【新荒】夏の思い出

◆◆ caption ◆◆
高校3年、最後の夏休みに二人で花火を見る話。付き合っていません。

  
 好きになったきっかけはわからない。が、挙げればキリがないくらいには思い当たる節があった。
 自分にはないものを持っていたとか、口調がどうであれ好き嫌いをハッキリ主張するところがカッコイイとか、面倒くさがりでサボり魔な割に自転車だけには真面目で本気だとか、不愛想なフリして実は面倒見がいいとか、笑った顔が意外と優しくてカワイイとか、その他にもいろいろある。そういった人間性を知っていくにつれて、彼への好意も一緒に蓄積されていったのだろう。
 溜まった“好き”が友情止まりで終わるか、恋愛感情へと発展するかは人それぞれだが、新開の場合は友情込みで恋愛へと進んでしまった。

「お前さァ、なんで誰とも付き合わねーの?」
 
 あれは梅雨が明けてすぐの昼休み。その手の話を振られたのは初めてだった。おまけに前触れもなく突然だったので今でもハッキリと記憶している。
「靖友にしては珍しい話題だな」
「告白とかされてンだろ? こないだも手紙貰ってんの見たぞ」
「……覗き見とはいい趣味してるじゃないか」
「ちげーよ。たまたま見ちまっただけだ。てか全部断るとか、てめェは何様のつもりだヨ。もったいねーなァ」
「そんなの決まってる。今はそれどころじゃないからさ」
「インハイのためってか」
「ああ。当然だろ」
 新開はささやかな嘘をついた。今の自分にとって確かにインターハイは一番だ。それは嘘ではない。しかし、告白を断る理由はそれだけではない。
「そんじゃー、インハイ終ったらァ? 終ったら断る理由もなくなるよなァ」
 まだ続けるのかと驚いてアンパンを口元に運ぶ手が止まった。
 3年目にしてようやく興味を持ってくれたのだろうか。そんな風に喜びかけて、そんなわけないかとすぐに冷静になった。
 荒北にとって新開はただの“部活仲間”であって、それ以上でもそれ以下でもない。訊いてくるよう誰かに頼まれた、といったところだろうか。
「そうだな……まぁ、インハイを理由にしては断れなくなるな」
「そしたら、そん時に言い寄ってきたやつと付き合うわけェ?」
「……質問責めだな。それ、おめさんの意思で訊いてないだろ。一体誰に頼まれたんだ?」
「いいから答えろ。どーなんだよ」
 荒北が否定しない。ということは予想通りに依頼人がいるのだろう。わかってはいたが、素直に喜べない“当たり”は嬉しくもなんともない。
 返事を待つ荒北がペットボトルのキャップを外した。ベプシ特有の薬品に似た匂いが漂ってきて、飲んでもいないのに新開の口の中を一瞬にしてベプシにしていく。
 爽やかで、少しだけ甘くて、かと思えば炭酸が舌や喉をピリピリ刺激して痛い。飲み終えてからも存在感を主張して止まず、たまに思い出しては飲みたくなる不思議な中毒性を持ったあの味。幼い頃から好きでも嫌いでもなかったジュースは、今では見かければ無条件で荒北を連想してしまうほどに新開の中にしっかり根付いた存在になっている。ベプシを好んで飲む彼のように。
