【ジョーチェリ】言えない言葉がある

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・両片想いに近いジョーチェリです。
・薫を可愛いと思ってしまうジョーが色々と苦悩する話。6話終了後の時間軸です。

6話からの7話…落差が辛い。けど、大人組の過去が少しずつ判明してきて嬉しい♡

 
 自他ともに認めるプレイボーイの南城虎次郎は、昔から年齢問わず女性に優しい。陽気で情熱的な性格も相まって愛情表現はストレートで豊か。可愛いと思えば言葉にして素直に褒め、敬い、女性を喜ばせることに喜びを感じている。根っからの女好きな南城だが、彼には良くも悪くも心を揺り動かされる男が存在する。

「お前、ほんっと可愛くねーよなぁ」   

 口喧嘩の最中に「可愛くない」と言い始めたのはいつからだったか。ずいぶん前のことすぎて時期などすでに覚えていない。
 可愛くないと言いつつも胸の内では可愛いと思っている。可愛くないところが余計に可愛いくて、その感情に気づいてしまった時は真っ先に転倒からくる後遺症を疑った。
 2週間前、トリックの練習中に転んで頭を打った時だろうか。それとも先月の? 
 なんにせよ異常事態には違いなかった。
 ロングヘアーで色白肌と言っても、いくらなんでも男はない。さすがに守備範囲外だし、彼のことは鼻水を垂らして走り回っていた頃から知っている。どうせなら人並みの愛嬌があって口も悪くなく、にこやかに微笑んでくれる中性的なタイプの男がいい。
(アイツはありえねーだろ)
 そう思い込もうとしても頭に反して心が反応した。可愛いはずがないのに、ふとした瞬間に可愛いを感じてしまう。おまけにそれは一時的なものでも怪我の後遺症でもなく、年月に比例して増えていくばかり。いつしか彼に対する“可愛い”は南城の中で確実なものになり、無視できない大きさにまで育っていた。
(……わけわかんねぇ。けど、そう思っちまうってことは、そうなんだろ) 
 考えても答えは出ないし、深く考えるのは性分に合わない。アイツは間違いなく可愛いのだと、いざ腹を括って受け入れてみると案外あっさり楽になった。
 桜屋敷薫。一見すると麗しい女性のような名を持つあの憎たらしい幼馴染が、悔しいことになぜか可愛い。
 
