【新荒】さよならの続きを

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・高3~アラサーくらいの付き合っていない新荒です。【R-18】
・自分から拒否した恋に後悔し続けている荒北さんと、かつての恋に決別して前を向こうとしている新開さんの話。
※ハッピーエンドのつもりですが、明確なハッピーエンドではありません。誕生日とは関係ありません。

荒北さん★HAPPY BIRTHDAY!!! 
新荒の日おめでとう!!!!

 
 始まりを拒否した恋に、いつまでも縛られている。
 

1.
 海外のクラブチームに移籍すると聞いた時、まっ先に抱いたものは安堵と解放感だった。
 顔を合わせる機会がなくなれば必然的に薄れていくに違いない。終われる。ようやく。やっと。ついに終止符が打てる。そう思った。しかし、その認識が間違いだったと思い知るまで大して時間はかからなかった。
 情報を遮断しようともがいても容易ではなかった。SNSやネットニュース、紙面、果てはチーム内のメカニックやマネージャーなどなど、望む望まないに関わらず彼についてのニュースは向こうから勝手にやってきた。この状況はどちらかが自転車競技界から退くまで続くのだろう。同じ道を進む限りは避けようがないのだと嫌々ながら悟るしかなかった。
 福富の誘いを断りきれず、空港で見送ってから早2年。この日もニュースは向こうからやって来た。
「契約延長? ヘェ……スゲーじゃん」
『で、本契約の前に一時帰国するって言うからさ、久しぶりに集まろうぜってことでみんなに声掛けてんだけど荒北はどうだ? オフ中だし、参加できるだろ?』
「え、オレェ? あー……」
 答えに迷って視線がさまよう。ふと、窓から差し込む細い西日に目が留まった。

【靖友は――

 放課後の教室と、目尻が垂れた瞳。夕陽にまつわる記憶の一片が頭をよぎる。
 自室を彩る赤い陽に誘われて、荒北はふらふらと窓辺に向かっていた。しかし、窓の外に見えているのは林立するビル群と住宅のみで太陽は見えない。そうこうしているうちに西日は消えて、陰になった部屋の隅から徐々に夜が始まろうとしていた。
 
*
「靖友、これやるよ」
 高校時代、彼がくれるものは荒北が好むものばかりで、なぜ自分の好みがわかるのかと尋ねたことがある。
「そんなの簡単だ。知ってるからさ」
「あ? 答えになってねーんだけど」
「なってるよ。靖友の好きなものだから知ってる。それだけだ」
 それだけと言われても意味がわからない。怪訝な顔をしてみたが新開は微笑むばかりで明言しない。
「じゃあ、なんで知ってんだよ」
「知ってるから知ってる」
「はぁ? ふざけてんのか?」
「大真面目だ」
 どう考えてもはぐらかされている気しかしない。けど、この先どれだけ待ってみても新開はこれ以上答えないのだろう。いかにも人好きのする穏やかな顔をしたこの男は、顔に似合わず意外と頑固な一面も持っていた。
「だから答えになってねェんだっつーの」
 軽めの舌打ちをして視線を手元に戻す。期末試験まで残り数日。数式が頭に入ってこないのは新開の教え方が悪いのか、それとも荒北の理解力が乏しいのか。
 西日が差し込む放課後の教室。まばらに残っていた生徒たちもひとりふたりといなくなり、気がつけば新開と荒北だけになっていた。
 文字を書く自分のシャープペンシルの音がやけに耳に付く。ふと荒北は対面のペンが止まっていることに気がついた。「サボってんじゃねーよ」と言うために顔を上げた瞬間、そこには驚くほど真面目な顔をした新開がいた。
「……な、なんだよ」
「靖友は……好きなヤツっていたりすんの?」
「え」
「好きな人。いんの?」
「はぁ? 急に何言ってんだ?」
「おめさんに話があるんだ。ちょっといいかな?」
「え……今ァ?」
「ああ。今」
 瞬時に予感めいたものが働く。彼が何を言いだすつもりなのか察してしまった。
「……ダメだ。つーか手ェ動かせ、手ェ」
「あのさ、もう気づいてるんだろうけど」
「やめろ」
「オレ、おめさんが――
「やめろ、新開!」
 閑散とした教室内に声が響く。怒鳴られた新開は目を丸くして荒北を凝視していた。その視線に耐えきれず、舌打ちして顔そのものを露骨に逸らす。どうして、と訴えてくる瞳を今の荒北には見つめ返すことができない。
「あっ! もうこんな時間じゃねーか! そういや福ちゃんに呼ばれてンだったわ! やべー、忘れてたぜ。ワリィな、先帰るから」
 取ってつけたようなバレバレの嘘をついて荒北はその場から逃げだした。日が翳る校内に新開を一人残して。
 どれだけの覚悟と勇気で新開がソレを言葉にしようとしたのか、荒北には充分すぎるほど共感できた。けれど一旦口にしたが最後、後には引き返せなくなってしまう。恋愛経験が乏しい荒北でさえ同性への想いが一般的でないことくらいは理解していた。例え新開が同じ気持ちでいるとしても、素直に喜べるものではない。
 誰かにバレたらどうする? 
 新開への想いが大きくなればなるほど、公になる怖さも荒北の中で重みを増していった。からかわれるくらいならまだ良い方だろう。非難されて、嫌われて、あらぬ噂をおもしろおかしく広められて、その結果どちらかが、いや、新開が自転車を降りることになってしまったら。 

