【ますいづ】おかえり、真澄くん【記憶喪失】

◆◆ caption ◆◆
・A3!の“ますいづ”です。時系列的に『(好き+大好き+etc)×♡=?』の数か月後のお話になります。

≪注≫
・真澄くんが一時的な記憶喪失になっています。
・いづみちゃんを無理やり組み敷く描写あり。

 
1.
「ええと……チラシと衣装のラフ案は一旦ここまでにあげてもらうとして、幸くんと一成くんにその連絡。あっ、リーダーズ会議の日にちも調整しないといけないんだった! 天馬くんの撮影スケジュールって――ん? あれ、まだ貰ってなかったかな? じゃあ、これも今夜の稽古後に確認っと」
 広げているスケジュール帳にはすでに予定がびっしりと書き込まれている。残り少ない余白にメモを追記して、立花いづみはペンを置いた。
「はぁ……何回経験しても慣れないなぁ」
 卓上カレンダーをめくりながら次回公演初日までの日数を目で数える。どの舞台でも余裕を持ってスケジュールを組んでいるつもりだが、それでもなお不安は消えない。ほぼ素人同然の状態で始まった監督業務は、月日や回数をこなしてもなかなか慣れるものではなく、いつの間にか何度も予定を確認する癖がついていた。
 視界の端のオレンジ色に手を伸ばす。握ったマグカップが手のひらに冷たい。口をつけずに放置したままで、ずいぶん長い時間が経っていたらしい。
(……どれくらいこうしてたかな)
 携帯電話をタップすると時刻は18時を過ぎたところだった。
 本来の夕食当番はいづみの予定だったが、午後の講義が休みになったからと臣が交代を申し出てくれていた。しかし、ちょうどキリもいいところだし、乾いた喉も潤したい。やっぱり自分が夕飯を作ろうと腰を浮かせかけたとき、部屋の外が騒がしくなった。学生たちの帰宅が重なったのかもしれない。
 義務教育組が帰ってくると、それまで静かだった寮内が息を吹き返したように活気づく。限度がすぎなければそれはそれで微笑ましい日常風景だが、大体は騒ぎすぎて成人組に諌められることになる。
「ちょっと……このままだと怒られそうかも?」
 階下から聞こえてくる声のボリュームが少々大きい。今回も後者になりそうな予感がして、いづみはマグカップを片手に立ち上がった。

*
「まっ、真澄くん! ちょっと落ち着こうよ、ね?」
「待てよ真澄っ! いいから話聞けって!」
 自室のドアを開けた途端、咲也と綴の声が耳に飛び込んできた。ふたりの声のトーンがいつもと違う。おまけに彼らの声を荒げさせている相手はあの真澄だ。
(真澄くん……またふたりを困らせてるのかな?)
 小走りで階段を降りて行くと102号室のドアは開けっ放しになっていて、そのせいで言い争う声が中庭に反響している。
「何? ケンカ!?」
 室内には咲也、綴、真澄の他に臣がいた。綴と真澄がボストンバッグを引っ張りあい、臣がふたりを宥めつつ間に割って入る。カバンを巡って言い争っているようだが、まったく状況が飲み込めない。
「何? 一体どうしたの?」
 いづみの気配を察したのか、ドアの一番近くにいた咲也が振り向いた。
「咲也くん、何があったの?」
「あっ、カントク! じつは……」
 咲也が話してくれた内容は信じ難いものだった。
 昼休みに何かしらの理由で真澄が怪我をしたこと。幸いにも目立った外傷はないが、頭を打ったせいで記憶が曖昧になっていること。劇団に入る少し前くらいまで記憶が戻っているらしいこと――
「記憶がないって……そんな……ね、真澄くんのご両親は!?」
「それがやっぱり連絡がつかなかったみたいで……同じ寮で暮らしてるオレが呼ばれて、先生と一緒に病院まで行ってきました」
「それで、真澄くんの状態は?」
「検査もしたんですけど、記憶が曖昧になっている以外は特に問題ないそうです。記憶に関しても一時的なものだろうってことで帰宅の許可も下りました。どうにか説得して連れて帰ってきたんですけど、真澄くんはオレのことも覚えてなくて……他人扱いされて大変でした」
「で、この状況は?」
「ここは知らないから自分ちに帰るって言いだして……」
「それを引き止めてるってところね」
「はい……」
 状況説明を聞いている間も言い争いは収まらず、とうとう綴がボストンバッグを奪い取った。あのバッグに私物をまとめて、真澄は自宅へ帰るつもりだったのだろう。開いたままのバッグから、雑に詰め込まれた衣服がはみ出している。
「カントク、すみません……本当は一番にカントクに連絡しなきゃいけなかったのに……オレ、動揺しててそこまで気が回らなくて……」
「ううん、無理もないよ。むしろ真澄くんに付き添ってくれてありがとう」
 沈んだ表情の咲也を安心させようとして微笑んでみせる。ホッとしたのか彼の顔は少しだけ明るさを取り戻したが、不安げな色は消えていない。
(うーん……どうしたらいいのかな。とにかく真澄くんにも話を聞いてみて……)
 いづみが部屋にあがりかけたとき、綴と真澄の睨み合いが終わった。真澄はバッグを諦めたらしく、「もういい」と入口に足を向ける。
 声をかけるよりも先に身体が動いていた。両腕を広げて入口を塞ぐと、目が合った真澄が怪訝そうな顔で立ち止まる。
「どこに行くの?」
「……何、アンタ」 
「どこに行くつもりなのか教えてくれる?」
「……邪魔なんだけど」
「ねぇ、答えて」
「……アンタには関係ない」
 自分を見下ろす無感情な瞳に怯みそうになったが、それでもいづみは目を合わせたまま入り口を塞いで立ち続けた。
 無理に通り抜けようとして真澄がいづみの腕を掴み、いづみも負けじと彼の腕を掴み返す。
「ここは通さないから」
「……うざい」
「自宅に戻っても誰もいないでしょ? 頭も打ってるんだし、今日はここで安静にしよう?」
「……誰もいないのは慣れてるから問題ない。それに、他人だらけの知らない家にいるよりマシ。っていうか……アンタ、誰?」
 