*
 薫との付き合いは幼稚園から続いている。特別仲がいいわけではなく、顔を合わせれば挨拶代わりに罵りあうし、エスカレートした挙句の喧嘩は数えきれない。性格も、考え方も、スケートの乗り方もまるで違う。まさにすべてが真逆のような人物だったが、物心がつく頃には当たり前のように南城の意識下に存在していた。
 スケートに出会ってトリックを攻略する楽しさに夢中になっていた頃、今日はオーリーで何センチ飛び越えたとか、ハーフキャブを成功させるためにかかった日数だとか、些細なことでも事あるごとに張り合った。
「今のはどう見たってオレのが高く跳んだ!」
「嘘をつくな。俺の方があきらかに上だった」
「なら、もっかい勝負するか? お堅い計算だけじゃ無駄だって教えてやるよ」
「望むところだ。ゴリ押ししかない脳筋に何ができる」
 張り合い、罵り合い、コイツにだけは絶対に負けないと意地を燃やす。スケートを始めたきっかけの中に薫はいないが、未だに乗り続けている理由の一つではある。
 南城虎次郎という人間を形成してきた様々な要素。その中でも薫の影響はダントツで、彼の存在の大きさに薄々気づき始めていた矢先に南城のイタリア行きが決まった。
「お前、イタリア行くって本当か?」
 どこで聞いたか知らないが、南城家の前で待ちぶせていた薫は顔を見るなりイタリア行きを訊ねてきた。
(おいおい、どんな風の吹き回しだ?)
 南城は自分の進路を彼に告げていなかった。元から話すつもりもなかったし、向こうも興味ないだろうと判断してのことだったが……突然の訪問に対して自然と警戒心が働いてしまう。
「おー。そうだけど?」
 南城の返しに薫の表情がわずかに曇る。眉間に薄い皺を刻みながら「なぜだ」と続けてきた。
「なんでって言われてもなぁ」
「聞いてないぞ」
「だろうな。言ってねぇし」
「っ! なんでお前はそういう大事なことまで黙って――
 自分の声の大きさにハッとしたらしく、薫は途中で言葉を飲み込んだ。チッと舌打ちして短いため息をつき、「……どのぐらい行くんだ」と会話を軌道修正する。
「さぁな。わかんねぇ」
「は? わからないだと?」
「一人前になるまでは戻ってこないつもりだからな。数年かもしんねーし、一生かかっても芽がでないってこともある。だから、どのぐらいかはわかんねぇってこと。まあ、お前にとっても好都合だろ。これからはお互いに顔を見なくて済むんだぜ?」
 肩をすくめておどけてみせる。今度こそ何か言い返してくるかと思いきや、またしても薫は「そうか」と答えただけだった。
 あまりの手応えの無さに調子が狂う。せいせいするだとか、これでようやく縁が切れるだとか、そんな言葉が返ってくると思っていたのに。
 薫らしからぬ言動が南城の中に若干の動揺を生んだ。慣れない沈黙が息苦しい。何か言わなければとアレコレ話題を探してみたものの、焦れば焦るほどに煽り文句しか浮かんでこない。
「おいおい、マジでどうしたんだ? なんか変なものでも食ったんじゃねーだろーなぁ?」
「……お前じゃあるまいし、一緒にするな」
「ハァ? お前なあ――
 南城を睨みつけながら薫が一歩近づいて距離を詰める。ようやくの応戦かと南城が身構えた次の瞬間、幼い頃によく見た顔が不意打ちで目の前に現れた。
(なっ……!?)
 呆気に取られて身体が固まる。薫はそのわずかな隙を見逃さなかった。素早く手を伸ばして南城の胸倉を掴み、力任せに距離を縮める。
「こんな時だけ気が合うとはな。まったくお前の言う通りだ。二度と会わずに済むかと思えばせいせいする。そのまま一生帰ってくるなよ。どこか遠くで骨をうずめろ」
 吐き捨てるように言い放って南城を突き飛ばす。用済みだとばかりに踵を返すと、一度も振り返ることなく歩き始めた。
(アイツ……!)
 何度も見てきた顔を見間違えるはずがない。確かに今、薫は泣き出す前の拗ねた顔をしていた。
「こっ、こっちこそせいせいするぜ!」
 ようやく声を出せた頃には薫の背中はずいぶん小さく、遠く離れていた。
 
