【新荒】4月2日【2019荒誕】

◆◆ caption ◆◆
・高校3年~大学1年のつき合っていない新荒です。(新←荒な感じ)
・高校時代、荒北さんの誕生日には「おめでとう」と言い続けてきた新開さん。大学の入学式もまだな4月2日、新開さんが静岡に遊びに来た話。
※この話では完結しません。続き→『7月15日』
※07/02 タイトルと表紙を変更済み

荒北さんHAPPY BIRTHDAY!!! そして新荒の日おめでとう!!!!

 
 太陽に焦がされたアスファルトの匂いと、地面にこすれるタイヤの匂い。幾重にも響きあう車輪の音は耳に心地よく、選手たちの粗い息づかいが闘争本能を煽ってやまない。数キロ手前までは息を吸うたびに喉や肺がヒリついていたが、気がつけばその痛みにも慣れていた。
 天気は快晴。風は追い風。この先のカーブを曲がればゴールまで残り約500メートル。噴き出すアドレナリンのおかげで全身がおもしろいくらいに動いている。
(お。たしかオーダーはあの標識だったな……アレを越えたら一気に出る)
 背後を振り返って目で合図すると後ろを走る人物が頷いて応えた。数メートル先の道路標識が目に入っているのだろう。厚い唇の両端が自信たっぷりに上がる。
「ハッ! いいツラしてんじゃねーか」
 左側が抜けないと打ち明けられたときはどうなるかと思ったが、練習を重ねるにつれてずいぶん顔つきが変わってきた。インターハイまでは残り1ヶ月。ゼッケン4番を見事に勝ち取っても彼はまだ自分の足に満足していない。
(左が抜けねェくらいがコイツにはいいハンデなんじゃねーか? って、まあそれは冗談だけどォ、要は誰も前にいなきゃいいんだろ? そんなん簡単なことじゃねーか)
「ついてこいよォ新開! 先頭まで一気にいくぞ!」
 乾いた唇をペロリと舐めてハンドルを強く握り直す。標識を越えた瞬間にギアを切り替え、腰を浮かせて身体を前方に傾けた。風の抵抗を減らしつつ、選手たちの隙間を縫って前へ前へとペダルを踏む。意図的にハンドルをぶつけられても動じない。煽られても無視を貫き、カーブを曲がる直前には後続に1、2メートルほどの差をつけて先頭に躍り出ていた。
 ずいぶん無茶なコース取りをしてしまったが、後ろがついて来ているかどうかは振り返って確認するまでもなかった。背中に突き刺さる飢えた視線と、圧倒的な強者の匂い。静かに牙をむき始めた箱根の鬼が発射される瞬間を今か今かと待っている。
 カーブを抜けて直線に入ったタイミングで荒北は自転車1台分ほど左にずれた。その横を待ってましたとばかりに黒い塊が通り抜けていく。背中を叩いて発破をかける間もなかった。身にまとった闘志で周りの空気をチリチリに焦がしながら、獰猛な鬼がゴール目がけて一直線に駆けていく。その背中を後続のスプリンターたちが追いかけ、荒北は彼らのアシスト役を務めた選手たちに混じって無事にゴールラインを踏んだ。
「靖友! ナイスアシスト!」
 迎えてくれた新開がハイタッチを求めて右手を挙げる。わざと強めに叩いてやると、彼は元から垂れた目尻をさらに垂らして「強く叩きすぎだ」と笑った。
 手のひらをさする新開の瞳は普段の穏やかさを取り戻しつつあった。攻撃的な匂いもすでに消え失せ、彼が身にまとう空気からはもうなんの感情も読みとれない。自転車に乗っているときはあんなにもわかりやすいのに、降りると途端にわからなくなる。掴み所がない男だと改めて思った。
(……新開の野郎……変なヤツだぜ)
 その“変なヤツ”のことを意識している自分は、さらに変なヤツなのかもしれない。
「ん? どうかした?」
 視線を感じたらしい新開が歩調を緩めて荒北を見た。クン、とこっそり匂いを嗅いでみてもやっぱり何も読みとれない。
「……べつにィ」
 そっけなく呟いた荒北は胸の奥の不毛な想いを隠そうと、下ろしかけていたジャージのファスナーを再び上げた。
 

1.