『アンタ、誰?』

 思ってもいなかった言葉にいづみの手が緩む。真澄はその隙をついて腕を振り払うと、「どいて」と煩わしそうにいづみを押しのけた。
 ショックだった。
 容赦のない他人行儀な態度と冷たい視線。冗談や間違いではなく、目の前にいる碓氷真澄は本当に記憶を失っているのだと思い知らされた。
「わわっ……! 真澄くん、待って!」
 部屋を出ていく真澄と、彼を追う咲也の背中。自分も追わなければと思うのに、思うだけで足が動いてくれない。
「カントク、大丈夫か?」
 ポンっと肩を叩かれて我に返った。気がつけばすぐそばに臣が立っていて、心配そうにいづみの顔を覗き込んでいる。
「ごめん、大丈夫。わ、私も追いかけないと……」
「なぁカントク。今日は真澄の言う通りにさせたらいいんじゃないか?」
「……え?」
「たぶんだけど、ああなったら俺たちの意見なんて聞かないだろうし、自宅の方が落ち着くっていうんなら今日はそっちで休ませたらどうかな」
「でも……」
「無理に引き止めた結果、夜中に寮を抜けだされでもしたら大変だろ? ひとまずカントクが同行して自宅に帰させた方がマシなんじゃないかな」
「そ、そうかな?」
「ああ。不安だったら後からさきょ……あー、左京さん、今夜は組の予定で不在なのか……そうだな……俺も今夜はバイトなんだけど、終わったらそっちに合流してもいい。とにかく、こっちのことは俺と綴に任せて、監督は真澄についてやってくれ。他の皆には説明しとくからさ」
 ニッと笑った臣がいづみの背中を優しく押す。人懐こい笑顔がいづみを安心させ、同時に落ち着きを取り戻させてくれる。
「じゃあ、そうするね!」
「おう。そうだ、出る前にキッチンに寄ってくれ」
「うん!」
 自分の部屋へと踵を返し、携帯電話と財布を掴んで再び階段を駆けおりる。真澄はまだ近くにいるらしく、彼を呼ぶ咲也の声が玄関の方から聞こえてくる。
「臣くん? 行ってくるね」
 キッチンを覗いて声をかけると、振り向いた臣が「これ持ってってくれ」と保冷バッグを差し出した。
「カレーの残りだ。ご飯も別にして入れてある。真澄の家は無人なんだよな? 電子レンジぐらいはあるだろうから温めて食べてくれ」
「うん、ありがとう」
 差し出されたバッグをありがたく受け取って玄関に急ぐ。すると今度はいづみを追ってきた綴が「これも持って行って欲しいっす!」と、トートバッグを手渡した。
「これは?」
「アイツが使ってた台本と、三好さんが編集してくれた春組公演のDVDっす。見せたら何か思い出すかもって」
「そうだね、いいアイディアかもしれない」
「っす!」
 受け取ったバッグを両腕で大事に抱えたいづみに、綴は親指を立てて笑ってみせる。
「監督、真澄のこと頼みます。アイツ、普段はとことんガキだし、ムカつくし、俺らは揉めてばっかなんすけど……でも、アイツがいないとなんか調子狂うんで」
「綴くん……わかった、任せて!」
 力強く頷いたいづみは外にいた咲也とバトンタッチして、小走りで真澄の背中を追いかけた。
 