**
 慣れ親しんだ沖縄の海が地中海のビーチに重なる。そのせいだろうか。日本を離れてからも薫のあの表情が頭の片隅に常にいた。
 修行の合間や、深く酒に酔っている最中。夜遊びした帰り道。寝る前のまどろみの中。フッと気を抜いたら最後、いつの間にか彼のことをぼんやり考えている。
 そもそもスケートを見れば条件反射のように薫を思い浮かべてしまうのだ。会わなくなれば心の底からせいせいするはずだったのに、何千キロも遠く離れた地で結局は彼のことを考えている。
 居るとうるさい。居ないと物足りない。身の回りが平穏すぎるが故に、目障りで耳障りだった存在がなんだか恋しいような気さえしてくる。それだけの付き合いを経て今があるのだと、うんざりするほどに思い知らされてしまった。
 柄にもなくメッセージでも送ってみようかと思ったこともある。しかし、途中まで文章を打ち込んだところでいつも指が止まった。
「……らしくねー。なーにやってんだか。やめた、やめたぁ」
 自分を鼻で笑って携帯電話をベッドに投げる。こうして削除されたメッセージは1通や2通ではない。
 雑念を振り払うようにひたすら修行に励み、その甲斐あって帰国は思いのほか早かった。沖縄に戻った後は数多の物件を見て歩き、ついには念願叶って自身の店をオープンさせた。
 当然のように今回も薫には何も知らせていなかった。帰国後に街中で偶然顔を合わせた時、人はあまりにも驚くと石像のように固まるのだという新発見を彼は身をもって教えてくれた。しかし、その数日後にクレイジーロックで対峙した時はこれまで通りの不遜な態度に戻っていて、やっぱりこの男は気にくわないと再認識させられた。
 それからしばらくして再び街で出会った時、言わずにいるのも気まずいかと思い、迷った末に薫を店に誘ってみることにした。
「イタリアンレストラン? お前が?」
「ああ。結構雰囲気いいし、よかったら食いに来いよ」
「断る」
「え」
「誰が行くか」
 愛想がない相変わらずの態度にカチンときた。わかっていたとはいえ、こうもあっさり断られると意地でも来店させたくなってくる。
「そーだよなあ、プライドが邪魔してオレの飯なんか食えねぇか。旨かったら悔しいもんな」
「……なに?」
「お前、本場のイタリアンは食ったことあるか? イタリア旅行の経験は?」
「……無いが、それがなんだと言うんだ」
「そっか。それじゃーしょうがねぇか」
 腕組みして意味ありげにニヤリと笑って見せる。すると薫は思惑通りに反応して、「なんだ? 何が言いたい」と不快感をたっぷり含んだ目で睨んできた。
「いざ食いに来たものの、本場の味がわからねぇってなったら悲惨だもんな。そりゃ怖気づいて遠慮もしたくなるよなぁ」
「なんだと?」
「お前、センセイって呼ばれてんだって? 桜屋敷センセイともあろう人が本場のイタリアンを知らなくていいのかねぇ。お前のファンとやらが聞いたらガッカリすんじゃねーの? まあ、お前がそれで構わねぇってんなら無理する必要ねーけど、ただ、センセイが本物を知らねぇってのはちょっとなぁ……」
 そろそろ薫が売り言葉に買い言葉で「行ってやる」と言い出す頃合いだった。ダメ押しで憐れみのまなざしを送ると、扇子をあおいでいた薫の手がぴたりと止まった。
(お。くるか?)
 南城が胸の中でほくそ笑んだ瞬間、想定外の出来事が起こった。「お前が作ったものを食うくらいなら飢え死にした方がましだ!」と薫が足を蹴り飛ばしてきたのだ。
「いッ――てぇなあ! なんだよ、せっかく誘ってやってんのに可愛くねー!」
「当たり前だ。お前に見せる可愛げなど元から持ち合わせていない」
「嘘つけ! ガキの頃はあんな可愛かったじゃねーか! 『コジロー、コジロー』って、どこ行くにもオレの後ろくっついてきたくせに! あのまま成長すりゃ良かったのに、どこでどう捻くれちまったんだお前は!」
「いつまでも昔のことを持ち出すな。これだから腐れ縁は嫌なんだ。まったく……イタリアに行ってせいせいしたと思ったのに、よりによってなんでここに戻って来た。素直に向こうで店を構えとけ!」
「どこに店出そうがオレの勝手だ! あったまきたぜ。そこまで言うんならぜってー店に来るんじゃねーぞ! お前が飢え死にしそうになってもオレは一切面倒みねぇからな!」
「構わん。飲食店なら他にいくらでもあるんだ。お前に頼るまでもない」
「このっ……! 勝手にしろ!」
 途中までは南城のシナリオ通りに運んでいたはずなのに。結局はお決まりの喧嘩別れになってしまい、店への招待は叶わなかった。
 それから数年。
「……お前らなぁ、店をたまり場にすんじゃねーよ! そろそろチャージ料金払ってもらうぞ!」
 閉店後、南城はメニューボードをしまいつつ店の中をひと睨みした。
「おい、薫! お前のせいだぞ。ガキ連れてくんじゃねぇよ」
「俺のせいにするな。アイツらは店の前で会っただけで、連れてきたんじゃない。まったくの他人だ」
 振り向きもせずにカウンター席に座ったままで薫が答える。薫は過去の発言など最初から無かったかのように南城の店にちょくちょく顔を出している。
 一方の他人呼ばわりされたテーブル席では、バイト帰りで腹を空かせた暦とランガが口いっぱいにピザを頬張っていた。
「確かに別々だけど、ジョーが奢ってくれるって言ったのはチェリーだぜ? なあ、ランガ」