「どうなんだって言われてもなぁ。その時の状況にもよると思うし……っていうか、こっちの気持ちは丸無視かい?」
「あ? こっちの気持ち?」
「オレに好きな人がいたとしたらってことさ。おめさん、そういうの全然考えてないだろ」
「え」
「ん?」
「なに、いんの? お前」
 まったく想定してなかったというような顔だった。
 新開は荒北への想いを隠している。隠すまでもなく荒北が新開に興味を持っていないことは日頃の態度からして一目瞭然なのだが、こんなにもあからさまな反応を見せられるとさすがにキツい。うまく隠し通せている自分を褒めるどころかガッカリして……理不尽だが荒北に対して少しだけムッとしてしまった。
 福富と同程度に扱ってほしいというのはさすがに無理だと理解している。だが新開だって3年間同じ部活、同じ寮で過ごしてきた仲間の一人だ。もう少しくらいは興味を持ってくれてもいいのではないだろうか。
「そりゃあね。好きな人くらいオレにもいるよ」
「え。マジでェ!?」
「ああ」
「……マジかよ……へェ、そォ……全然知らなかったぜ」
「だろうな。おめさんには話してないし、そもそも告白以外で本人に言うわけないだろ」
「あ? どういう意味だ?」
「どういう意味ってそのままの意味さ。オレの好きな人は靖友ってこと」
「……は?」
 らしくない。やけになった影響でうっかり口を滑らせてしまった。マズった、失敗したと後悔してもすでに遅い。しかし、焦る新開をよそに荒北は軽く舌打ちすると、「あのなァ」と言いながら片眉を吊り上げた。
「こっちは真面目に訊いてンだよ。フザケてんじゃねーぞ」
「いや……ふざけてないんだけど」
「だからァ、今はそういうのいらねェから」
 呆れ顔とつれない返事。どさくさで打ち明けてしまったせいで告白が本物だとは伝わらなかったらしい。今回はそれで良かったのかもしれないが、伝わらないまま流されて消えていく想いが切なくはあった。
「……マジだって言ったらどうする?」
「あ?」
「本気で靖友が好きなんだって言ったら、おめさん付き合ってくれんの?」
「は? お前何言ってんだ?」
「靖友も今彼女いないし、どう? オレと付き合ってみないか? オレとなら付き合いが長いから気心も知れてるだろ? 遠慮はいらないし、食いものの趣味も合うし、チャリで出かけたり、練習も一緒にできるな。あ、もちろん浮気なんかしないぜ? 自分で言うのもなんだけど結構一途なんだ」
 冗談が半分、本気が半分。どうせこれも「ふざけるな」の一言で流されるのだろう。だからその前に少しくらいは自分の事で困ればいいと、新開はそう思っていた。
「オレが誰とも付き合わない一番の理由を言おうか? ……おめさんが好きだからだよ、靖友」
 さあ、どうする。そんな思いを込めて荒北を静かに見つめる。
 荒北はなんとも言えない表情で目を白黒させていたが、新開の視線に耐えかねたのか目を逸らして俯いた。握ったペットボトルを凹ませたり元に戻したりする指先が忙しない。長く感じられる沈黙の後で再び目を合わせた時、荒北は困ったように眉をひそめて「冗談だろ?」とだけ返してきた。
 冗談。その一言で済ませられるならどれだけ楽だろうか。