2.
 同行を嫌がっていた真澄もいづみの強引さに観念したのか、家に着く頃にはポツポツと言葉を交わすようになっていた。
 自宅へ到着するまでの間にMANKAIカンパニーの説明や真澄が入った経緯、いづみの自己紹介と立場の説明などをひと通り終えたものの、真澄が何かを思い出す気配はまったくない。
(任せてなんて言ったけど、私がどうこうできる問題じゃないのかもしれない……ってダメダメ! さっそく弱気になってどうするの! 解決策はきっと何かあるはず!)
 改めて気合を入れ直したとき、先を歩く真澄がふいに足を止めた。うつむいていたせいで彼の背中にぶつかってしまい、「ご、ごめん!」と慌てて顔をあげる。
「真澄くん? 急に立ち止まってどうかした?」
「着いた」
「ん?」
「家。ここだから」
 そっけない調子で真澄が指を差す。つられて目線を動かしたいづみは自然と息をのんでいた。
「……そんな気はしてたけど、真澄くんの家ってやっぱりすごいんだね」
「すごい? そう?」
「そうだよ。秘書さんもいるみたいだし、ご両親ってきっとすごい方なんだよね?」
「……さあ」
「さあって……自分の家族のことなのに?」
「……ずいぶん顔も見てないし、わからない」
「ずいぶん!? それってどれくらい……?」
「さあ? 覚えてない」
 淡々とした返事の中に含まれている異様さ。義務教育途中の未成年が口にする言葉として何かが間違っている。
「覚えてないって……そんなに長期間会ってないの!?」
「……そんなに驚くことじゃないだろ」
「驚くよ。だって、真澄くんはまだ未成年なんだよ!?」
「べつに。これが普通だから」
 事もなげに呟いた真澄は本当に何の疑問もないのだろう。取り出したカードキーを差し込んで、慣れた手つきで暗証番号を押していく。セキュリティが解除される音と共にドアが開いた。
「入れば」
「お、お邪魔します……」
 玄関に足を踏み入れつつ、中に向かって声をかける。もちろん誰かがいるはずもなかったが、室内はしばらく無人だったとは思えないほどきれいに整えられていた。どの家具もシンプルすぎず、かといって飾りすぎず、いかにも高額そうなものばかりが置かれている。名のある高級ホテルを訪れたときに似た妙な緊張感を覚えながら、いづみは真澄の後をついていった。
 外はそれほど寒くないのに、室内の冷えきった空気が服を通して肌に染み込んでくる。家全体に漂っている生活感のなさがモデルルームを思わせ、それが余計に冷えた印象を与えるのかもしれない。
(こんな広いところにいつもひとりきりだったなんて……)
 温もりが感じられない家で真澄はどれだけの時間を過ごしてきたのか。
「ね、ご両親がいないときって食事や掃除はどうしてたの?」
「……専用の人がいる」
「専用の人? ハウスキーパーかな?」
「そう。週に何回か決まった人が来て、その人が全部やってる」
「そうなんだ……」
 真澄がMANKAIカンパニーに加入した日、親に連絡を取っても繋がらなかったことを思い出していた。翌日の折り返し電話も、秘書を名乗る人物から留守番電話にメッセージが残されていただけ。碓氷家は一般的に見ても裕福な家庭といえる。しかし、真澄の境遇を思うと、それが幸せなことなのかいづみにはわからなかった。
(真澄くんがどう思ってるのかはわからないけど、もし私が真澄くんの立場だったらむしろ孤独で、寂しくて、悲しくて……)
 真澄の境遇を自分に置き換えて想像してみる。決して同情したわけではなく、純粋な悲しみで胸が苦しくなった。彼の家庭がいろんな意味で“一般的ではない”と知っていたはずなのに、こうして実際に訪問してみると思っていた以上に心が痛む。
「あれ……食べるもの、何も置かれてない」
 真澄の声で意識がその場に戻った。同時に胸の苦しさがスッと引いていく。それでも切なさだけは残ったままで、いづみはそれを消そうとして「真澄くん、カレー好き?」とわざと明るい口調で問いかけた。このまま彼の境遇を悲しんでいても自分にはどうすることもできない。なら、今できることを考えるべきだと気持ちを切り替えた。
「カレー?」
「うん! これ、持ってきたから一緒に食べない? 電子レンジ借りてもいいかな?」
「……わかった。こっち。来て」
 真澄が準備した食器に温めたカレーライスを盛りつけていく。ほくほくの白い湯気と、唾液を誘うスパイスの香り。食欲を刺激されたふたりの胃がお揃いの音を鳴らす。
 多少の居心地の悪さを感じつつ、大きすぎるダイニングテーブルの席に着く。
「さあ、食べよう。少しだけどおかわりもあるからね。ハイ、いただきまーす」
 上機嫌でスプーンを握るいづみとは対照的に、真澄はテーブルの上を見つめたままで動かない。
「真澄くん、食べないの? カレーは嫌いじゃなかったと思うけど……」
「いや、そうじゃなくて……この匂い……」
「ん? 匂い?」
「……なんでもない。いただきます」
 腑に落ちない表情でスプーンを握った真澄は、ルーだけを掬ってためらいがちに口に含んだ。時間をかけて咀嚼し、二口目はライスも一緒に口へ運ぶ。しかし、それらを飲み込んだところで真澄は手を止め、皿に盛られたカレーライスを無言で凝視し始めた。
「どうかした? 辛い? あっ、もしかして口に合わなかったかな……?」
「……意味がわからない」
「え?」
「このカレー……知ってる。食べたこと、ある」
 真澄の言葉がいづみの心臓を跳ねさせた。鼓動の速さが一気に増して、スプーンを握る指先に力が入る。
 カレーの味を覚えているのなら他にもきっと思い出せることはあるはずで、すべてきれいに忘れたわけではなく、何かきっかけがあれば記憶が戻るに違いない。問いかけたい欲求が次から次へと湧いてきて、期待や焦りが内側から唇をこじ開けようとする。それを堪えるためにいづみは深く息を吸った。
(でもここで焦っちゃダメだよね。うん、うん、落ち着いて、冷静に、冷静に……)
「ねぇ真澄くん、辛さは大丈夫?」
 手元を見下ろしたまま真澄が小さく頷く。「平気」とだけ応えて再びカレーを食べ始めた。
「おいしい?」
「……うまい……好きな味」
「ん……そっか。よかった」
 少しだけ震えてしまった声に真澄は気がついただろうか。ごまかそうとして咳ばらいをし、「いただきます」といづみもカレーを頬張る。
 いつもと変わらないカレーの味。真澄が覚えていてくれた味。
 スパイスではない何かが鼻の奥をツンと痺れさせた。目頭に熱が灯り、にじみ出た涙が目の前の真澄ごと視界をどんどん歪ませていく。鼻水をすする音に驚いたのか、顔をあげた真澄が手を止めていづみを見ていた。
「あっ、これは何でもないの!」
「……泣いてる?」
「ごめんね、大丈夫だから。おかしいな……ちょっと私には辛かったかも」
 じんわり濡れる目元を指でぬぐう。鼻水をすすりながら食べたカレーライスはいつも以上に幸せな味がした。
 