「新開ならプロとかいけんじゃねー?」
「海外チームとか行ったりしてな」
「ツールで走れたらスゲーよな。なあ、俺のこと忘れんなよ? マッサージしてやったのは俺だって、ちゃんと取材で言ってくれよな」

 周囲の期待と、それに応えられるだけの才能。それらを潰すことになるかもしれないのだと結論はいつも同じ場所に辿り着く。そして荒北はゾッとして思考に蓋をし、恋心は“無かったもの”として過ごしてきた。“普通じゃない”未来を選ぶことがどんなに無謀なことなのか、たかが18歳でも肌で感じていたのだ。

 あれからずいぶん時が流れたというのに今も後悔が続いている。荒北は新開が好きなままだった。以前よりも複雑な想いを込めて。
 

2.
 新開の一時帰国に合わせた飲み会は懐かしの小田原市内で開催されることになり、ギリギリまで出席を悩んだ荒北も結局は居酒屋の店内にいた。
「新開、久しぶり。お前すげーじゃん」
「なー。オレ、CS契約して観てんだぜ。今年はクラシック出んのかよ?」
「今度〇〇のサイン貰ってきてよ。チームのボトルとかさあ。あ、後でお前のサイン書いて。家宝にするわ」
「あっ! 抜け駆けしてんじゃねーよ。新開、俺にも書いて」
 盛り上がる一角を横目にビールジョッキに口をつける。まだ荒北は新開と挨拶すら交わしていない。
 この日の主役は集合時刻よりも少しだけ遅れて店にやってきた。契約や雑誌の取材等で予定が立て込んでいるらしく、久しぶりの帰国だというのにまだ実家にも帰れていないらしい。飲み会の後も都内のホテルに直行して、明日は朝から地方に飛ぶのだと言う。これらの情報は新開から直接聞いたわけではなく、ここにいる誰かが話していたのを又聞きしたに過ぎない。
 新開は店に到着するや否や座敷の上座に連行されて、そこから一歩も動けていなかった。誰もが海外選手やチームに興味津々で、新開の話を聞きたがっている。そもそもここには自転車競技部のOBしかいない。ロードレース関連の話題で盛り上がらないはずがなかった。
(……ま、べつにオレは話すこともねーし)
 ジョッキを傾けてビールを一口。飲み途中に視線だけ投げてみれば、困った顔で笑っている新開がいた。とりあえずは健康そうで何より。それだけわかれば他はいい。
 ぶるっと震えた身体が尿意を訴え、荒北は「ワリィ、便所」と周りに声をかけて座敷を抜け出した。
 用を足している間中、荒北は不思議な気持ちでいた。顔を見たら何かしらの感情が湧いてくるだろうと構えていたのに、今のところは何もない。動揺していないし、罪悪感を覚えてもいない。そして、ドキドキもしていない。同じ空間にいても平静を保てているのだ。例えが悪すぎるが、いわゆる賢者タイムに似たような感覚で心が凪いでいた。
 手を洗いつつ正面を向くと鏡の中の自分と目が合った。トイレ内の照明がオレンジ色に近いせいか、顔が赤いかどうかはわからない。ただ、普段よりも緊張した顔つきになっている。
「……飲みすぎねェようにしねーとナ」
 大学時代の話だが酒に呑まれて痛い目を見たことがある。荒北は酒に強い方ではあるが、一定量を超えてしまうとベラベラ喋る癖があった。それすらも超えると今度は泣き上戸になってしまい、かつての級友たちには未だに酒の肴にされている。