『本気だよ』
 
 真面目な顔をして答えたなら、どんな顔でどんな反応を見せるのか興味はあった。しかし、喉元まで出かかった言葉を無理やり飲み込む。
 好きだと自覚した瞬間に叶わないと諦めた恋だった。どさくさに紛れて想いを伝えられただけでも充分だと思うべきかもしれない。
「……本気に見えた? なら、オレの演技もなかなかだな」
 ニッと笑った後で、更に冗談っぽく見えるようダメ押しでウインクも追加する。
「なっ……っざけんなバカ! てめェ、ハメやがったな?」
「いてっ! おいおい、何も叩くことないだろ」
「うっせ、バァカ!」
「……2回もバカって言われちまった」
「あぁ? 文句あんならもっぺん言ってやろーかァ!?」
 肩を小突いてくる荒北の顔があからさまに苛立っている。
(そりゃそうだよな……)
 自業自得とはいえ完全に脈がないのだと悟った新開は余計に傷ついた。
  
*
 インターハイが終わってしまうと、何の予定もない夏休みだけが残された。
 箱根学園の学生寮は、夏休み中でもお盆以外は通常通りに生徒が寝起きしている。わけあって帰省できない生徒や受験対策用の夏期講習に参加する3年生、部活動に励む下級生が寮に残っていた。
「……夜になっても蒸し暑いなぁ」
 日が沈んだというのに昼間の熱がまだ引かない。集合場所のロビーが近づくにつれて寮内の空気も徐々に熱を帯びていく。
「おー、来たきた。遅いぞ新開。美形を待たせるとはいい度胸だな」
「美形は関係ないし、遅いって言ってもまだ時間じゃないだろ」
「しゃーねーよ、俺らみんな暇だからな」
 東堂の隣に立つ藤原が自虐的な笑みを浮かべてニヤリと笑う。待ち合わせの時間前だというのに、寮に残っている自転車競技部の3年はほとんどが揃っていた。
 新開を含む自転車競技部の3年の多くは夏期講習に参加するでもなく、かといって帰省するわけでもなく、ただなんとなくダラダラと寮に残っていた。
 インハイで負った敗北の傷が思った以上に大きくて、頭で理解してはいるけれど心がうまく昇華できない――だからこそなかなか次に踏み出せない。全員が新開と似たような気持ちでいるとは思わないが、部活がない夏を持て余していたのは同じだったらしい。閉寮2日前の夜、最後の思い出にと皆で小田原の花火大会を観に行くことになった。
「だいたい揃ったな? それじゃあ向かうとするか」
「今日って電車? ロードのが早いんじゃねーの?」
「会場近くにとめるとこってあったっけ?」
「あ、それなら俺いいとこ知ってる」
「久しぶりにひとっ走りするかぁ? なあ福富、そうしようぜ。保管庫のカギまだ持ってんだろ?」
 総勢8名でぞろぞろと歩き始めたところで新開は荒北がいないことに気が付いた。いつものように遅れているのだろうか。
「なあ寿一、靖友がまだ来てないんじゃないか?」
「む? ああ、ヤツなら来ない」
「え。来ない? なんで? まだ家帰ってないよな?」
「暑い中をわざわざ人混みに出かけて行く気が知れないそうだ」
「……なんだよそれ。けど、靖友らしいな」
 あまりにも彼らしい理由に自然と口元がほころぶ。と同時に来ないと知って肩が落ちた。てっきり荒北も参加するものだと思っていたのに。
 今年は高校生活最後の夏だ。夏が終われば受験勉強に本腰を入れなければならず、遊べる時間は問答無用で少なくなる。だからこそ、来年の夏には一緒にいないであろう仲間たちと――その中でも特に荒北と、短くてもいいから特別な思い出をつくりたかった。
「どうした新開」
 黙ってしまった新開を福富が怪訝そうな顔で見つめている。
「ん? ああ、いや、何でもないよ」
 慌てて愛想笑いを浮かべ、「早く行こうか」と福富の肩をポンと叩いた。
 小田原までは電車を利用するつもりだったが、予定を変更してロードバイクで移動することになった。
 学校に立ち寄ると自転車競技部の部室には部活を終えた後輩たちが残っていた。一週間ほど前まではこの中に自分たちもいたはずなのに。明かりがついた部室を私服姿で外から眺めているという違和感。この状況には、まだしばらくは慣れそうにない。
 福富が挨拶ついでに後輩たちと立ち話を始めたので、新開は彼のロードバイクも取ってきてやろうと自転車の保管庫に向かった。
「ええと、寿一のは……」
 バイクハンガーに吊るされたロードバイクに視線をはしらせる。福富の愛車を見つけるより先に荒北のロードバイクが目に留まった。新開と青空色のロードバイクとは中学からの付き合いだ。おまけに今は好きな人の持ち物でもある。目につかないわけがない。
 荒北は今何をしているのだろう。今日は昼食後に後ろ姿を見かけたきりで、会話はおろか顔を合わせてすらいない。夜に話せるからいいかと特に気にせず1日を過ごしてしまった。
 不思議なものでほぼ毎日のように顔を合わせていても、今会えないとなると途端に会いたくなってくる。衝動に駆られた新開は予定とは違うロードバイクをバイクハンガーから下ろしていた。
「寿一! 悪い、オレちょっと抜けるから」
 部室前にいる福富に声をかけて自分のロードバイクに跨る。福富は新開が引いているロードバイクに視線をはしらせると、何も訊かずに「わかった」と頷いた。
 