「うん、言った。好きなだけ食べていいって」
「はぁ? 奢り!? つーか、やっぱおめーのせいじゃねーか!」
 薫の前に回り込んでカウンター越しに睨みつける。しかし薫は気にする素振りも見せずに素知らぬ顔でワイングラスを傾ける。
「オレはなぁ仕事とプライベートはキッチリ分けたいタイプなんだよ! 薫もそうだろ? Sの掟だってある」
「だから俺は関係ない」
「どこがだ! そういや最初にアイツらを連れてきたのもお前だったよなぁ?」
「あれは必要に駆られたまでだ。それに、あの集まりはお前にとっても有益だったはずだぞ。あれがあったからこそラブハッグ攻略の糸口を掴めたんだからな」
 愛抱夢を思い浮かべているのか薫の片眉がピクリと跳ねた。そして物思いに耽るかのようにスッと目を細めて押し黙る。
 ふたりの性格の違いなのか、愛抱夢への執着は南城よりも薫の方が幾分か強い。Sにおける実力者の一人とはいえ、愛抱夢とのビーフで薫が怪我を負わないという保証はない。勝負に熱くなりすぎた故の万が一という可能性だって充分ある。
(ムキになりすぎて無茶しなきゃいいんだが……)
 幼馴染が持つ精神的未熟さは、時に南城の心配の種になる。ビーフを挑みたい気持ちはわかるが心身ともに傷ついて欲しいわけではない。多少の複雑さを持って南城はこっそりため息をついた。
「……そりゃそーだけど今日は別だ。アイツらに奢るなんてオレは一言も言ってねぇからな。今日の分は全額お前に請求してやる。がっぽり貯め込んでる守銭奴なら、このぐらい余裕だよなぁ?」
 ピリついた嫌な空気を変えようとして敢えてわかりやすい軽口を叩く。南城の気遣いを知ってか知らずか、薫は「当然だ。俺を誰だと思っている」と眼鏡の奥で瞳を光らせた。
「だが、こないだの宮古島で俺がお前らの飲食代を立て替えたのを忘れるなよ」
 痛いところを突かれて喉が詰まった。すでに忘れていたとはさすがに言えず、「あ、あれはたまたま持ち合わせが無かったっつーかぁ」としどろもどろに言い訳する。
「ほう? お前、あの時はバカンスとか言ってたよな? 旅行するのに金を持たないアホがいるか、ってそうか。ここにいたな」
「うるせー! わかったよ、オレが払えばいいんだろ!?」
「アイツらの分だけじゃない。俺のもだ」
「はぁ? なんでお前の分まで」
「8万とんで31円」
「わかったわかった! 今日だけだからな。そんで、これで全部チャラだ。いいな!?」
「よし。なら、ヴィンテージのマッセートを1杯」
「はあ!?」
「1本と言いたいところを1杯で済ませてやるんだ。安いもんだろ」
 空のワイングラスを左右に振って「さっさとしろ」と催促する。南城は仕入れたばかりのイタリアンワインを泣く泣く手に取り、ソムリエナイフをボトルにあてがった。
「やっと仕入れたってのに……こんなんで開けることになるとはなぁ」
「まさに身から出た錆だな。おい、いつもより少ないぞ。目一杯注いでくれないと割に合わないんだが」
「こいつ……調子に乗りやがって……!」
 旨そうに喉を潤す薫が恨めしい。苛立ちを抑えきれずに「スノー、レキ!」としかめっ面で呼びかけると、呼ばれたふたりは食べる手を止めて南城と薫を交互に見た。
「お前らはこういう金に汚い大人になるんじゃねーぞ」
「ダメな大人の典型的モデルが何を言う。いいかふたりとも、コイツこそ真似をしてはダメだな大人だ。付き合いもほどほどにしておけ。馬鹿が感染るからな」
「ハァ? ほんっとお前は可愛くねーなぁ! ガキの頃はあんな可愛かったくせに!」
「またそれか。馬鹿の一つ覚えだな」
「っとに口ばっか達者になりやがって! あんなに可愛かった薫は一体どこに……ん? さてはお前……」
 ハッとして言葉を切る。とある妄想が突如として浮かんできて、瞬く間に頭の中を占拠した。
「薫……お前、偽物だな?」
「は?」
「おい、オレの薫をどこにやった? 返せ。あの可愛い薫を返してくれ!」
「……正気か?」
「一体いつ入れ替わった!? アレか? 遠足で迷子になった時か!?」
「はしゃいで迷子になったのはお前だろ。まったく……さすがに理解不能だ。付き合いきれん」
 ワインの残りを一息で飲み干して薫が立ち上がる。スケートボードを抱えて席を離れ、暦とランガに「夜遊びもほどほどにしておけ。どっかのアホみたいになるぞ」とわざわざ言い残してから店を出て行った。
「余計なお世話だ! ったく、あの眼鏡野郎……マジで可愛くねーよなぁ」
 薫が出て行ったドアに向かってべーっと舌を出す。一連の流れを見守っていた暦とランガは神妙な顔でアイコンタクトを取ると、「なあジョー、さっきのってマジで思ってんの?」と恐るおそる声をかけてきた。
「あ? さっきの?」
「チェリーが偽物って」
「ばぁか、んなわけねーだろ。薫は昔っからあんなだし、なんも変わっちゃいねぇよ。あれこそが薫だ」
「じゃあなんで……?」
「あのまま居座られてボトル1本丸々飲み干されても困るからな。っていうか偽物だろって言われた時の顔、お前ら見たか? 可愛かったろ? アイツ、本気でギョッとしてやがんの。オレの演技も捨てたもんじゃねーな」
 ポーカーフェイスが崩れた時の、一瞬だけ覗く“気を抜いた幼馴染”の顔。困惑する暦とランガをよそに、南城はクックッと満足げに肩を揺らして笑い続けた。
 