 今日はこのまま平穏無事に終わればいいと、パッパッと手についた水滴を払ったところで鏡に映ったドアが開いた。自然と目線がそちらに動く。隙間から顔を覗かせた人物はまさかの新開だった。
「ここにいたんだ。向こうで見えなくなったから、どこにいったのかと思って。どう? 飲んでる?」
 心が凪いでいるとはなんだったのか。話しかけられた途端に動悸がして、一気に落ち着かない気分になってきた。
「……まァ、フツーに」
「酒に強い靖友が羨ましいよ。オレなんか元から大して飲めないのに、向こう行ったら更に弱くなっちまったみたいでね。うちのチームはアルコール類は厳しくて、徹底的に管理されてるからあまり自由にできないんだ。おかげでたった2杯でこのざまだ。顔があっつくてまいるよ」
「……そォ。まあ、元気そうで良かったぜ。そんじゃー先戻ってっから」
 新開の横をすり抜けようとして引き戸に手をかける。まさかその手を掴まれるとは予想もしていなかったので、全身が大袈裟すぎるほどにビクッと跳ねた。
「悪い、驚かせるつもりはなかったんだけど」
「……嘘つけ。顔がにやけてんだよ。狙ってやったくせに」
「さあね。どうかな」
「つーかあっち戻りてェんだけど。手ェ離してくんね?」
 握られた部分から新開の体温が流れてくる。彼の手は相変わらず温かくて、意図が読めない行動に警戒しつつも懐かしさを覚えてしまった。こんな状況下だというのに不覚にも胸が鳴り始めている。そんな自分に焦った荒北は腕を振りほどこうと強めに引っ張った。だが新開は手首を離さず、それどころか更に力を込めてきて「ちょっと話そうぜ」と引き戸を閉めてしまう。
「……ここでかよ」
「だって戻ったら話せなくなるだろ? 大丈夫、長居はしないよ」
 ニッと笑った顔は学生時代と何も変わっていなかった。穏やかな笑顔とは対照的な、目の中に潜んだ頑固さ。戻るのを諦めた荒北は取っ手から指を離して手洗い場にもたれかかった。
「そういやお前いつまでこっちいんの?」
「明後日には向こうに戻るよ」
「もう? 弾丸スケジュールもいいとこだな。つーか今って一応オフなんだろ? もっとゆっくりしてきゃーいいのに」
「いや、やるべき事はもう終わったからな。本契約とか色々控えてるし、早目に戻るつもりなんだ」
「明日は地方行くんだろ? 飲み会なんか来てる場合じゃねーだろ」
「問題ないよ。むしろオレにとっては今日がメインみたいなもんだから」
「あ? 飲み会が? まあ、今井がスゲー張り切ってたけどよォ、いつもと変わんねーと思うぜ?」
 荒北が腑に落ちないでいると新開は「そうじゃなくて」と小さく笑った。
「じゃあなんだヨ」
「んー……」
 続く言葉を待ったが新開は何も言わずに口を閉じた。足元に視線を落として、靴下の中のつま先を丸めたり伸ばしたりしている。
 この沈黙は何の時間なのか。手持無沙汰を埋めるべく荒北が自身のうなじをさすっていると、ようやく新開が顔を上げた。
「今回の一番の目的ってのがさ、過去との決別なんだ」
「ん? カコトノケツベツゥ?」
「そう。忘れるためっていうか……いや、違うな。前に進むための、かな」
「へぇ……よくわかんねーけど、まぁ、オメーも色々あんだな」
 まっすぐな視線が正面から荒北を見据える。
「靖友はオレの事祝ってくれてんの?」
「そりゃな。今日だってそのために来てンだし」
「そうか。ありがとな。じゃあ餞別でも貰っておこうかな」