**
 勢いで引き返してきたものの荒北が自室にいるという確証はない。せめてメールの1通でも送っておくべきだったと気づいたのは寮に着いてからだった。
 呼吸を整えつつ荒北の部屋の前に立つ。控えめにドアをノックして「靖友、いる?」と声をかけてみたが返事はない。もう一度ノックしようかと手を動かしかけた時、ドアが開いて荒北が顔を覗かせた。
「んなとこで何してんだよ。花火はァ?」
「靖友も行こうって誘いに来たんだ」
「はぁ?」
「一緒に行こうぜ。な? これが最後かもしれないんだしさ」
 荒北の目がわずかに丸くなる。しかしすぐに元に戻って「行かねぇ」と億劫そうに言い放った。
「小田原だろ? クソ混んでるだろーし、あっちぃのに出かけてられっかよ」
「人がいないとこならどうだ?」
「あ?」
「暑いのはどうにもできないけど……そうだ、アイス奢るよ。ベプシでもいいぜ」
「いや、行かねーって言ったばっかだよナァ? オメー聞いてたァ?」
「いい場所知ってるからさ。行こうぜ。おめさんのロードバイクも準備してあるから」
「え。ハァ!? オレのォ!?」
 荒北の手を掴んで強引に部屋から連れ出す。もっと抵抗してくるかと思ったが、意外にも荒北は玄関先まで素直についてきた。そして自身のロードバイクを目にすると「マジかよ」と呟いて、ため息をつきながら呆れたような視線を向けてきた。
「ったくオメーは……なんなんだよ」
「行こうぜ、靖友」
「……んじゃー両方な」
「ん? 両方?」
「アイスとベプシどっちもだ」
 新開の強引さに諦めたらしい荒北が靴を履き替え始める。「あっちぃナァ」や「なんでオレが」といった小言は続いていたが口調にトゲはない。
 ロードバイクに跨ってペダルを漕ぎ出す。風は無く、自転車を走らせても涼しくない。それどころかペダルをひと漕ぎするたびに、熱した空気が全身に纏わりついてくる。
 コンビニに立ち寄った後、新開が荒北を引く形で前に出た。塔ノ沢方面へハンドルを切ると、すぐさま後ろから「小田原じゃねーの?」と声が飛んできたが、新開はニッと笑っただけでペダルを踏んだ。
 走り慣れた外周コースから脇道に入り、緩い傾斜をひたすら登る。登っていくほどに道沿いに生える草木の背丈が高くなり、車同士がすれ違えるかどうか怪しいほど道幅は狭くなっていた。街灯は元から少ない上に建っている間隔が広く、道の先が暗くて見えにくくなっている。
(目的地に辿り着けなくて、延々と闇の中を走り続ける……なんてな)
 道を知っている新開がオカルトめいた妄想をしてしまうほど、峠には独特の雰囲気が漂っていた。
 坂を登り切って十数メートルほど進むと途端に視界の左側が開けた。広さは乗用車2台分ほどだろうか。転落防止柵で囲まれたスペース内には砂利が敷き詰められ、屋根のない石のベンチが置かれている。相模湾が眺望できる展望台として設けられた場所なのだろう。この道も展望台も新道が開通する前まではそれなりに賑わっていたのかもしれない。
「ヘェ……こんなとこあったのか」
「オレも去年偶然みつけたんだ。練習用としてはコースが悪いから滅多に来ないんだけど、秘密の場所っぽくてなかなかいいだろ?」
 部活に顔を出さなかった時期、新開は一人で箱根の山を走っていた。目的も宛ても無いままにフラフラとロードバイクを走らせ、気まぐれでコースを外れた時にこの場所を見つけたのだ。
 部の外周コースから外れているせいか付近で部員を見かけたことは一度もない。部員たちと顔を合わせずに済む避難場所の一つとして、ありがたく利用させてもらってきた。