 思えば新開隼人という人物は高校1年の頃から何を考えているのか掴みにくい相手だった。
「荒北くん、誕生日っていつ?」
 梅雨入りが近づいていた6月の昼休み。どこからともなく中庭に現れた新開は「隣り、いい?」と言って勝手に荒北の横に腰掛け、惣菜パンをひとつ食べ終えた後で突然話を振ってきた。
「……それ聞いてどうすんだ? オメーにゃ関係ねェだろ」
「そんなことない。関係なら大アリだ。オレたちは仲間じゃないか」
 新開は本心から『仲間』だと思っているのだろう。まっすぐに見つめてくる瞳には曇りがない。ただ荒北は彼とは違った。新開に限ったことではなく、自転車競技部の部員たちに対して“仲間だ”と思えるだけの親しみを持っていない。そのせいか新開の慣れなれしさが鼻について、なんだコイツとしか思えなかった。
「仲間って……同じ学年で同じ部活ってだけじゃねーか。クラスも違ェし」
「接点がまったくないわけじゃない。立派な仲間だ。なあ、教えてくれよ。いつ?」
 じっと見てくる無邪気な瞳が鬱陶しい。答えるのも面倒だったが答えなければいつまでも終わらなそうで、荒北はため息混じりに「4月だヨ。4月2日」と返事をした。
「4月……ってことはとっくに終わっちまってるのか。もっと早く訊けばよかったな。知らなかったから何もできなくてごめん」
 突然の謝罪に意表を突かれた。妙なヤツだと思っていたが、さらにわけがわからなくなった。
(なんなんだコイツは……)
 荒北の中で新開に対する興味が頭をもたげる。
「なんで謝んだよ。べつに謝ることじゃねーだろ。それに、聞いてくる奴は大体オメーと同じ反応するからな。もう慣れてる」
 ほんの数秒だったが、なぜか新開は傷ついたような驚いたような複雑な表情を浮かべた。しかし、すぐに元の顔に戻って、
「それじゃあ来年は期待しててくれ。オレが一番にお祝いするよ」
と荒北の肩をポンと叩いてきた。
「はぁ? んなもん別にいらねーよ」
「いいからいいから。4月2日な。もう覚えたから忘れない」
「……あっそ」
 勝手にしろ、と無愛想に言葉を投げる。しかし新開は気にならないのか、満足そうに目を細めて「好きにするよ」とあんぱんに齧りついた。
「あれ、2日ってことはエイプリルフールの翌日なのか。エイプリルフールって言えば、嘘ついていいのは午前中だけだって知ってるかい? 午後以降についた嘘は嘘じゃないってルールらしいぜ」
「ルール? んなもん聞いたことねェよ。ホントの話か? ガセなんじゃねーの?」
「あれ、そう? 確かにどこかで読んだと思ったんだけど……まあいいや。とにかく来年の4月2日は期待しててくれよな」
 大したつき合いでもないのに仲間だと言いきり、その上誕生日を祝うと言う。新開と話すとなぜかペースが乱されてしまって、彼の強引さに慣れない荒北はなんとなく新開が苦手だった。
 高校2年になっても新開の強引さは変わらなかった。
 4月2日の明け方。板が鳴るような音で意識が醒めた。何かと思えば部屋のドアがトントンと遠慮がちな音量で鳴っている。ノックはしつこいほど続いていて、仕方なしに開けてみるとコンビニ袋を持った新開が立っていた。
「ハハ、すごい寝癖だな」
「……なに。なんか用?」
「靖友くん、誕生日おめでとう」
 コンビニ袋を差し出され、身体が反射的に手を伸ばす。受け取った袋は想像していたよりもずっと重くて、床に落としかけたおかげでようやく目が覚めた。慌てて抱えた腕に冷たいものが触れる。中にはペットボトルのベプシが2本と、ざっと見ただけでは数えきれないほどのパワーバーとあんぱんが詰められていた。
