくさせる。思わず握りしめた手のひらは自分でも驚くほどに熱を持っていた。
「やだ……ほんとに熱い……」
 
『すき』

 たったそれだけの短い単語が身体の奥に熱を溜める。散々耳にしてきたはずなのに、今は心を掴んで離さない。芽生えてしまった小さなつぼみが、開花に向けてゆっくりと成長し始めた。

 
***END***

-not腐, 他ジャンル
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int(1) int(1)