「たぶんあっちの方角に花火があがるんじゃないかな。って、オレもここで観るのは初めてだから実際に見えるかどうかはわからないんだけど」
「は? ちょっと待て。ってことは見えねェ場合もあるってことかよ!? せっかく来たのに漕ぎ損じゃねーか」
「大丈夫。きっと見えるさ」
「ハッ! オメーのその根拠のねェ自信は一体どっから来るンだよ」
「さあな」
 おめさんと一緒にいるからだよ、と心の中で呟いて、買ってきたペットボトルを荒北に手渡す。そして、一緒に買ってきた蚊取り線香にライターで火をつけ、適当な小石の上に乗せて足元に置いた。線香の匂いがより一層の夏を感じさせる。
「蚊取り線香? ずいぶん準備いいじゃねーか」
「一応な」
「スゲー夏って感じの匂いだナ」
「うん。オレもそう思ってた」
 同じことを考えていたという、そんな些細なことで嬉しくなる。緩みそうな頬を意識して引き締め、なんとかいつも通りに振る舞った。
 横並びに座って花火を待つ。数分も経たないうちにドンという重い破裂音が聞こえてきて、景色の左隅にひとつの光球が浮かび上がった。
「あ」
 ふたりの声が重なる。開いた花火は半分以上が山々の稜線に隠れていたものの、暗闇の中に確かに姿を現した。
 一発目が消えた後は、間を開けずに次々と花火が打ち上がった。色とりどりの花が数秒の命を咲かせて鮮やかに散っていく。やや遅れて届く音も夏を感じさせて心地いい。二人そろって無言のまま花火に見入っていた。
 夏の蒸し暑さ。草木の青い匂いと線香の匂い。隣には荒北がいて、他には誰もいない。
 シチュエーションのせいか、暑さのせいか。そんなつもりはまったく無かったのに、少しばかり欲が出た。
「靖友……手ぇ握ってもいい?」
 花火の合間に訊ねてみたが返事がない。小声だったのでもしかしたら聞こえなかったのかもしれない。しばらく様子を見た後にもう一度言おうとして口を開きかけた時、ようやく荒北が新開を見た。
「……は?」
「ええと……手、繋いでもいい?」
「いや、ソレはちゃんと聞こえてっから。なんでだよって訊いてんの」
「なんでって、花火を見ながら手ぇ繋いだっていう夏の思い出が欲しいんだよ」
「いやいやいや、そんなん女子に頼めよ。オメー相手ならいくらでも立候補してくれんだろ」
「でも、ここにはいないし」
「……そりゃそーだけど、だったら別の機会にやりゃあいいじゃねーか」
「今がいいんだ。それにほら、靖友は誕生日に何もくれなかったし」
「あ? 唐揚げ1個わけてやったろ」
「あれはオレが言ったからで、おめさんは渋々だったじゃないか。プレゼントの件は手を繋ぐだけでチャラにしてもいい。どうだい、簡単だろ?」
「……オメーはなんで上からなんだよ。てか、まだ根に持ってやがったのか」
 これ見よがしに舌打ちして荒北がペットボトルを呷る。炭酸が弾ける軽い音が彼の唇の隙間からかすかに聞こえてきた。
「いい? 靖友」
「……しつけェ」
「嫌だったらすぐ離していいからさ。な? 頼むよ。今だけ」
「ちょ、おい」
 新開は実力行使とばかりにベンチについていた荒北の右手に自分の左手を重ねた。やんわりと上から押さえるようにして手を包む。荒北は困惑した顔で眉間にしわを寄せていたが、強引さに負けたのか「好きにしろ」と素っ気なく言い放って横を向いた。
 急にこんな頼みごとをされて荒北はどう思ったのだろうか。横顔を盗み見たが暗さもあって何も読み取れない。嫌なら嫌だとハッキリ言う彼が手を振りほどかないということは、このくらいは気を許してくれているのだとポジティブに解釈してもいいのだろうか。