「あ? なんだこれ」
「約束しただろ? オレが一番にお祝いするって。あ、もしかしてもう誰かに祝ってもらった?」
「いや、まだ……っつーか今何時ィ?」
「ん? 6時だよ。目が覚めちまったから外周行ってきたんだ」
「……オレ、寝てたんだけど」
「うん、だよな。寝起きの顔してる。でも、一応これでも朝まで遠慮したんだぜ? それじゃあ、また後で」
「あっ、おい新開! これっ」
 慌てて袋を返そうとしたが新開は受け取らない。
「一回受け取ったんだから、もうおめさんのものだ」
「いや、でも」
「食べないなら誰かにあげてくれ」
「はぁ!?」
 呆気にとられている荒北をよそに、爽やかな笑顔を残して新開が去っていく。ドアを閉めて一人になった途端に、ずっしりした袋の重さに意識が向いた。
(わざわざ……こんなに)
 鬱陶しいような、面倒くさいような、嬉しいような不思議な感覚。でもやっぱり迷惑で、くすぐったくて、照れくさい。こんなことをされたのは初めてで、どうしたらいいのか反応に困る。そのせいか、押しつけられたとはいえお礼を言うのを忘れてしまった。
「……しゃーねーから後で礼でも言ってやるかァ」
 誰もいないのに“仕方なく”を強調する自分の口元が笑っている。それに気づいた荒北は「調子狂うぜ」と照れ隠しにうなじを掻いた。
 高校3年になっても新開は荒北の誕生日を律儀に祝った。
 消灯時間を過ぎて寮内全体が寝静まった頃、荒北の枕元で携帯電話が着信を告げた。見ていた夢がパチンと弾けて、意識が現実に引き戻される。目をこすって音のするほうへ頭を向けると、携帯電話の着信ランプが目に沁みた。
「……もしもしィ」
『靖友、誕生日おめでとう。いよいよ18歳だな』
 消灯後を気遣った抑え気味な声が耳に届く。半分寝ている頭では相手が誰だか判断できず、声の主が新開だと理解するまで数秒かかった。
「……んだよ、新開かァ? つーか今何時……って0時過ぎじゃねーか」
『ああ。ちょうど2日になったところだぜ。今年は0時ジャストに祝いたくてさ、電話してみた』
「はぁ? ったく勘弁しろヨ。んなことでいちいち電話してくんな。とっくに寝てたっつーの」
『今年もオレが一番?』
「あ? いちばん?」
『オレの電話が一番最初?』
「……あのなァ、わざわざ0時過ぎに電話してくる物好きなんざフツーはいねェんだヨ」
『そっか、よかった』
「アホか。なんもよくねぇっつの。さっさと寝ろ。オレはねみィ」
『ん。わかった。おやすみ。また明日、いやまた今日な』
 消灯時間前、トイレ帰りに廊下で会ったときに新開がなんとなくそわそわしていたのを思い出す。何時に寝るのかとやけに訊いてくるので、何かあるなとは思っていた。
「……去年は明け方で今年は真夜中って……来年はいったいどーなっちまうんだよ、ったくよォ」
 携帯電話を手放して寝返りを打ち直す。寝るために目を閉じてみたが、声の余韻が邪魔をして眠れそうにない。
 なぜ新開はこうもマメに誕生日を祝ってくるのか。
(アイツは1年ンときの口約束を律儀に守ってるだけだ。たぶん、いや99パーセントそうに決まってる。でも……)
 あり得ないことはわかっている。しかしその一方で密かに期待してしまう自分もいた。
 新開の強引さが苦手で、飄々としたところが鼻について、馴れなれしい態度がうざったくて、カッコつけるくせに精神的に脆いところが危なっかしくて、なんとなく目が離せなくて気にかけてしまう……。知らず知らずのうちに抱え込んでいた不毛な想いは、気づかないフリをしても時間とともに成長し続け、荒北の中で確実に大きく育っていった。
 