3.
 夕食後、リビングに場所を変えたふたりは綴が持たせてくれたDVDを再生していた。春組の旗揚げ公演である『ロミオとジュリアス』が終わり、続いて第2回公演が始まろうとしている。
 斜め前に座っている真澄の顔を盗み見る。彼の横顔は鑑賞中もクールさを保ったままで、何を考えているのか読み取ることはできなかった。
「この第2回公演はね、真澄くんが主演と座長を務めたんだよ」
「……ふーん」
「ほら見て。台本にもこんなに書き込みがしてあるの」
 台本を差し出してみる。真澄は渋々といった態度でそれを受け取ったが、パラパラとページを捲っただけで興味なさげにすぐに閉じた。
「どう? 何か思い出さない?」
「……べつに何も。そもそも演劇なんて好きじゃないし、興味ない。どうだっていい」
「そんな……」
「俺はもう観ないから。アンタは観ててもいいけど、終わったら勝手に止めといて」
 チラリとテレビに視線を送って、真澄がソファから腰を浮かせる。立ち上がった彼の足元に音を立てて台本が落ちた。
「えっと、どこ行くの?」
「……どこって風呂だけど」
「ほ、ほんと? こっそり出ていったりしないよね?」
「出ていく? こんな時間に? 今さら行くわけない。それに、これ。着替えたいから」
「あ、そっか……そうだよね。ごめん」
 病院からの帰宅後、早々に寮を出たせいで真澄は制服姿のままだった。ソファの背もたれに掛けていたブレザーを掴んで、真澄がリビングを出ていく。
 いづみは落ちた台本を拾い上げると、そのままカーペットに直に座った。落ちたときについてしまった折り目を丁寧に伸ばしてパラパラとページをめくる。
 本の中には真澄らしいちょっと硬めの筆跡でたくさんのメモが記されていた。マーカーペンでラインが引かれていたり、自分以外のセリフにも細かなチェックが書き込まれていたり、おそらく公演を重ねるたびに書き足していったのだろう。どのページも余白がほとんどなくなっていて、役者としての真澄の成長記録そのものを見ているようだった。
 書き込まれた文字を上から指でそっとなぞる。
(真澄くん、最近は芝居にも興味を持ち始めていたのにな……)
 記憶を失っているとはいえ、演劇に興味がないと言われたことがグサリと来た。カレーライスへの反応に喜んだばかりだったので余計にキツイ。
「ハァ……喜んだり落ち込んだり……私がしっかりしないといけないのに」
 台本を閉じてテレビ画面に目を移すと、画面の中では真澄が演じる“アリス”と至の“帽子屋”の軽快な掛け合いが続いていた。コミカルに進行していくこの劇は、やがてアリスが大学構内で目を覚ますシーンに移る。
(今の状況も私が見ている夢だったならどれだけいいか……)
 いづみはローテーブルに突っ伏して、複雑な思いと共にテレビ画面の中の真澄を眺めていた。