『しょうがねぇからオレがよ、練習つきあってやるよ』

 ハンドルを握り、何度も引いてくれた荒北の手。不思議と自信を持たせてくれる魔法の手。「獲れヨ!」と背中を叩いて鼓舞してくれた時のスプリント勝負は絶対に負けなかった。これから先、この手は誰を助けて誰の手を握るのだろう。
「おい」
 新開の手の中で荒北の指がもぞもぞ動く。
(あー……もう終わりか)
 手を離せと言われるのかと思いきや、予想に反して荒北はペットボトルを差し出してきた。
「ん? くれんの?」
「ちげーよ。蓋開けろって言ってんの」
「蓋? なんでオレ?」
「人の手ェ塞いでんだから開ける手伝いくらいしろよ」
「え……ああ、そういう」
「わーったら早く開けろ」
「あ、うん、すまねぇ」
 ペットボトルを受け取ろうとしたのだが荒北が手を離さない。「蓋だけ回せ」と言われて、ようやく意図が飲み込めた。途端に耳が熱くなり、緊張して手が震えそうになる。おぼつかない手つきでキャップを外してやると「ドーモ」と素っ気ないお礼が返ってきた。
 荒北は手を繋いだままでいることを選択したのだ。振りほどいて自分でキャップを開けた方が簡単だろうに、それでも現状維持を選択した。
(……やっばいな)
 思わず新開は空いた方の手で自身の口元を覆い隠した。
 荒北が見ていなくてよかった。座る場所が逆じゃなくて本当に良かった。もし自分が左側に座っていたなら荒北に見られてしまうところだった。嬉しくて、恥ずかしくて、緩みっぱなしで、溢れそうな想いをどうしていいかわからないでいる情けない顔を。
 花火の音も、鳴き続けている蝉や虫の音も、自分のこの心音には敵わない。
 
『好きだ』

 新開は花火もそっちのけで、荒北の後頭部ばかりを熱っぽい目で見つめ続けた。
 
 
 
◆◆ 

 桜を見上げていた横顔。
 半分こして食べあった夏の日のアイス。
 本を読むときに伏せた目と、グローブの日焼け跡が消えない指先。
 寒い、寒いと言いながらひっついてきた冬の朝。
 荒北は新開のことが好きだった。異性に抱くような好意や劣情を新開に対して抱いていた。
 強引でしつこいところが苦手だった。自信満々に見える態度が気に入らなかった。そのくせ脆くて一人で抱え込みがちで、その危なっかしいところから目が離せなかった。
 ロードバイクで颯爽と駆け抜けていく姿は眩しく見えた。感傷的なところもそれほど嫌いではなかった。なんでも素直に言葉にするところは少しだけ羨ましくもあった。
 荒北は新開に惹かれていた。さすがにすぐには認めることができなくて何度も自分自身を否定してきたが、好きだと気づいてしまってからはどうしようもなかった。
 だが、荒北はその想いから逃げることにした。好きだと口にして2人の関係を変えてしまうことは18歳には重すぎた。勇気が、自信が持てなかった。

『オレが誰とも付き合わない一番の理由を言おうか? ……おめさんが好きだからだよ、靖友』

 ドキッとさせられた後に冗談だと言われて、あの時ばかりは心の底からムカついた。

『靖友……手ぇ握ってもいい?』

 “高校時代の思い出づくり”という意味不明なものに利用されてイラっとしたが、手の感触は悪くなかった。ひょっとしたら新開は本当に自分のことを好きなのかもしれない――そう勘違いしたくなるほどに彼の手は優しかった。
 けれど、夢の終わりは意外と早く訪れた。花火が終わる前に『満足した』と向こうから手を離され、内心どぎまぎしている荒北をよそに新開はいつも通りの態度だった。彼のあの謎の行動は本当にただの思い出作りだったのかもしれない。あそこにいたのが荒北でなくても同じようにお願いしたのかもしれない。それでも“もしかして”という期待が頭の片隅にしみついてしまうには充分だった。
 好きだとからかわれ、いいように利用され、相手が新開でなければ物理的にどうにかしていただろうに。惚れた贔屓目なのか荒北は新開のことを嫌いになれずにいた。
  