「あ? 餞別ゥ? なんだよ、金でもとる気か?」
「まさか」
 ふたりしかいない洗面所で身体が近づく。成人男性が3人並んで立てば窮屈だと感じるくらいの広さしかない場所だ。不意を突かれては回避する方が難しく、ふたりの唇が重なるまではあっという間だった。
 静かに触れて、わずか数秒で離れる。キスされたと認識した時には2度目のキスが始まっていた。
 一度目よりも押し付けてくる感触が強い。ぬるっとしたものが強引に唇を割ってきて、その感触に驚いた荒北は咄嗟に手を振り上げてしまった。手の甲が新開の頬を打ち、乾いた音を立てて鳴る。さすがに一瞬だけ唇が離れたが、それでも新開は怯むことなく3度目のキスをしてきた。
「んんっ! んー!」
 胸板をどんなに強く押しても離れてくれない。指先が肌に食い込むほどの力で腕を掴まれている。抵抗して顔を逸らせば後頭部を鷲掴みにされ、逃げようともがいても唇が追ってくる。揉み合ううちに新開の唇を噛んでしまったらしく、口の中に血の味と匂いが広がってきた。
「んぅっ……おっ、まえなァ! いい加減にしろ!」
 なんとか腕を振り切って身体を離す。仕掛けてきた方だからと言われればその通りだが、目を白黒させている荒北とは対照的に新開はずいぶんと落ち着いていた。もしかしたら最初から狙っていたのかもしれない。けれど、若干のパニック状態に陥りかけている荒北には、深く追及できるはずもなかった。
「なっ、なんなんだよ!? なんのつもりだ!?」
「靖友」
 唇の端に滲んだ血を手でぬぐって新開が荒北を呼んだ。それだけで警戒心が働き、荒北の全身がこわばる。
「な、なんだよ!?」
 2、3秒ほど見つめ合った後で新開はフッと笑みを浮かべた。片手を軽く挙げて「さよなら」と言い、荒北を残して出て行ってしまった。
 閉まった扉を呆然と眺める。その場に立ち尽くしたまま指先で唇に触れ、ハッとして手の甲で一息にぬぐった。わざと力を入れて何度もこすり、キスの感触をヒリヒリした痛みで強引に上書きする。
(な、何考えてんだアイツは!?) 
 一気に酔いが回ってきたのか顔が熱くて仕方がない。顔と言えばこれから座敷に戻ったとして、一体どんな顔をしてあの場に居続けたらいいのか。「あの野郎」と呟いた瞬間にトイレのドアが開き、咄嗟に身構えたものの、まったく知らない客が入って来た。このままトイレに長々と居座るわけにもいかず、渋々ではあったが座敷へ戻ることにした。
 戻る足はやたらと重い。ノロノロと歩いていると座敷の手前で今井に鉢合わせした。玄関方向からやって来たようにも見えたが、誰も連れていないということは見送ってきた帰りなのかもしれない。
「おせーぞ荒北。もう新開帰っちまったぜ?」
「……は? 帰った?」
「元から今日は2時間くらいしか時間取れねぇって話だったじゃん。あ、お前ちゃんとサイン貰った? オレ2個書いてもらったから、1個譲ってやろうか?」
「……いや。貰ってねーけどって、んなもん要らねェから!」
 すでにいないと知って拍子抜けした。と同時に腹の底から沸々とした怒りが込み上げてきた。恐らくこの飲み会が新開と顔を合わせる最後だったかもしれないのに。碌に挨拶もしないまま訳のわからないキスをしてきて、さよならと意味深な挨拶を言い残し、当の本人は勝手に姿を消している。
 