***
「そもそもさぁ、あのふたりは前提がおかしいんだよ」
 ウィールを回す軽い音が夜道に響く。抱えたスケートボードをいじって遊んでいる暦を見ながら、ランガは「何が?」と首を傾げた。
「ジョーってさ、チェリーにカワイイとかカワイくないとかって言うだろ? 俺にもガキの頃から仲いいやつって何人かいるけど、男相手にカワイイって思ったことねーんだよな。カワイくないって思うのも、まず相手をカワイイって思ってないと出てこないだろ? 相手が女子ならわかるんだけどさぁ、そもそもチェリーだぜ?」
 納得がいかない、といった顔で暦がランガを見る。ジョーとチェリーについて考えたこともなかったが、言われてみれば確かにそうかもしれない。
「……俺も男友達をキュートだって思ったことはないかなぁ」
「だろ? だろ? 喧嘩する割によく一緒にいるし」
「ほんとは仲良しなのかもね」
「なー。あの2人にはあの2人にしかわかんねーもんがあるんだろーな。まぁ、大人はよくわかんねーよ」
 そう言って暦は手の中のデッキをじっと見つめた。何か考えているらしく、彼の歩調が自然と遅くなる。
「暦?」
 呼ばれた暦が弾かれたように顔を上げた。ランガと目が合った後で再び手元に視線を落とし、「……なんかさぁ」とぽつりと呟く。
「うん?」
「大人になっても一緒に滑る相手がいるってさ……いいよな」
 ちょうど通り過ぎた街灯が俯いた横顔に影を落とす。暦の表情はよく見えなかったが、少し前に話してくれたスケートをやめた友人のことを思っているのかもしれない。途端に胸の辺りが苦しくなって、ランガはシャツの上からそっと押さえた。
 心配してくれる暦の気持ちもわかるし、愛抱夢とのビーフに強く惹かれている自分もいる。どう答えたらいいかがわからない。どうすべきかもわからない。
 持て余した胸のモヤモヤを隠すように、ランガは「そうだね」と短く答えた。
 