*
 9月に入っても気温の高い日が続いていた。
 自動販売機に硬貨を入れてスポーツドリンクのボタンを押す。落ちてきたぺットボトルはよく冷えていて、風呂上りの火照った身体に冷えた飲み物はよく染みた。
「やあ、靖友。風呂上り?」
 声をかけられて振り向くと新開が立っていた。これから風呂に入るのか着替えやタオルを抱えている。
「よぉ。あ、お前次の土曜日空いてるか? 真鶴までひとっ走り行くかって福ちゃんと話してんだけど、オメーも行くよなァ?」
 入浴中に福富と予定を立てていたのだが、当然のように新開も参加するものとして話していた。しかし、新開は「土曜日か……」と意味深に呟くと、「悪い。オレはパスで」と申し訳なさそうに断ってきた。
「あ? 何か予定あんの?」
「ちょっとな」
「なんだァ? もったいぶってんじゃねーぞ」
「そんなんじゃない。小田原で人と会うんだよ。デートってやつさ」
 ニッと笑ってウインク一つ。おどけているのか本当なのか判断がつかない。が、どうせこれも冗談だろうと決めつけて荒北は鼻で笑った。
「はぁ? んな相手もいねェくせに見栄張ンなっつーの」
「相手ならいるぜ?」
「は?」
「おめさんも言ってたろ? 告白を断るのはもったいないって。だから、付き合うことも視野に入れて遊んでみようかと思ってさ」
 邪魔するなよ、と笑いながら新開は浴室がある方へ消えていった。
「……はぁ? なんだソレ」
 謎の怒りが沸々と込み上げてくる。
「なーにが『付き合うことも視野に入れて遊んでみようかと思ってさ』だ。はァ!? てめェはオレが好きなんじゃねェのかよ!?」 
 自分の方が先に好かれていたかもしれないのに。そんな理不尽な怒りが次から次へと湧いてくる。
 自室に戻ってからもイライラは治まらなかった。ベッドにダイブしてゴロゴロと寝返りを打ち、それでも気が済まなくて部屋の中を意味もなく歩き回る。
「あの野郎……いつの間に」
 おもむろに立ち止まって右手を見つめた。
 手まで繋いだくせに。デート相手などいつの間にできたのか。
(いや、まてよ……)
 夏休み中、もしくは夏休み前には特定の相手ができていて、その相手との練習台にされたのかもしれない。
 根拠も証拠もない。ただの思い込みや被害妄想かもしれない。それでも、頭に血が上りかけている荒北はそうとしか考えられなくなっていた。
 ちらりと時計に目をはしらせる。新開が浴室に向かってから15分ほど経っただろうか。暑い時期には彼も入浴時間が短くなるので、そろそろ部屋に戻っているかもしれない。いても立ってもいられなくなり、気がつけば荒北は新開の部屋の前に立っていた。
「オレだ、入るぞ」
 1度のノックで勝手にドアを開け、驚く新開の前へと詰め寄る。濡髪を乾かしていたらしい新開はタオルを頭にかぶった状態で固まった。
「な、なんだ? 一体どうしたんだ?」
「行くな」
「え?」
「ダメだ。行くんじゃねェ。行ったら許さねーぞ」
「待ってくれ。なんのことだ?」
「土曜日だヨ! 小田原行くっつったじゃねーか。いいか、ぜってー行くなよ」
 半ば脅すような口調で「行くな」とすごむ。新開は最初こそ荒北の勢いに呑まれていたものの、付き合いが長いだけあってすごまれても簡単には屈しない。「嫌だ」と答えた彼はベッドに座ったまま荒北を見上げて、まっすぐな目で「理由は?」と訊いてきた。
「あ? 理由?」
「ああ。そこまで言うからには何か理由があるんだよな? そもそもおめさんに強要される筋合いはないし、誰とどこに出かけようとオレの勝手じゃないか」