*
 想いが拗れてしまったのは夏休みが明けてすぐ。課題のノートを写しに新開の部屋を訪ねたときのこと。
 夏休み中はどこに行っただの、あのテレビ番組が面白かっただの、当たり障りのない話をしていたつもりが、いつの間にか避けていたはずのインターハイの話題になっていた。そして突然俯いた新開が「……靖友、すまねぇ」と謝罪し始め、それをきっかけにして室内の空気が一変した。
「あ? なにがだヨ」
 いつかこうなるのではないかと、優勝を逃したあの日からなんとなくだが嫌な予感はしていた。
「せっかくおめさんたちが練習につき合ってくれたのに……オレが負けちまったせいで……ほんとに……ほんとにごめんな」
 対面に座る新開のノートにポタポタと雫が落ちる。最初こそギョッとしたが彼を慰める言葉は出てこない。むしろ予想通りのことを言い出した新開に腹が立って仕方がなかった。
「……なに言ってんだてめェ。練習につきあってやったのはオメーのためじゃねェ。チームのために決まってンだろ。それに、オレらが負けたのは何もてめェだけがワリィんじゃねぇ。なのになんでてめェが責任感じてんだ。ふざけんな」
「でも……もしオレが2年のときに自転車を離れてなかったら――
「ごちゃごちゃウルセーんだよ! 泣くなバァカ! いつまでもうだうだ言ってんじゃねぇ! 今年は総北が勝った、ただそれだけだ。もしもとか、あんときこうしとけばとか、今さら言ってもどうしようもねェってオメーもホントはわかってんだろ!?」
「……最後のインターハイだったんだ。オレたち4人が一緒に走る、最初で最後のインターハイだったんだ……だからオレは……。自分が情けなくてたまんねぇよ……すまねぇ、靖友……ほんとにすまねぇ」
「謝んなって言ってんだろ!? いい加減黙れ! じゃねーとブン殴ってでも黙らせるぞ!」
 荒北に胸倉を掴まれても新開は鼻をすすりながら「ごめん」としか口にしない。呆れた荒北が「勝手にしろ」と言い捨てて部屋を出たときも彼はまだ謝罪し続けていた。
(……これだから負けちまうってのは嫌なんだ。あんなことを言わせるために練習につき合ったンじゃねーのに)
「クソッ!」
 自室に戻っても怒りが収まらず、八つ当たりでゴミ箱を蹴る。床に散らばるゴミくずも、爪先がジンとする痛みも、鼻水混じりの「ごめん」も、フォローしてやれない自分の気の利かなさも、何もかもが荒北の心を逆撫でしてイライラさせる。
 全力を出し切った上での敗北とはいえ、負けてしまえば必ず後悔はつきまとう。それでも今さら蒸し返してもどうすることもできないし、誰かのせいにできるものでもない。
「悔しいのは充分わかる。だからって泣き顔なんか見せてンじゃねーよ! てめェは人前で泣くようなタマじゃねーだろーが! いつものふてぶてしいツラで『来年頼むぜ』って笑ってりゃーいいんだよ……」
 一人で勝手に責任を背負い込んでしまう新開の脆さが嫌いだった。それ以上に彼にあんなことを言わせてしまった自分が許せなかった。特別な感情を抱いているにもかかわらず、怒りをぶつけるばかりで慰めてやれない幼い自分が腹立たしかった。
 新開に。自分に。負けたことに。たくさんのものに苛立ちすぎて、感情のコントロールがうまくできない。顔を合わせれば余計なことまで告げてしまいそうで、あの日以降荒北は新開とあまり話さなくなった。
 

2.