 

 ひとりになった店内で黙々と閉店作業をしていた南城は、薫が使ったナプキンを片付けようとして、その下に置かれている何かに気がついた。
「は? なんだこれ」
 数枚の一万円紙幣が南城をジッと見上げている。慌ててバックヤードに駆け込み、携帯電話を手にして操作する。コール音は数回で途切れ、代わりに警戒心たっぷりの声が聞こえてきた。
『……なんだ? 何か用か?』
「なんだはこっちのセリフだ! なんだよ、この金はぁ!?」
『アイツらの分と俺の分だ。足りてるはずだが?』
「ちげーよ! 今日はオレの奢りなはずだろ!?」
『お前に借りを作るわけにはいかないからな。まとめて払ってやる』
「ハァ!? なんなんだよ、一体……それにしてもコレは多すぎだ。貰うには気が引ける」
『それなら、ちょっとしたクジに当たったと思って店に使え。立ち寄る店が潰れてしまっては俺も困るからな』
「勝手に潰すな! うちはそれなりに順調だ!」
『もしくはチップでもいい。……お前の料理にはそれだけ払う価値がある』
「なっ……」
 不意にしおらしいことを言って喜ばせてくるのだから、この男は本当に質が悪い。計算でやっているとしたら尚更罪作りで残酷だ。
 薫への“可愛い”が心の中で大きく跳ねた。鼓動がにわかにペースを上げて、ドキドキしている事実を身体のど真ん中で主張してくる。
 可愛いと伝えたなら薫はなんと言うだろうか。最初は無言で、その後はいつも以上の罵詈雑言が返ってくるかもしれない。それでも真剣に伝え続けたなら、南城が本当にそう思っているのだと少しくらいは理解してくれるだろうか。
「か、かわ――
『そうだ、一人の客として忠告してやるが露骨な女性贔屓はやめた方がいいぞ』
 言いそびれた「可愛いこと言うなよ」が喉の奥に消えていく。
「は? 贔屓?」
『特製デザートとかなんとか言ってサービスしてるだろ? アレのことだ』
「バカ言うな。可愛い子がいたら声かけないと失礼だろ」
『情けないニヤケ面を仕事中に晒すなと言ってるんだ。若い女子相手にデレデレとみっともない』
「デレデレなんかしてねーっての! なんでもかんでも突っかかってくんじゃねーよ。あ、さてはお前妬んでるな?」
『は?』
「わかったよ。次はお前にもデザート作ってやるから。ったく、しょうがねーなぁ。お前、甘い物そんな好きだったか?」
『……お前は本当に馬鹿の中の馬鹿だな。もういい、勝手にしろ』
 締めの挨拶もなく、強制的に通話を切られてしまった。
「っとに可愛くねーなぁ。作ってやるって言ってんだから素直に喜んどきゃいいのに」 
 そう言いながらも腹の内では可愛いと思っている。可愛くないところが余計に可愛いいのだが、実際にはなかなか言葉にできない。

『お前の料理にはそれだけ払う価値がある』

「……なんだよ、くそっ……薫のくせに可愛いじゃねーか」
 こんなこと、本人には決して言えない。
 
 南城虎次郎には、今日も言えない言葉がある。
 

***END***

-SK∞:ジョーチェリ
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