「嫌なんだよ」
「え」
「オメーが誰かと出かけんのはスゲームカつく。だから行くんじゃねェ。これが理由だ」
 理不尽極まりない子供じみた理由に新開の目が丸くなる。
「ハッ! どうせ呆れてンだろ? けど、ヤなもんはヤなんだからしょうがねェだろーが」
「いや……呆れてるっていうか、驚いてるっていうか……まいったな」
 新開の手が荒北の手首を掴む。ぎゅ、と握ってくる指先は思いのほか力が強い。
「なあ靖友。今の理由、都合良く解釈するけどいい?」
「あ? 解釈ゥ?」
「靖友もオレを好きなんだって、そう受け取ってもいい?」
「はぁ? オメーはまたそうやってツマンネー冗談……あ? 『も』!? 今、『も』って――
「言ったな」
「ハァ!? だってお前、前に冗談だって言ったじゃねーか!」
「そりゃあ誤魔化しもするさ。引かれたり嫌われたりは一番避けたかったからな。それよりも肝心の『好き』の部分は否定してないけど。いいの?」
 新開が荒北の腕を左右に振って遊び始める。ふざけているように見えて、逸らされない瞳は真剣だった。
(こいつ……)
 目を合わせている間に新開の眼差しがどんどん優しくなっていく。こんなにも甘い視線を向けられたことは今までに一度もない。友人という関係から確実に何かが変わり始めていた。
 荒北が見て見ぬふりをしながら逃げてきたもの。新開も同じことを望んでいるのなら、少しだけ前に進んでみてもいいのかもしれない。自信たっぷりな割に何も考えていない場合もざらにあるが、新開の謎の余裕さに救われることも多い。彼につられて自信が湧いてくることもある。
「お前、花火ん時に夏の思い出がほしいとか言ったよなァ? 夏だけでいいのかよ。オレはごめんだぜ。そんなんじゃ足りねェ」
「ん? それってどういう?」
「だからァ、こっから先も一緒にいてやるって言ってんだよ。一発でわかれよ、察しワリィ」
 新開のタオルを掴んで頭をグシャグシャに撫でてやる。
「うわっ!? ストップ、ストップ! 人の頭で遊ぶなよ」
「やめてほしけりゃ……って、そうだ。お前、土曜日に小田原行くんじゃねーぞ。つーか、もう付き合うとこまで話が進んでんじゃねーだろーなァ?」
 タオルを離して代わりにTシャツの胸倉をやんわり掴む。どうなんだの意味を込めてじろりと睨むと、新開は「まさか」と目を細めて笑った。
「人に会うって言ったのは嘘なんだ」
「はぁ? 嘘ォ!?」
「ああ。春に備えて靖友離れしとかないとって思ってね」
「や、ヤストモバナレ?」
 初めて聞く言葉に首を傾げる。
「親離れの靖友バージョンってとこだな。おめさんの志望は洋南だから、卒業までに慣れとかないと別れが辛くなるじゃないか」
「なんだソレ。どう考えても無駄な労力じゃねーか。んなことしてる暇があるんなら勉強しろよ」
「いや、オレは真剣に思って――
「へーへー。そーかよ。お前なりに真剣だったってことはわかってやる。けどやっぱ無駄としか思えねーから、早い段階で取りやめになってよかったナ」
「そうだな。これからは一緒の思い出をどんどん作っていくことにするよ。卒業しても、来年も、その先もずっとな」
 
 
 
 好きになったきっかけはわからない。が、挙げればキリがないくらいには思い当たる節があった。好きだと口にして関係を変えてしまうことも、2人だからこそ何とかやっていけそうな気がしてくる。今はまだ18で、これから先はあまりにも長い。まず第一歩として夏の思い出づくりから始めよう。
 

***END***
 

-ペダル:新荒
-,

int(1) int(1)