「靖友、今日は夕飯でないって聞いてる? よかったらどこか食べに行かないか?」
 卒業式を待つばかりになった2月末。退寮の準備をしていた荒北の部屋に新開がやってきた。自由登校になってからは実家への帰省や大学入試などで寮を空ける機会が増え、その上意図的に避けていたせいもあって新開とはずいぶん前から顔を合わせていない。新開も避けられていることに気づいていたのだろう。「忙しいなら無理にとは言わないけど」と付け足した表情は遠慮がちで硬い。
「夕飯でねェってなんかあったのか?」
「食堂の何かの電気が不具合でつかないんだってさ。だから各自で食べてくれって寮長が」
 普段通りに振る舞っているように見えて、本当は緊張している。そんな匂いが新開から伝わってくる。
「そんじゃー食べ納めってことで麺楽でも行っとくか?」
 できるだけ軽いノリを意識して誘ってみた。すると新開はパッと顔を明るくさせ、その表情を見て荒北もなぜかホッとした。
 寒い寒いと言いながら麺楽へ徒歩で向かい、受験や新居の話とともに高校生活最後かもしれないラーメンを食べる。食べ終えたあとも席を立つのがなんとなく名残惜しく、丼に残ったスープの最後の一滴までをきれいに飲み干してから店を出た。
「靖友、本屋寄って行かないか? ほしい文庫本があるんだ」
 新開の提案で駅前の本屋まで足を伸ばす。その後も寄り道を重ねたせいで寮へ帰り始めた頃には辺りがすっかり暗くなっていた。
 2月の日没は早く、吹きつける冷えた風がむき出しの指に凍みる。並んで歩く新開の耳や鼻先も赤く染まっていて、街灯の下を通るたびに彼が吐き出す白い息がキラキラと煙っては消えていった。
(……思ってたよりも意外とフツーに話せたな)
 自分から避けていたくせに、いざ話してみると心が浮かれて落ち着かない。荒北が自分の勝手さに呆れていると、
「もうすぐ卒業か……大学は楽しみだけど、ここを離れるって思ったらやっぱり寂しくなるもんだな」
と、前を見たままの状態で新開がポツリと呟いた。
「オメー、そんなに学校好きだっけェ?」
 茶化してみたが新開は乗ってこない。「学校だけじゃないけどな」と静かな声で答えた。
「なんだぁ? やけにしんみりしてんじゃねーか」
「寿一とはこの先も一緒だけど、尽八や靖友、後輩たちとはもう一緒には走れない。おめさんとこうして飯食うのもあと何回あるか……いつだって別れの季節は寂しくなるさ」
「ハッ! なに湿っぽい空気だしてんだヨ。一生会わねェわけでもねーだろ」
 肘で新開の左腕を小突いてみたが今度も彼は乗ってこなかった。視線を落として下ばかり見つめていて、その俯いた横顔を見ても彼が何を考えているのかは読めない。
(っンだよ、ノリ悪ィなァ)
 新開が黙ってしまったので荒北も彼に合わせて無言になった。話題を振るべきか悩んでみたが、これといったネタもないので黙って歩く。目についた小石をボール代わりに蹴り続け、カラーコーンをゴールと決めてシュートを打った。が、かすりもせずに石はどこかへ転がっていった。
 次の小石を探して足元を見ていると視界の隅で新開の歩調がわずかにズレた。靴先が徐々に見えなくなっていき、並んでいたはずの新開が気がつけば数歩後ろに下がっている。
「なんだ? どーしたァ?」
「……うん」
「うん、じゃねーヨ。どーしたって訊いてンだけどォ?」
「……あのさ」
 顔を上げた新開がまっすぐな視線を向けてくる。やけにシリアスな空気を漂わせているので、何を言われるのかと荒北は身構えてしまった。
「今年の……今年の誕生日も電話してもいいかな」
「え。誕生日ィ?」