【今回の一番の目的ってのがさ、過去との決別なんだ】

 決別とやらが何だったのかはわからないが、もしそれが荒北の事だったなら。
「……さよならだァ? っざけんなよ。オレはもう過去ってわけか」
 高校時代に“始まり”を一方的に拒否したのは荒北だった。間接的にフッたくせに、相手が離れてしまうと急に惜しくなってくる。
(なんで「さよなら」なンだよ、そんなん今まで言ったことねーだろ。もう好きじゃねぇって? オレはまだ後悔してんのに? あの日をやり直せたらって未だに夢に見るっつーのに? お前だけスッキリしたっつーのか? オレはまだあの教室ん中にいるんだぞ。そんなオレを置いてくってのかよ)
 混乱が収まらない。感情をコントロールしたくてもうまくいかず、理不尽な怒りだけが後から後から湧いてくる。

 新開が日本を発つ日、今度こそ荒北は見送りに行かなかった。ただ、オフ中のトレーニングでもなんでもない日にわざわざロードバイクを走らせてまで高台の公園に来てしまったのは、その場所は空がよく見えるからだろう。
「……久しぶりに見たなァ。夕日ってこんな赤いンだっけ」
 日が沈む時間帯に何もしないでいるのは社会に出てから初めてかもしれない。
 あの頃と変わらない夕日が赤々と燃えている。目の前には机も椅子も、新開も、箱根の山々もすでに無い。
 太陽の反射を受けて飛行機が白く光った。新開はあの飛行機に乗っているのだろうか。それとも、とっくに日本を離れたのだろうか。
「……いい加減終わらせねーとな」
 くすぶっている想いをただの記憶の1ページに。決別すると言うならば、こっちもそのつもりで終わらせる。
 飛行機は彼方へ消え、後には何も残っていない。荒北はビル群の向こうに沈んでいく夕日をじっと眺めていた。
 

3.
 消化不良の不快感に、今でも縛られている。
 

 新開が日本を離れてから1回目のシーズンが終わろうとしていた。
 大きな怪我は無く、個人成績では前シーズンよりランクアップし、アシストとしてのチームへの貢献度もそれなりに高い。チーム全体の総合成績も昨年より好調で、心身ともに良い状態でのオフシーズン入りになった。が、新開の心はどこか晴れない。
 半年ほど前だろうか。あるレースでの落車事故をSNS経由で知った。
 場所は日本の地方都市。雨上がりの市街地戦、道幅が狭い下りのコーナーで落車は起きた。道路に引かれた白線でタイヤがスリップし、集団の中程でひとりの選手がバランスを崩して転倒。そこからは後続が次々と巻き込まれ、大規模な落車へと繋がってしまった。怪我の程度は軽い裂傷から鎖骨や大腿骨の骨折まで幅広く、負傷者とリタイアした選手は相当数出たらしい。そして、そのリタイアした選手の中に彼の名前があった。
 情報を得ようともがいても容易ではなかった。SNSやネットニュース、紙面、果てはチーム内のメカニックやマネージャーなどなど、彼についての情報を片っ端から調べて回る。そもそも肝心の本人がSNSをやっていないせいで確信的な情報がなかなか掴めず、今井経由で状態を知った時には今シーズンの復帰は絶望的だという非常に悪いものだった。それからは特にこれといった情報を得られないまま今に至る。
 電話をかけてみようか、メッセージを送ってみようか。何度も悩んで何度も躊躇し、結局何もできていない。接触したが最後、そこからまたズルズルと未練がましくやり取りしてしまいそうで、連絡一つすら臆病になってくる。
 彼への想いはすべて日本に置いてきたはずだった。けれど、友人として心配するならアリなんじゃないかとか、本人から直接の無事を聞けさえすれば満足するかもだとか、気がつけば連絡するための言い訳を考えている。要するに新開は未だに荒北のことが好きなままで、何とも決別できていないのだろう。せめて告白してハッキリフラれていたなら、今とは状況が違ったかもしれない。
 様々な葛藤を抱えつつ、無理やり日々を過ごす。そうこうしているうちに荒北の現状はわからなくなり、連絡できないままオフシーズンを迎えてしまった。
 