*
「ねぇ、ちょっと」
「んん……ん? わっ!」
 いつの間にか眠りに落ちていたらしい。揺れる感覚に瞼を開けると、すぐそばに真澄がいた。突然の距離の近さに驚いて慌てて身体を起こす。
「真澄くんっ、なっ、何!?」
「何って……アンタも風呂に入ればって言おうとしたんだけど……」
「あ、そ、そっか、お風呂ね。けど、私はこのままでも――
「アンタは構わないかもしれないけど、俺が気になる。迷惑」
「あー……そう、だよね。でも私、着替えも何も持ってこなかったし……」
 ためらういづみの前に真澄が自分の服を差し出す。
「これ使って。サイズが合わないだろうけど、その服のままで寝るよりマシだろ」
「え……いいの?」
 おずおずと服を受け取ったいづみに「……夕飯のお礼」とだけ呟いて、真澄は照れくさそうに視線を逸らした。
 

「真澄くん、お風呂ありが……とう」
 浴室を出てリビングに戻ると、真澄はソファーに深く身体を預けてまどろんでいた。右手にテレビのリモコン。膝の上には広げた台本。停止したはずのDVDが再生されていて、どうやら真澄は公演の続きを見ている途中に寝落ちしたらしい。
「フフ……興味ないって言ってたのに」
 ただのきまぐれなのか、それとも……。
 いづみは滑り落ちそうなリモコンを受け取ってDVDを止めると、真澄の肩を揺すって声をかけた。
「真澄くん、起きて。真澄くん?」
「う……んん?」
 視線の定まらない瞳がいづみを映す。「眠い」と目元をこする真澄はいつもの真澄そのものだった。記憶が戻ったのかと少しだけ期待したものの、「……ああ、アンタいたんだ」と言う声の冷たさにいづみの肩が落ちる。
「……お風呂ありがとう。眠いならベッドで寝よう? ここじゃ風邪ひいちゃうよ」
「アンタは?」
「え?」
「アンタはどこで寝るつもり?」
「えっと、私は……あっ、ここ! ソファー借りてもいい? 押しかけた上に図々しいお願いなんだけど……毛布も借りてもいい?」
「……ほんと図々しい」 
 いづみへの警戒心が薄れてきているのだろう。呆れ顔でため息をつくわりには声の中にトゲがない。「あはは。だよね」と自虐的に笑うと、真澄も少しだけ口角をあげた。
「……ちょっとこっち。ついて来て」
 立ち上がった真澄がいづみを手招きして呼ぶ。
「どこ行くの?」
「俺の部屋」
「えっ!? 真澄くんの部屋!?」
「そう。俺がここで寝るからアンタは俺のベッド使って。なんか知らないけど、アンタをソファーで寝かせるのは罪悪感」
「いや、いいよ! ここは真澄くんの家だし、勝手に押しかけたのは私だから私がソファーで寝るよ」
「ダメ」
「ダメって言われても私も譲れないよ。真澄くんはベッドでゆっくり休んで。ね?」
「……無理」
「真澄くん」
「無理なものは無理」
「言う通りにして?」
「やだ」
 どちらも譲る気配はなく、これではラチがあかない。怪我の件も心配だし、真澄には早く安静にしてもらいたい。どうしたものかと考えて、いづみは思いついた妥協案を提示してみた。
「それじゃこうしない? 一緒に寝るのはどう?」
 

-not腐, 他ジャンル
-, , ,

int(1) int(2)