「ああ。4月2日に電話したいんだけど、いいかな?」
「……は?」
 思いもよらぬ質問に身体の緊張が一気に解ける。そのせいかずいぶん間抜けな声が出てしまった。
「オメーふざけんなよ。やけにマジな顔してっから、何言われんだってビビったじゃねーか」
「ふざけてないさ。大真面目だ」
「あのなァ、いいもワリィも毎年オメーが勝手に祝ってンじゃねーかよ」
「そうだけど今年は別々の学校に進むわけだし、急に電話したらまずいかもしれないだろ?」
「はぁ!? 真夜中にいきなり電話してきた迷惑野郎はどこのどいつだヨ。気ィ遣うとこがおかしいンじゃねーの? どうせなら去年許可とれっての。そしたら夜中は迷惑だってビシッと断ってやったのによォ」
「あー……それもそうだな。ごめん」
「ごめんじゃねーよ。今さらすぎンだろ」
「ハハ、悪い」
 バツが悪そうな顔でうなじをさする新開に「電話でも何でも勝手にすればァ?」と答える。すると新開はあからさまにホッとした表情で「よかった」と目を細め、再び荒北の隣りに並んだ。
 学校が近づくにつれて荒北は歩くスピードを意図的に遅くさせた。まだこうして歩いていたい、そんな気分が荒北のスニーカーに見えない鉛をいくつも乗せる。
 大通りを抜けたところで普段は通らない脇道へ曲がった。数メートル先のコンビニを過ぎれば寮の裏手に続く坂道に入る。この道は街灯が少なくて暗いうえに遠回りすることになるのだが、新開は特に何も言わなかった。
「靖友」
 傾斜の緩い坂の途中、街灯がほぼない場所で突然新開が立ち止まった。そして、荒北に手を差し出して「引いてくれないか」と静かに微笑む。
「あ? 引く? なんのつもりだ?」
「最近、暗がりだと目が見えづらくてね。勉強のし過ぎかな。それにオレを引くのは得意だろ?」
「はぁ!? なんでだよ。てめェで歩け」
「頼むよ。ほんとに。この坂道が終わるまででいいからさ」
 新開の視力は悪くない。毎年の視力検査で1.5をキープし続けているのを荒北は知っている。それでも新開は何のつもりなのか差し出す手を引っ込めず、荒北が掴むのをじっと待っている。
「……チッ、しょうがねーなァ」
 仕方なしに掴んだ手は荒北と同じくらいに冷えていた。しかし、繋いでいるうちにふたりの体温が混じり合い、お互いの冷たさを補うようにして徐々にあたたまっていく。
「……おめさんの手、あったかいな」
「はぁ? 冷てェだろ」
「いや、あったかいよ……靖友の手はあったかい。思ってた通りだ」
 ぎゅっと握り返してきた指先が手の甲に軽く食い込む。意図したものでも無意識でも、その行為が荒北の鼓動を速くさせたことを新開は知らない。長年ハンドルを握り続けているせいで手の皮は硬く、ところどころにマメが潰れたような感触もある。お世辞にも繋ぎ心地がいいとは言えない手のひらが、こんなにも夢見心地な気分にさせる。思っていた以上に彼を好きでいる自分に気がついて、荒北は密かに驚いた。
 なぜ新開は手を差し出してきたのか。なぜ自分はそれに応えてしまったのか。荒北と似た匂いが新開からも漂ってくるのはただの自惚れか勘違いだろうか。繋いだ手をいつまでも離さなかったら新開はどうするだろうか。
 突然訪れたチャンスに押さえつけてきた想いが焦れて暴れる。頭の中がグチャグチャに乱れて、周りが見えなくなりそうだった。しかし、荒北には抱いた欲求を確かめるだけの術も勇気もなく、黙って新開の手を引き続けた。
(確かめた先に何がある……)
 自問自答を繰り返し続けるもとうとう答えは出せないまま、荒北は箱根学園を卒業した。
 

-ペダル:新荒
-, ,

int(1) int(2)