*
 9月下旬に最終戦を終えた新開は、そのままオフシーズンに入った。オフになって2〜3週間ほどは取材もトレーニングも一切の予定が入らない。これは選手たちに完全な休足期間を取らせるためのチームの方針で、最低限として連絡が付きさえすれば11月のチームキャンプまでは自由に過ごしていいと言われていた。
 約1ヶ月の休暇を前にどう過ごすか考えていた時、日本への帰国も当然候補に挙がった。その目的は荒北の状態を確かめるためだったが、会いに行ったところで新開に何かできるわけでもない。渡欧前に彼にしたことや「さよなら」と告げたことを思えば、会わずにいる方が新開のためではある。
「……いい加減忘れねぇとな」
 帰国して新たな傷をつくるより、気が紛れる何かを見つける方が今の自分には有益かもしれない。ヨーロッパ内で小旅行でもしようかとパソコンを起ち上げたところで新開の携帯電話が着信を告げた。
 携帯電話を取ろうと伸ばしかけた手が宙で止まる。着信画面に表示されている【+81】という数字。万が一の可能性と期待を抱いてしまい、心臓が大きく跳ねた。乾いた唇をひと舐めして、震える親指で画面をタップする。
「……もしもし」
『よォ、番号変わってねぇんだな。もう繋がんねーかと思ったぜ』
 驚きと懐かしさと恋しさで胸がつまる。聞きたいことや言いたいことが雪崩のように頭の中に浮かんできたが、実際は「やっ、靖友!?」と名前を呼ぶだけで精一杯だった。
『うっせ! 急にでけェ声だすなよ』
「いやあ、だって……ほんとにおめさんだとは思わなくてね。驚いた」
『ハッ! なんだそりゃ。まあいい、お前オフ入ったんだろ? 日本帰ってねェよな?』
「え? ああ、今回は帰ってない」
『んで、今どこいんの?』
「え、どこって自宅だけど……」
『オレさァ今ベルギー来てんだヨ。たぶんお前んとこからそんな遠くねェと思うんだけど、これから会えねェ?』
「えっ!? いっ、今!? ど、どこいんの!?」
『どこって言われてもナァ、あんまわかってねェっつーか、今は中央駅出たとこの――
 告げられた場所を目指して家を飛び出した。私物のサーヴェロはメンテナンスのためにバラしたままになっていて、こんな時に限ってと数日前の自分を恨んでも今はどうしようもない。仕方なく自分の足で道路を駆け、地下鉄に乗って2駅先を目指した。
 電車に揺られている間も新開の心臓は落ち着かなかった。
 なぜ彼が? なんのために? もしかして会いに来てくれた? いや、そんなわけない。殴りに来るならまだしも、わざわざ訪ねてくる理由は無いし、きっと他に用事があって自分はそのついでだろう。
 頭の中で思いを巡らせ、期待と不安に一喜一憂する。目的地が近づけば近づくほど鼓動は早まり、手のひらが湿って唇が乾いた。
 ターミナルに到着した後も新開の足は止まらなかった。逸る気持ちを隠せない。こんなにも気持ちが昂っているのは最後に居酒屋で顔を合わせた時以来かもしれない。あの日は碌に会話もできなくて、同じ座敷にいるはずなのに離れた場所から眺めているしかなかった。それでも顔を見ているだけでドキドキして、これが最後だと決めていたからこそ記憶に焼きつけるつもりで眺め続けた。
 席を立った彼を追いかけ、最初は挨拶するだけのつもりで声をかけた。なのに言葉を交わした途端に荒北の表情が変化し始め、咄嗟に腕を掴んだ時にはわかりやすくハッキリと動揺していた。何かに迷って揺れる目と、緊張してこわばった腕。困った時に下唇を噛む癖は今でも健在で、夕暮れの教室内で見た荒北がそのままの表情で目の前に立っていた。

 もしかして、彼もまだ自分のことを?
 
 淡い期待に魔が差し、それと同時にフッた側がどうしてそんな顔をするんだと苛立ってしまった。
 どうせこれが最後なら、叶わなかった恋に決定的なピリオドを打ちたい。後戻りができないほど徹底的に終わらせてしまいたい。
 これまでに築き上げてきた友情も、信頼関係も、すべてをダメにするつもりで新開は荒北にキスをした。頬をはたかれても、拒絶されても、それでもやめなかった。告白させてくれなかった恨みや八つ当たりもあったかもしれない。恋心も、恨みも、感謝も、別れの寂しさも、たくさんの想いを乗せた自分本位なキスだった。
 階段を駆け上がって出口を抜けると、言われた場所には確かに荒北が立っていた。人込みにいても目がすぐに彼を捕まえる。少し猫背気味なところは相変わらずだが、少し痩せたように見えるのは入院していた影響かもしれない。
「靖友っ!」
 殴られるかもという予想は立ち姿を見た時点で頭の中から抜けていた。とにかくここに荒北がいる事実が不思議で、嬉しくて、気持ちが勝手に浮き立ってしまう。
「よォ、久しぶりィ。元気そうだな」
「おめさんこそ。怪我は? 入院してたんだろ?」
「なんだよ、知ってンのかヨ。まぁ、ぼちぼちってとこだな」
「結構酷かったんだってな。手術したって聞いたけど、こんなとこにいて大丈夫なのか?」
「んな顔すんなよ。キレーに折れたから治りは早かったし、今は軽く流して走れるくらいには回復してる。スゲーんだぜ、マジでパキッと折れてんの。記念にレントゲン写真貰っとけばよかったぜ」
 ニッと笑って話す荒北はこれまでと変わらないように見えた。彼が嘘をつく理由はないし、言葉通りに回復してきているのであれば来シーズンからレースに復帰するのだろう。荒北の無事を直接確認できたことで新開は心の底からホッとした。
「なあ、とりあえず飯でも食わねぇ? って、さすがにこの時間じゃ食ってるか」
 時刻は午後2時過ぎ。そういえば昼食はまだとっていなかった。荒北がここにいる理由は食事をしながらでもゆっくり聞けばいい。それに話したいことはたくさんある。
「いや、オレもランチはまだなんだ。それじゃあ、お勧めの店につれてくよ。きっとおめさんも気に入ると思うぜ?」
「おー、頼むわ。考え無しで来ちまったから、店とか全然調べてねェんだよ」
「ん? まさか思い立って来たとかそんなんじゃないよな?」
「え。あー、ちげェよ。ちゃんと用事っつーか目的はあるって。そのためにホテルだって取ってきたし。ほら、荷物持ってねェだろ?」
「……ならいいけど」 
 荒北の発言に腑に落ちない何かを感じ取ったが、ランチタイムの終わりも迫っていたので馴染みの店に移動して昼食をとった。思った通りに荒北は肉料理を気に入ったようで、ソースまで残さずきれいに平らげてくれた。その後はカフェでテイクアウトしたホットコーヒーを片手に、観光気分で荒北をあちこちへ案内した。散策中に旅行の目的を訊いてみたのだが、なぜか曖昧に濁すばかりで教えてくれない。それでもアパートメントタイプのホテルを借りていることや、足の調子について話してくれた。
 それにしても、と新開はカップに口を付けながら隣を盗み見た。
 キスしたことを荒北はどう思っているのか。再会した時から新開はそれが気になっているのに、荒北は何も言ってこない。もしかして彼の中では無かったことになっているのだろうか。かといって改めて訊けるような雰囲気でもなく、質問して気まずくなるよりは今のままでいいかと無理やり納得することにした。
「なあ、ベルギーってビールが有名なんだよな? 今の時期ならオメーも飲めんだろ?」
「え、あー、そうだな。って言っても元からそんなに飲めないけどな」
「いい店知らねーの? せっかくだし、飲んでみてェんだけど」
「知ってるには知ってるけど……おめさんはオレと居ていいの? なんか用事があるんだろ?」
 新開としてはただ単に気になって聞いてみただけだが、荒北の顔がわずかに強張ったのがわかった。あれ?と引っかかったのも束の間で、すぐに荒北は「平気平気、今日は空いてっから」と笑ってみせる。
「今日は飲もうぜ、な?」
「……付き合う程度でいいなら」
「うっし、んじゃ案内頼んだ」
 肩を組んでくる横顔が眩しくて、腕の重みも懐かしい。新開の頭の中に旅行のことはとっくに無かった。 

-ペダル:新荒
-, ,

int(1) int(2)